大磯今昔

2017年8月14日 (月)

【大磯今昔・伊藤博文2】(Vol.5)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.08.03】掲載文
最近どんなことがあった?
「大磯今昔」のあこちゃんです。

今回は、伊藤博文公です。
何故、彼を選んだかというと、鉄道が大磯にひかれた明治20年別莊が数多く増えたなか、明治30年に伊藤公は東京品川の伊藤町から住民票を移し、大磯(滄浪閣)に本宅を構えたのです。

明治23年に小田原の滄浪閣に別荘を構え、ある年に別荘に向かう途中、奥様の梅子さんの体調が悪く、大磯の駅上の旅館(招仙閣)に泊まり静養をしてた時、大磯の温暖で北山南海の気候風土に癒された。
それがきっかけで、大磯に本宅を構えることになったのです。

それも、初代総理大臣になった方が、自分で郡役所に赴いてですよ。
「なんか、カッコイイ~」と、思いませんか?

そんな彼は、現在の山口県光市車荷字野尻の百姓、林十蔵の長男として生まれます。
御父上は、とても苦労された方ですが、安政元年(1854)、長州藩の伊藤直右衛門に認められ一家揃って養子となり、伊藤姓を名乗ります。

安政4年、彼は吉田松陰の松下村塾に学び、倒幕運動に加わり、活躍します。
文久3年には、井上馨ら5名と英国に密留学し開国論に転じ(後に彼らは、長州ファィブと呼ばれます。)ます。

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次回に続く。
写真は、現在の小田原の滄浪閣跡に建つ伊藤公の銅像
           長州ファイブの写真
       もう一度現在の大磯の滄浪閣の写真です。

2017年8月10日 (木)

【大磯今昔・伊藤博文1】(Vol.4)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。

【15.07.27】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
シリーズ2回目は、イ行の伊藤博文公を取り上げます。

私が「大磯今昔」を語りたいと思ったのは、日本の近代を作った多くの方達が、大磯に別荘をもち、本宅を構えた。
当時の旅館に宿泊し、書を書き、歌を歌い、そして我が国の基盤となった、政治、経済を語り、今の日本を作った。
その人達の足跡がどれだけ多くあるか?
又、どれだけ多くの姿を消してしまったか?
少しでも、忘れられないうちに皆様にお伝えしたい。

そして、大磯初めて物語がいっぱい有る事。
又、初代~の方がいらした事か?

その筆頭が、伊藤博文公です。
  *初代総理大臣
  *初代枢密院議長
  *初代貴族院議長
  *初代韓国統監   等々

幼名は、利輔、利助、後に俊輔。
今、大河ドラマ「花燃える」に出ているのは、利助の時の彼かな~。
写真は、今現在の滄浪閣の石碑、大磯図書館所蔵伊藤公のお顔です。
では、次回に続く。

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2017年8月 8日 (火)

【大磯今昔・浅野総一郎3】(Vol3)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズを連載しています。

【15.07.20】掲載文
「大磯今昔」のアコちゃんです。
浅野総一郎さんを図々しくも語らせて頂き、今回がシリーズ最終回です。
次回は伊藤博文公へと続きます。

浅野総一郎さんは、人生のスタートは挫折の繰り返しでした。
今の私達に彼は失敗を恐れて何もしないより、立ち上がれば必ず結果が付いてくることを、教えてくれた人だと思います。

自分自身が生きる事より、日本の国がこれから先、100年、1000年を見据えての仕事をして来た人でした。

最後の仕事になったベルリンで、体調を崩し、帰国後、大磯の別荘で静養しますが、食道癌である事が解った時(当時は、癌宣告は死を意味していた)、彼は何と言ったと思いますか?

「それは大変だ、仕事を急がねば」と、東京の自邸に戻り、命つきるまで仕事に打ち込みました。

昭和5年(1930年)11月9日午前零時52分、83歳
「死んだ後まで、社会に益す」の言葉を、残し亡くなった。

写真は、お身内が最後まで残していた400坪の別荘跡の1部です。

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2017年8月 5日 (土)

【大磯今昔・浅野総一郎2】(Vol2)

【15.07.13】掲載文
こんにちは、あこちゃんです。
前回からの続きで、大磯にゆかりのある浅野総一郎を語ります。

損一郎とまで言われた彼は越中国を裸一貫で上京、お茶の水の名水に砂糖を入れただけの「水売り」から再出発。この発想も凄いね、懲りないのよ。
更に元手金ゼロで次なる事業を始めます。
常に情報をキャッチして、次々と商売の幅を広げ「廃物の運用」を仕掛けていきます。

そんな彼と、大磯の関係は何時頃だったのでしょうか?
王城山の麓に別荘を構え(現在は安田不動産大磯寮)たのは、明治26年頃、事業が上手くいったら静養に、事業に行き詰まったら「北山南海」の大磯の気候風土に癒されました。

本当に骨身を惜しまず日本の将来を考えた人でした。
そして、未来の子供達の育成も考え浅野学園を設立。

先週の土曜日に、浅野学園の丘の上に建つ彼の銅像、鶴見の総持寺のお墓を訪ねました。
偶然にそのお墓で、三女のお孫さんにお会いする事が出来、彼の苦労話しを生で聞く事ができ、鬼の目にも涙です。
涙で曇りましたので、このお話の続きは次回「完結編」で!

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写真は、浅野総一郎、安田不動産大磯寮、銅像、お墓です。

2017年8月 4日 (金)

【大磯今昔・浅野総一郎1】(Vol.1)

(公社)大磯町観光協会ではHPを始めFBでも色々な情報を発信しています。
その中で月曜日にFBを担当しているのが副会長の通称「あこちゃん」です。
大磯にゆかりのある方々を「あいうえお」順で掲載してもらっています。
残念なことにFBだと記事が流されてしまい時系列で見ることが出来ません。

取り敢えず私のブログにシリーズでアップすることにしました。
カテゴリーの「大磯今昔」にまとめますのでご関心のある方は是非ご覧下さい!
(明らかな誤字等を除いては彼女の原文通りにアップします。)

【15.06.29】
はじめまして、あこちゃんです。
これからシリーズで【大磯今昔】を投稿したいと思います。

明治以降の大磯は、日本屈指の別荘地でした。
最盛期には、240軒以上の別荘が建ち並び、政界財界をはじめとする著名人が訪れていました。
その頃の大磯ってどんな風だったのか?ちょっとだけタイムスリップしてみましょう。

たとえばこんな道路、国道と同じ11メータ道路が閑静な住宅の中に有ります。かってその先には、浅野財閥の始祖「浅野総一郎」の別莊が有りました。当時は、大磯で一番早く桜が咲く、素晴らしい景観で「一目千本の景」と言われました。

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この浅野総一郎については、次回のお楽しみ!

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