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2019年1月12日 (土)

【大磯今昔・原敬5】(Vol.163)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。

【18.08.27】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
前回同様に原を語りますが、大磯にお住いの皆様の多くの方は、原でこんなにも語る事があるのかと、思われた方が多いかと思いますが、今回現地に伺ったことが大きな要因ですが、初代総理大臣の伊藤博文を始めとして、本当に歴代の総理大臣が認める凄い人だったことが解ります。
例えば立憲政友会員が伊藤に、原はキザですよねと言うと、「でも、あいつが一番偉くなるよ」。

3回目の投稿に、吉田茂は「原日記」の事を書きましたが、「人間吉田茂」の本の中で語っています。
この本は、吉田茂邸で執事をしていた竹内三郎氏に何回かお会いしてお話を聞く機会が有り、その時にいつも手元に置いてお話しをして頂いていた本を、入手することができその中に、詳しく書いて有りますが、昭和26年ダレス特使が最終的な講和会議の詰めに来日した時に吉田が関西に行った折、記者会見の時の質問に~吉田さんはこの重大な時局にのぞんで過去の首相ではだれを一番痛切に思い出されますか~の質問に、「ウン…(少し頭をかしげて考えて)原敬日記を読んだんですがね、~中略~伊東巳代治や山縣有朋などといううるさ型がいてさぞやりにくかったろうなと思うが、原さんはその間をぬってよく仕事をやられた。えらいと思います。」別の場所でも、私利私欲を捨てて政党政治に殉ずる力づよい姿が吉田の共感を呼んだと有ります。

こんなことも出ています。

01125vol163歴代政治家10傑の内閣総理大臣(『日本経済新聞』平成2年11月)

第1位原 敬 第2位吉田 茂 第3位伊藤 博文 第4位西園寺 公望 第5位池田 隼人 第6位浜口 雄幸 第7位山縣 有朋 第8位石橋 湛山 第9位三木 武夫 第10位田中 角栄。

「20世紀最高の内閣」の総理大臣は原 敬(「月刊現代」平成12年4月号)
なのに何故、暗殺されなければならなかったのか?(次回のお話しにします)

前回でお話しした、大磯での暮らしの続きですが、明治37年(1904)以降は1回、1905年は6回、1906年は2回と大磯を訪問する回数自体が減っていきました。
これは、原が1901年~1905年の間は、北浜銀行頭取、大阪新報社長を務めたため、大阪にいることが多くなったことと、1902年に代議士に初当選して以降、原が夏を地元である盛岡で過ごすことが多くなったことが影響していました。

又、伊藤が1905年に韓国統監に就任し、大磯を離れる期間が増えたことなどから、大磯から足が遠のく要因になったと思われます。

結果、明治40年(1907)4月に大磯の別荘を売却しました。
原は、別荘を売却したことを日記に全く記していないのが、とても寂しいです。

そして、大正2年(1913)10月、神奈川県鎌倉郡腰越に別荘用の土地を購入しました。
腰越の別邸では、日記を書くことに没頭したと書かれていました。

写真は、引用した本と、腰越の別邸の写真です。

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