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2019年1月 9日 (水)

【大磯今昔・原敬3】(Vol.161)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。

【18.08.13】掲載文
大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
今回も原敬を続けます。

前回では、陸奥の死を機に明治30年(1897)官界を去ったお話をしました。
今回はその時の、大磯での陸奥に係わった闘病日記になったお話をしたいと思います。

原日記というのは、20歳の時から明治8年(1875)、刺客されて亡くなるまでの大正10年(1921)享年65歳、約45年間の本で原本は和綴罫紙帳(わとじけいしちょう)、82冊の量に上り、原の生前から樟(くすのき)製の木箱に納められ幸いにも、震災や戦争を免れ、第2次世界大戦後始めて「原日記」として、公開されましたが、没後29年は公開してはならぬということから、30年後に公開されましたが、明治大正時代の政界の表裏を詳細に記した貴重な資料で、のちに吉田茂総理は『原敬日記』を総理大臣必読の書と述べています。

01093vol161大磯での日記を記します。(陸奥伯に関するを事を主に)
明治30年8月1日の分から1日は大磯に泊まる。
2日、大阪、毎日新聞社入社内儀。
11日、帰京。
12日、陸奥伯訪問 衰弱甚だしく面会できず。
14日、陸奥伯訪問 ますます危篤へ
15日、陸奥伯への勲章等について、山縣に依頼。
16日、陸奥伯へ面会できた。
18日、陸奥伯訪問、衰弱ますます。
19日、松方首相訪問、官を辞して大阪毎日新聞社入社を告げる。
20日、陸奥伯訪問。
23日、陸奥伯訪問。
24日、陸奥伯逝去。1時過ぎかけつける。
    3時45分逝去。陸奥伯との出会い(明治14年宮城監獄) 16日の面会の様子等詳しく書きとめている。以後、陸奥伯に泊まり込み世話をする。(第1巻P268)
27日、辞表を出す。
28日、陸奥宗光の葬儀。
9月1日、本管を免ぜられる。大磯の別荘へ。
  3日、帰京
 14日、大磯の別荘に1泊。
 15日、大磯出発 浅同伴 京都1泊。
 16日 大阪着 大阪毎日新聞社編集総理。
此処から少し陸奥伯のみの記載を掲載します。

 27日、陸奥伯の遺物として常用していた金時計受領、後に記念の文字を裏面に刻印。
11月18日 論説 陸奥伯 陸奥伯遺骨を夕陽ケ岡に葬るのに立ち会う。
(あこの気持ち~中々、1人の方との関わりを文章に残すのは珍しいと思います。熱い師弟愛を感じました。)

今回はここまで、次回は盛岡にて原記念館等の取材報告ができるかと思います。
写真は、前回と重複しますが、大磯の別荘跡と、腰越の別邸です。
腰越の別邸は部分移築されていて、原記念館には、書斎と東屋が公開されていて、菩提寺の「大慈寺」にも残っているとの事、確認してきます。
前回の訂正です、正岡子規が泊まったのは、「松林館」明治22年~25年の間に3回大磯を訪問、「四日大尽」に書き残してます。

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