旅行・地域

2016年9月 3日 (土)

羽州街道・楢下宿

銀山温泉からの帰路に山形県上山市にある宿場町・楢下(ならげ)宿に立ち寄りました。
楢下宿は羽州街道の宿場町として栄え、東北の13藩が参勤交代の折に利用し、往時の町並みがそのまま保存されており、1995年(平成7年)に歴史国道、1996年(平成8年)に歴史の道百選に指定されている宿場です。

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楢下宿、そのものを訪れる人は少ないようですが、江戸時代の脇本陣であった旧丹野家滝沢屋は「丹野こんにゃく」の大本家で、現在は「こんにゃく料理専門店」として地元では大変知られ、観光客も多く訪れるスポットにもなっています。

こちらを目的に訪れる人の方が圧倒的に多いようです。
中々良いお店です。がちょっと行ってくると言うには遠すぎます。

上山市も山形県では有数の温泉地です。
機会があったら寄ってみて下さい!お勧めです!

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2016年9月 2日 (金)

青森から銀山温泉に

カミさんは朝からこぎん刺し教室に行き、本場で個人教授を受けることが出来てご機嫌です。
青森にまで来て教室に足を運べることは、考えようによっては贅沢な教室です。

その間、私は青森市内を散策。
今まで行きたくても行くことが出来なかった所をのんびりと見学してきました。

青森まで来ると流石に移動時間が大きく割かれます。
今日はこの旅の最終宿泊地の山形県・尾花沢市の銀山温泉に移動です。
この移動距離だけでも400㎞もあるのですから、東北地方は一県が広いと感じます。

銀山温泉は大正時代に銀山の鉱山の街として繁栄して、その往時を偲ばせる川沿いにある温泉宿が風情を醸し出しています。
冬の季節の雪景色は素晴らしいだろうなということは想像がつきます。

こんな所で数日のんびりしたいものです!

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2016年9月 1日 (木)

下北半島巡り

仏ケ浦を経由して本州最北端の町、大間町に。
何と言っても、大間と言ったらマグロ。
もう食べると言うより、食うぞ!と言うモードに入っています。

マグロの大トロや中トロは美味しいには違いないです。
しかし、刺身などは築地でも美味しくいただけます。

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そんなことを思いながら土産物屋さんを見ている内に、かなり大きなマグロのカマを網で焼いているお店を発見。

「朝から4時間を掛けて焼いているのが、ようやく食べごろになったと。」店員の若者がポツリと一言。
私は「一皿500円也。頬肉等が美味そう!」と独り言。
若い店員が、頬肉を増量してくれました。
ちょうど、食堂の中は満席なのです、それを求めて堤防で食べました。
ロケーションと言い、これでビールがあれば最高なのですがね?

これから先の移動が短ければカミさんに交代してもらうのですが、まだまだ今日の走る距離があります。
仕方なくお茶で我慢をしました。

マグロの一本釣りの拠点、大間港は流石に立派な港でした。
漁業協同組合の建物等を見ても、その勢いを感じますが、往年の漁師に聞けば、数年前から比較したら比ではないと寂しそうな顔をしているのも印象的でした。

0901_2次の恐山に移動しましたが、ここも一昨日の台風10号の影響を受けて、当初のコースが通行止めで大きく迂回をしていく羽目に。
恐山は比叡山と高野山と並んで日本三大霊山の一つです。

途中の駐車場で3人のワンボックスカーを改造した車でくつろいでいるグループに遭遇しました。

仲間かと思いながら話しかけると、佐世保・大阪・千葉からの個人個人のグループでした。
それでも連絡は取り合いながら、全国の至る所で方向が合うと合流をしているとのこと。

3人共70歳台と思われますが、それこそ気の向くままにハンドルを握り日本全国を縦横無尽に走り回る姿にちょとだけ羨ましいと思いました。

しかし、恐山に行き、道半ばで、私の近くから身を隠した友人達のことを思えば、こうした旅が出来る有り難さを身に染みて感じます。

改めて、色々な方を想い出しながらご冥福を祈りました。

三途の川は現世とあの世を分ける境目にある川です。
その三途の川を渡り、戻って来ました。
戻ってきたということは、閻魔さまに追い返されたってこと?

うーむ!もう一度やり直すチャンスをもらったのかなぁ?

いずれにしてももう少しだけ長生き出来るのかな?
そして、もう少しだけ生かさせてもらいたいと思う恐山でした。

今日は下北半島を一周して、青森市に戻りました。

2016年8月30日 (火)

台風10号をお出迎え?

本当は、今朝早くに旅立つ予定の東北への「旅」でしたが、明け方近くには何故か岩手県の前沢付近にいました。
昨晩の内に台風の影響を受けないようにと移動を開始して、休憩を若干入れながら前沢SA迄来て仮眠を取りました。
そして久しぶりの車中泊です。

ここまで辿り着く迄には、台風10号の外側を取り巻く雨域により、時折激しい雨に見舞われて走行が大変でしたが何とか岩手県まで来ることが出来ました。

今日の目的地は青森県鶴田町の舞鶴橋です。

そもそも、今回の旅の行き先はカミさんがJR「大人の休日倶楽部」の吉永小百合が津軽富士と称される木造の三連太鼓橋「鶴の舞橋」でロケしたポスターを見て、ここに行きたいということから始まったのです。

この橋の場所、「鶴田町ってどこにあるのか?知っている?」
「知らない」
「青森県だよ!」
「見たい!」

それじゃ、今回の旅は「津軽半島」「下北半島」巡りをすることにしようと!

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「鶴の舞橋」のキャッチコピーは、波のない湖面にしか映らない「津軽の逆さ富士」です。

しかし、残念ながら台風の影響を受けて強風が湖面を揺らし「津軽の逆さ富士」は見ることが出来ませんでした。
そして、太平洋側にある台風の雨域が岩木山も覆ってしまい、ポスターの様な岩木山も望むことが出来ませんでした。
風だけが強く台風10号の強風域に入っていることを感じます。
それでも、我々が見学する時には青空も広がってくれたことに感謝します。

0830_2今日は朝早くから現地に入っていたので時間はたっぷりあります。
明日の見学予定の太宰治記念館の「斜陽館」も今日の内に見学して14時にはホテルにチェックイン。
おとなしく台風10号を迎えることにしました。

ホテルに着くと、流石に昨晩からの強行軍に多少のお疲れモードも手伝ってベッドに潜り完全のお休みタイムと相成りました。
ただただ、台風10号が余り悪さをしないで通り過ごすことを祈るのみです。

2016年7月 8日 (金)

行田の「蓮」と「足袋御殿」

埼玉県行田市と言ったら「足袋」を最初に思い出します。
江戸後期から昭和中期にかけ「足袋」の生産で栄えた街です。

現在は足袋がどのくらいの生産高があるのか分かりませんが、かつて、昭和13年当時には足袋生産量が8400万足程あり、その内、およそ8割を行田市で生産されていた時代もあったようです。

0709だから「足袋御殿」もあるんですね?

今日、昼食に寄った彩々亭は、「足袋」の商いにより、一代で財を築き上げた足袋屋の名士である荒井八郎氏、彼が贅を尽くして建てた邸宅が「足袋御殿」と呼ばれています。
ここを料亭として復元させた「彩々亭」に寄ってきました。

館内は趣のある廊下、アンティークなランプシェード、風変わりな襖や障子など随所に大正ロマンの雰囲気が漂う和洋折衷造り。また各室窓から覗く、かつて昭和天皇がご覧になられた庭園は、富士山の溶岩でつくられたという築山があり、その上からは滝が流れています。

こんな雰囲気の中での食事!ご馳走様でした。美味しかったです!
そう言えば、かつて相模湾、それも大磯から西側の地域では「ぶり御殿」と呼ばれる名称もありましたね。

そもそも、今日はこの「彩々亭」に食事に行った訳ではありません。

行田蓮が見頃になったということで「古代蓮の里」を見に行ったのです。

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行田市の“天然記念物”に指定されている行田蓮(古代蓮)は原始的な形態を持つ1400年~3000年前の蓮であると言われています。

古代蓮の里にほど近い公共施設建設工事の際に、偶然出土した種子が自然発芽し甦り、池に開花しているのが発見されました。

地中深く眠っていた多くの蓮の実が出土し、自然発芽して一斉に開花した事は極めて珍しいことといわれています。

蓮の花は、開花から散るまでの期間は4日間だそうです。
これだけ、広大な広さがある「古代蓮の里」です。
2日目の一番、元気な状態の蓮もたくさん咲いていました。

そして、関東七名城に謳われた忍城(おしじょう)にも、久しぶりに足を運びました。
忍城は上杉、北条氏との戦いにも落城せず、石田三成の水攻めにも耐え、戦国の世を生き抜いた名城です。

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昨日のような猛暑日ではなかったのですが、やはり内陸部は海岸地域から比べると暑い!
ちょっとした息抜きになりました。

2016年6月 4日 (土)

御坂峠「天下茶屋」

昨日の甲府市からの帰路でもう1カ所寄り道をしてきました。
御坂峠、旧道の山頂に「天下茶屋」があります。

0604昭和42年に新御坂トンネル開通により、ほとんど旧道を通ることがなくなり、昨日は時間にも追われていなかったので久しぶりに旧道のワインディングロードを楽しみながら寄り道をしてみました。

旧道には車の往来が少なくなったためか、至る所で野猿を見掛けることが出来ました。

天下茶屋は木造二階建て、八畳が三間の小さな茶屋で、峠を行き交う旅人に食事などをふるまい、かつては多くの文人が訪れましたが、中でも井伏鱒二、太宰治の滞在は特に知られています。

開業したのが昭和9年ですから80年を超える老舗です。
ここからは眼下に河口湖を望み目の前に大きな富士山がどんと構える非常に景色の良いところです。

太宰治は、ここの絶景に約三カ月滞在して小説「富獄百景」に残しています。

文才があればこうした良い景色の所では次々と文書の構成が広がっていくのでしょうね?

【天下茶屋HP】から転載

  滞在中の太宰治に、ほうとうを出したところ、
  「僕のことを言っているのか」と不機嫌になったとの事。

  先代が「ほうとうは甲州の郷土料理である」と説明したところ、
   太宰治は安堵して喜んで食し、好物になったようです。

  その様子から先代は生前、
    太宰治は自身が「放蕩(ほうとう)息子」と勘違いしていたようだと当時を語っておりました。【ここまで転載】

一度は訪ねても良いところだと思うお勧めのスポットです。

2016年6月 3日 (金)

日本の中の外国?

甲府にある善光寺を訪ねました。
同所は初めて行きましたが、長野市の善光寺ほど立派ではありませんが良いお寺でした。

善光寺は信州長野が日本で一番知られていると思いますが、善光寺を調べてみますと長野以外に全国各地に善光寺は約200程あると言われています。

これは、善光寺信仰を如実に表わすものですが、なぜこれほどまでに善光寺と呼ばれるお寺が多いのかと言うと、鎌倉時代に善光寺聖が全国に善光寺信仰を広めたからなのだそうです。

善光寺聖の「聖」とは、正規の寺院を離れて、諸国を遊歴する僧侶のことを言い、半僧半俗の遊行僧が、信州から遠く離れた地域にまで善光寺如来の分身を背負って出かけ、信仰を広げて回った結果なのです。
ですから全国各地に善光寺が点在する結果になっています。

久しぶりに武田神社、舞鶴城公園にも寄ってみました。

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そして帰路を箱根越えで帰ろうと、これまた久しぶりに「忍野八海」に寄ってきました。

世界遺産富士山の構成資産の一部として認定されて以来、外国人が多く訪ねてくるとは聞いていましたが、本当に日本の中の外国です。

夕刻に近かったので、団体客は少ないだろうと思い、寄ったのですが駐車場には15台ほどの大型バスが。
その団体客のほとんどが中国からのお客です。

売店ではほとんど日本語を聞きませんでした。

富士の自然が育んだ澄んだ水の景色は、昔と変わりありませんでしたが、本来は富士山に降り積もった雪解け水が、地下を数十年の歳月をかけてろ過され、澄み切った水となる神秘さをしみじみ感じたいものです。

しかし、この喧騒の中ではその神秘さがかき消されてしまうことを寂しく思った久しぶりの「忍野八海」でした。

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2016年5月19日 (木)

温泉に入る野猿 見られませんでした

160519前から一度は訪ねて見たいと思っていた「地獄谷野猿公苑」でした。

【地獄谷野猿公苑は、長野県の北部、上信越高原国立公園の志賀高原を源とする横湯川の渓谷に位置しています。
標高850メートルのこの地は、一年のほぼ三分の一が雪に覆われる厳しい環境です。
急峻な崖と、いたるところから立ち上る温泉の湯気、そのような光景を見た太古の人々はこの地を地獄谷と呼びました。
しかし、ここはサルたちにとっては楽園。古くからこの地にはニホンザルの群れが自然のままに暮らしています。
地獄谷野猿公苑は、1964年開苑以来、ニホンザルの興味深い生態を間近で観察できる場所として、温泉に入るサルとして、
広く世界中の人々に愛されています。また、多くの研究者や写真家も訪れ、数々の成果を上げています。】
【この項、地獄谷野猿公苑HPから転載しました。】

地獄谷野猿公苑のニホンザルは温泉に入ることで知られていますが、それはサルたちが厳しい冬の寒さをしのぐ方法の一つです。
今日の様な初夏を思わせる様な時期には積極的に温泉には入りません。
でも、暑いから、一汗かいたから温泉にでも?
これは、あくまで人間流の考え方です。

しかし、この時期は出産ラッシュです。
今年は過去最高のペースで出産があり、多くの赤ちゃんを抱えている母サルを見ることが出来ました。

「最初のうちは無意識の中でお腹にしがみついていますが、少し成長すると背中に乗ったり、お母さんの方でも背中に乗るように誘導します。サルたちが歩く時、お腹にしがみついているという事は、赤ちゃんは重力に逆らったスタイルになりますから、お母さん側も大変。なので、山での移動など、大きく動く時は背中に乗って欲しい」との思いからなのだそうです。

ここでも生命力の強さを感じます。

それにしても、ここを訪れる外国人の多さに驚きました。
行き交う人の7割方が外国人。それもヨーロッパからアメリカと・・・・・!

そして、団体客は皆無。皆さん私たちと同じような夫婦連れでした。

ここも予定を遙かに狂うほどのんびりとしてきました。

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この後は横手山と白根山の間を通過する渋峠の標高は2172mある、日本全国の国道でも最も標高が高い地点のある国道292号線のワインディングロードを楽しんできました。

やり繰りして空けた三日間の休日があっという間に過ぎ去ってしまいました。
仕事をしていてもあっという間に一日が去ってしまいますが、旅に出ていると更に一日が短く感じるのは気のせいなのかな?(16.05.22記)

2016年5月18日 (水)

戸隠神社から貸切のホテルへ?

諏訪から戸隠を抜けて長野に出てから久しぶりに小布施を訪ねるのが今日の行程でした。
まぁー、旅に出て、行程の変更は日常茶飯事のことですから気にも掛けません。

0518それが、戸隠で食べたそばと地元ならではの野菜天ぷらで日程が大きく変わってしまいました。
私も何度も戸隠には行っていましたが戸隠神社の奥社となると2時間以上を要す山道なので行ったことはありません。

カミさんと美味しいそばに舌鼓をうちながら戸隠の地図を改めて見ている内に、この美味しいそばの里一円をゆっくりと散策をしたいとのリクエストに応えて、急遽予定を変更して、霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む戸隠神社をのんびりと散策を楽しみました。

そして、今夜の宿を取った北志賀のホテルが思い掛けない貸切とフロントで聞いて嬉しいやら申し訳ないやらで複雑な心境になりましたがオーナーの「お二人で自由に館内を使用下さい!」のお言葉に甘えて、申し訳ないですがそのようにさせていただきました。

二人にとっては最高の贅沢になったのは言うに及ばずです。
最高のプレゼントをいただきました。(16.05.22記)

2016年5月17日 (火)

久しぶりの木曽路

来週の総会を控えて、その準備に目途をつけ三日間の休日を作りました。
久しぶりに東海道を離れて中山道を巡りました。

中山道は日本橋から京都三条大橋までを山側で繋ぐ街道で全長534㎞あり、峠越えも多く五街道の中では最も気力・体力を必要とするかもしれません。
そして江戸時代の面影をそのまま残す宿場町が多く残っています。

しかし東海道の様に大井川・天竜川・冨士川などの川留めや、宮~桑名間のような海の船旅もないので、女性に人気のある女街道とも呼ばれていたようです。

今日は鳥居峠越えを控えて、一夜の宿をとる旅人が多く「奈良井千軒」と言われるほど栄えた奈良井宿を起点に日本橋に向かうコースにある贄川宿(にえかわしゅく)、本山宿、塩尻宿、下諏訪宿を訪ねました。

雨上がりの午後だったので久しぶりに観光客の少ない奈良井宿をゆっくりと散策をすることが出来ました。

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その後は昨日まで行われていた「御柱祭」で樹齢150年を超えるモミの大木である、選ばれた16本のが里に曳き出され、7年毎の寅と申の年に諏訪大社の社殿の四隅に建てられた諏訪大社の上社・上社を訪ねました。(16.05.22記)

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私と東海道との係わりの源です

西湘を拠点にして色々なプロジェクトを立ち上げて奮闘しています。そして私も遊ばされています。

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