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2018年10月10日 (水)

【大磯今昔・紀州徳川家1】(Vol.128)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。

【17.12.04】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
今回は、高麗地区の紀州徳川家のお話です。(敬称略)

旧徳川茂承(もちつぐ)・頼倫(よりみち)・頼貞(よりさだ)邸跡は、(高麗(字滝ノ沢)146外、(字沓形)22、(字坊地)556外)茂承は、第14代(最後)の紀州藩主です。
第14代将軍家茂から茂の字を与えられた。

明治2年(1869)、茂承は他藩に先んじて版籍奉還し和歌山藩知事に任じられました。侯爵。
明治29年に高麗園の内、高麗坊地、沓形、滝の沢、八俵山を購入しました。

1010vol128頼倫は田安家に生まれ、徳川宗家16代を継いだ家達(いえさと)の弟であり、茂承の跡を継ぎ侯爵になりました。
明治40年頃別荘を新築、高麗園(高麗焼の窯なども有り)のある邸内に桜数百本を植えて、花見の時には模擬店などを出して町内の人達を招いて園遊会を開いたと言われています。
大磯では此処の桜が一番早く咲くと言われて、今も、その桜が残っています。

伊藤博文公もしかり、安田善次郎、加藤高明、等々、大磯の町民を招いて園遊会をしたり、大黒甲子の日に食事をふるまったり、入学する子供たちに10銭を入れた貯金通帳を配ったり、この時代の財界・政界の著名人の大磯の町民に対する思い、貢献の仕方にびっくりします。

続きますが、頼貞は、頼倫の長男として生まれます。
子供の頃から音楽に傾倒し、英国留学中に日本に本格的な音楽堂を建てることを志し、帰国後、父頼倫の承諾を得て大正7年に、「南葵文庫」に隣接して「南葵楽堂」を完成させました。今回はここまでです。
写真は、境界石の石と、高麗園跡地の写真です。

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