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2019年1月 8日 (火)

【大磯今昔・原敬2】(Vol.160)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。

【18.08.06】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
今回も原敬を語ります。
前回は折角入学した、司法省法学校が順調にみえた学生生活でしたが、思わぬことから退学になりました。
~ここまでのお話しでした。

明治12年(1879)、寄宿舎での休日の食事問題に端を発して学校側と学生が対立し、原たちは司法卿の大木喬任(たかとう)に直訴するという思い切った行動に出た、これを恨みに思った法学校校長によって、原たち16名が放校処分となりました。
(この中には、後にジャーナリストで「新聞日本」を作ります、陸羯南~くがかつなん。正岡子規の叔父で、後に外交官になる~加藤恒忠がいました)

もちろん、今回は原敬のお話しですが、大磯にはいろいろな人物、旧跡、名所が有り、絡みますので一緒にお話をしますので付いてきて下さい。
この新聞日本は、大磯駅前ロータリーに有ります、大きな石碑は皆様もご存知ですか?
明治41年に、国内1番(海内碑)の当時でいうリゾート地を新聞投票して大磯町が1番になったことから頂いた石碑です。
題字は、大磯が日本最初の海水浴発祥地の開設者である松本順の弟、林董の字です。
(因みに2位は軽井沢でした。昨年軽井沢に2位の石碑の大きさを知りたくて尋ねましたが、新幹線の駅長、しなの鉄道の駅長、観光協会みな知らないと言われました~2位は悔しかったようです)
そしてその新聞社の記者(正岡子規)は、明治24年に大磯高校近くの長生館に滞在した記録が残っていますし、鴫立庵15世庵主原昔人との縁から「蛙鳴蝉噪」のオブジェが鴫立庵に有ります。

ここから、原敬に戻ります。
退学した原は新聞記者になろうと決めたそうです、郷里の知り合いの紹介から、この年に郵便報知新聞に入社、フランス語の翻訳や小説も書いていました。
明治14年の変で、下野した大隈重信がこの新聞社を買収、犬養毅・尾崎行雄(大隈一派)が乗り込んでくると、彼らと反りが合わないので退社。

原は、官僚の井上毅を通じて、外務卿の井上馨を紹介され一時大東日報に籍を置きますが、明治15年(1882)11月に外務省に入りました。
その後3年間外交官としての経験を積み、国際情勢に通じた官僚へと成長していきます。

明治21年大隈が外務大臣になり、翌年に農商務大臣の井上馨からの引きで、農商務省に転じ井上が辞任した後を継いだのが、原が生涯の師と仰いだ「カミソリ大臣」と呼ばれた陸奥宗光です。
切れ者の陸奥は、原に厚い信任をおき、原も期待に応えて働きました。陸奥が農商務相を辞任すると、原も辞め、陸奥が外相に就任すると原も外務省に復帰するなど、まさに一心同体の上司と部下でした。

0108vol160そして、明治30年(1897)(陸奥は大磯で静養していました)、この時原も陸奥の病気見舞いの為、大磯の別荘に滞在してほぼ毎日お見舞いに行きました。だが、残念なことに陸奥が死去したあと、原は外務省を辞職しました。

今回はここまで、次回は原は生涯で「原敬日記」を82冊和綴罫紙帳(わとじけいしちょう)に残しました。
そこに陸奥宗光の病気見舞いが書かれてますので、お話ししたいと思います。

今回の写真は、原記念館からの抜粋で、生家と腰越の別荘です、あまり映りがよくありません。
8月18日に、原記念館・原生家を訪ねる予定ですので、20日の「今昔~」では奇麗な写真で報告します、しばしお待ちください。

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