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2018年5月

2018年5月29日 (火)

平成30年度定時総会

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(公社)大磯町観光協会の平成30年度定時総会が無事に終了しました。
昨年の定時総会で前専務理事が退任し、その後任として専務理事を兼務しながら職員増もない中で事務局長職も兼務していたわけですから忙しくないはずがありません。

それだけ現スタッフにもしわ寄せがあり、観光案内所への来場者も年間23,000人強の前年比175.9%とアップしている中で、ほぼ一人体制で対応してくれたのですから忙しかったと思います。

ただ、感謝しかありません。
 
平成30年度は、明治150年にあたり、「明治記念大磯邸園」(仮称)事業等で全国的にも大磯町が注目を浴びることになるでしょう!
具体的に動き始める秋口にはもっと忙しくなりそうです。
 
今日も事務所が近いのに車で送り迎えの状況です。
加齢と共に治りが遅い!

2018年5月28日 (月)

【大磯今昔・佐々木信綱】(Vol.80)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
【17.01.02】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
新年あけましておめでとうございます。
1日~3日までは、大磯町はイベントや初日の出、箱根駅伝、六所神社の1年に1回の御神像の公開や、投稿する内容が一杯なので、「大磯今昔」のあこちゃん、としては休稿しようか迷いましたが、熱があってもお休みしなかったので、このまま皆勤で頑張ってみます。

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今回は、佐々木信綱(佐佐木信綱~中国を訪問した時にこのように掲載されてから、こちらの形を取る事にした)です。(敬称略)
佐佐木信綱,明治5年(1872)6月3日生~昭和38年(1963)12月2日、歿91歳
三重県鈴鹿市生まれ。東京大学文学部古典科卒業。
父弘綱の主宰する竹柏会を引き継ぎ、機関誌「心の華」を創刊。
明治32年避暑の為に大磯に来て「大磯百首」を詠みました。
昭和12年文化勲章受章、日本芸術院会員となる。
昭和26年3月鴫立庵で、大淀三千風が西行五百年忌を修してから、260年が経ったことを記念して、信綱揮毫による西行歌碑を建立した。
昭和37年には庵主(鈴木方如)以下多数の有志による信綱の歌碑を建立。
明治32年(1899)8月避暑のために大磯の地獄谷のそばに家を借りた。(現在の加山邸の側です)
今回は、このぐらいで今年も又、良い年になりますように、皆様に幸多かれと、願って「大磯今昔」のあこちゃん、今年もよろしくお願いします。
写真は、佐佐木信綱と、鴫立庵にあります、西行句碑(心なき 身にもあわれは知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮れ)は、信綱揮毫。
明日の午後より、六所神社で神奈川県指定重要文化財 男神立像 女神立像の定点ご案内をしています。お待ちしています。

2018年5月27日 (日)

事業が盛りだくさんの大磯でした

良い天気でした。
今日は「旧安田善次郎邸さつきと邸内見学」が主催事業。
「親子地曳網体験教室」が後援事業。
そして延台寺では「虎御石祭り」が行われています。

これらの事業が行われている中でソファーに長々と伸びて愛猫の看護を受けている状況は、腰の痛みにも増して辛いものがありますが、動けないのですから皆さんに協力し合って実施してもらうしかありません。

昨年までのこの時期に実施していた「旧安田善次郎邸」をお借りして実施していた事業は邸園に咲き誇るさつきの見学だけでした。

今年は明治150年。
建物や邸園に加えて、安田善次郎翁の人物にもスポットをあてさせていただきました。
そして、邸内で抹茶をいただきなながら「ミニ安田善次郎展」を同時に開催する、新しい試みで、今秋につなげる事業として安田不動産から協力を得て実施しただけに参加できなかっのが非常に残念でした。

今秋には国土交通省が提唱する「明治記念大磯邸園」(仮称)と連携してさらに魅力ある企画にしていく予定です。
さつきがとても綺麗だったようです!

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2018年5月26日 (土)

最悪の状況に

完全に腰が動きません。
電話だけでは明日の準備等が出来ません。
午前中に副会長に会い、午後の準備から明日の運営全般の再確認打合せ。
徒歩10分足らずのところまでの事務所に車で送迎とは情けない状況になりました。
この他の二つの会議等の事業も全てキャンセルさせていただきました。

2018年5月25日 (金)

久しぶりに嫌な予感が?

ここ数日疲れが腰に溜まってきているようです。
週末に予定している「旧安田善次郎邸のさつきと邸内見学の会」の安田翁のミニパネル展の内容だけチェックをして、早々に事務所を後にするが・・・・・?
自宅まで腰から下に力が入らず自宅の遠かったこと。
明日からが心配です。

2018年5月24日 (木)

第69回 大磯白キス投釣大会

大磯白キス投釣り大会は、昭和24年(1949年) に日本で最初に開催された白キスの投釣り大会です。
毎年優勝者は20センチ以上の大物を釣り上げており、大会上位者には、今年も多くの釣具メーカーや地元の商店の協賛をいただき、多くの賞品が用意されています。

歴史と賑わいの詰まった本大会に、皆さま是非ご参加ください !!

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【開催日】
     6月10日(日)
【開催場所】
      大磯こゆるぎ海岸
【受付場所】
      港公園(照ケ崎プールとなり)
【受付時間】
     午前7時から午前9時
     ※ 大会は午前7時半から正午まで
【参 加 費】
     500円(年齢 10 歳以上の方)
【賞 品】
     1位から30位まで、他ラッキー賞などお楽しみもあり!

2018年5月23日 (水)

加害者と被害者が同居(?)の記者会見

モリカケ問題で紛糾する国会。
セクハラで揺れる地方議会の首長。
スポーツの世界ではあり得ないようなアメリカンフットボールの日大と関学大の定期戦での出来事。
 
昨日のアメリカンフットボールにおいて大学の日本代表にも選出されるなど将来を嘱望された大学3年生、宮川選手の勇気ある記者会見に感動しました。
 
はっきり言って20歳の宮川選手は加害者には違いないですが、一方で日大アメフットボール部の被害者なのかなとも思えます。
 
最近の不祥事の釈明で日本語にならないような説明に慣らされていた者にとっては、昨日の宮川選手の記者会見は加害者として顔や名前を日本全国に知られ可愛そうであったかもしれません。
 
しかし「ケガをさせてしまった。指示はされたが僕がやったこと。人のせいではない。僕がやったことは事実。」との自らの責任を表明する繰り返しの記者会見で、当時の状況を語ったことで世間の納得も得られたはずです。
今後の人生にとってはプラスに働くと思いたいですね!
 
一方、日本大学広報部のコメントは「反則タックルは、あくまで選手と監督らとの意思疎通がうまくいかずに起こったプレーである」と主張しています。
 
国会も地方も同じようなコメントが繰り返されています!

2018年5月22日 (火)

【大磯今昔・澤田美喜12】(Vol.79)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.12.26】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
今年最後の澤田美喜になります。
 
前回からの引き続きのお話に入ります。
美喜に関わる3人の女性のお話でした。
 
パール・S・バック(小説家)で、「大地」この作品でノーベル文学賞を受賞、中国人とアメリカ人を両親に持つ混血児でした。日本と米国との懸け橋になり、ホームの子供達の里親探しのお手伝いや、日本での講演活動や本の売り上げを、ホームに寄付して下さいました。
 
2人目は、ジョセフィン・ベーカー(黒いビィーナスの異名を取り、歌手でありエンターテイナー)、アメリカでの人種差別を受けその事から、フランスに渡り、フランス国籍を取得、素晴らしい活躍で、ヨーロッパ貴族の称号を持つ初めてのアフリカ系アメリカ女性です。外交官夫人の頃の美喜とパリで出会った縁から、ホームの子供2人の里親になったり、日本での公演活動、全てをホームに寄付して下さいました。
 
3人目の方は、メンデルソン・メンデルゼン(日本名福沢せい)、両親が国際結婚第1号と言われていて、父は英国人で、明治5年日本で初めて蒸気機関車が走った当時の機関技師で、という事は彼女は混血児の最初の人?
 

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その彼女が、75歳から無報酬で毎日お弁当を持って、エリザベス・サンダース・ホームに通い、混血児を心から愛育していました。
彼女は「私も混血児だわ。あたしが自分で進んで混血になったのではないように、この不幸な子供たちも何の罪があってこの世に生まれたというのだろう。あたしは良い父と母に恵まれたけど、この子たちは父にも母にも顧みられなくて、、、」と、涙をこぼして良く世話をした。13年間の長い間続きました。
 
実は、彼女とのエピソードというか、彼女がホームを辞めるきっかけになった事件が有ります、その対応に美喜の信念を感じました。
美喜は、子供達がある年齢に達すると、お金の使い方を教えるために、今のお金で100円ぐらいだと思います、子供達に渡し文具店で、どんなものが買えるかの勉強をさせていました。
 
決して沢山の物、好きな物を買えるほどの金額では有りません。
我慢も教えたかったのです、世の中に出たら何でも手に入るわけではない事も、教えたかったのです。
ある時、子供の一人がメンドルソンに、「おばあちゃん、買い物のお金が足りないの」と訴えました。
それではと、その子にお金を渡してしまいました。事件は、その子ではなく別の子が欲しいものをポケットに入れてしまったのです。(万引きです)、でもその子にはその自覚は無かった、美喜は激しく怒りました、その結果その子をおまわりさんの前に連れて行きました。
悪いことをするとどうなるのか、彼女はそれを徹底的に教えたかった。
でも、メンデルソンはそこまでしなくてもと、抗議しました、その翌日からホームに来ることを差し止められました。
子供のために何をなすべきか、とても、厳しい美喜でした。
(この事は、獅子文六書、アンデルソンに記に掲載されてます。)では、又来年もよろしくお願いします。
美喜の写真と大磯町名誉町民の称号写真、当時のホームの写真、今回で澤田美喜さんを終了します。

2018年5月21日 (月)

5月・6月のイベント情報

旧安田善次郎邸さつきと邸内見学(事前申込)
    5月27日(日) 9:30 ~ 14:30
       ○旧安田善次郎邸
 
第69回大磯白キス投釣大会
    6月10日(日)7:30 ~ 12:00
       ○大磯こゆるぎ海岸
 
第94回大磯市
      17日(日) 9:00 ~ 14:00
       ○会場:大磯港
  ★エントリーの受付期間は6月1日(金)~4日(月)です。

2018年5月20日 (日)

第93回大磯市

空だけ見れば五月晴れの絶好のイベント日和でした。
しかし、昨日までの暑かった陽気から一転して北からの冷たい風が流れ込んで、日差しが強いのにひんやりとするなんと表現をして良いのか迷う日でした。
 
出店者の方々も強風に悩まされてターフや商品が飛ばされないようにするのが大変でした。
それでも4,500人ほどのご来場をいただきました。
今月は足柄上郡開成町の「あじさいちゃん」の来磯を受けて「いそべぇ&あおみ」がホスト役を務めてくれました。
来月は開成町で行われる「あじさいまつり」に「あおみ」が訪問することになっています。

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2018年5月19日 (土)

湘南ベルマーレホームタウンデー

昨年まで大磯町と二宮町の2町でホームタウンデーが設定されていましたが、今年から中郡に加えて足柄上郡も加わり賑やかなホームタウンデーになりました。
 
昼間の試合で横浜F・マリノスがV・ファーレン長崎に快勝してベルマーレはキックオフ前、降格圏の16位に沈んでいました。
今夜の対戦相手はジュビロ磐田。
今日の一戦後はワールドカップ等のスケジュールが入るのでJ1は2ヶ月ほどの休みに入ります。
それだけに少しでも順位を上げて、再開後の試合に向けて調整を図っていきたいところです。
 
それはアウエーのジュビロ磐田も同じです。
ファンは有り難いものです。
ホームのベルマーレのスタンドが埋まるのは当然としてもアウエースタンドもほとんど満席の状況でした。
 
前半から攻め込んだのは磐田。
一時はベルマーレも防戦一方でしたが、後半の終了間近に野田選手が放ったシュートがゴールポストに跳ね返されて前半は0-0で折り返しますが後半に期待がつながるシュートでした。

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ハーフタイムに「いそべぇ&あおみ」も応援に登場。
そして中﨑町長も勝利を期待して応援メッセージを贈りました。
 
その効果があったかどうか分かりませんが、前半ポストに跳ね返された野田選手でしたが、岡本選手のシュートがバーに当たり跳ね返ったボールを頭で押し込み待望の1点。
この勝ち点で明日の試合結果待ちになりますが、今夜の段階で順位を暫定ながら11位まで上がりました。
 
「いそべぇ&あおみ」とサポータも、応援の甲斐があった試合に満足して Shonan BMW スタジアム平塚を後にすることが出来ました。

2018年5月18日 (金)

【大磯今昔・澤田美喜11】(Vol.78)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.12.19】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
澤田美喜さんも終盤に入ってきました。
 
ここからは、(敬称略)でいきます。
今日は、美喜と関わった3人の女性の事を書こうと思います。
彼女からすると、こっちの人よと、言われるかもしれませんが、それが、投稿者の特権ですね。
 
前回、サンダース・ホームの冠命になった、エリザベス・サンダース女史のお話もしましたが、美喜が外交官夫人として世界各国を廻った時に作られた人脈は、その後のホーム設立にどれだけ尽力をしていただい事か?
 
その第1人者が、ジョセフィーン・ベーカーです。
美喜と出会ったのは昭和の10年頃のパリです。
その頃から彼女は貧しく苦しんでる人に手を差し伸べる素晴らしい人でした。しかし、アメリカは黒人に対する人種差別の激しい時代で、パリで成功をおさめ、アメリカに凱旋公演するはずが、就いた港からホテルに至るまで彼女を人と扱う事はしなかった。
それを目の当たりにした美喜は、怒りが抑えきれず怒鳴りかけたその時、彼女は叫びました「貴方達のその白い皮膚の下には黒い心がある。そして、私の黒い皮膚の下にはまっ白い心がある。」後に、美喜が書いた本のタイトルになりました。
その時に、美喜が彼女にした好意に対して、彼女は報いるかのように、日本で行われる舞台公演の収入は全てサンダースホームへ寄贈されました。
その時のお金を基にホームの子供達の宿舎が作られました、今も記念館下の階段の横に碇石が残っています。

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2人目は、作家のパールバックです。
彼女は、中国とアメリカの混血児です。
彼女との出会いは、或るホームの子供の父親への事がきっかけで、アメリカでの出会いが始まり、彼女にはホームの子供のアメリカでの受け入れ先を紹介してもらったり、日本での本の売り上げ収入や、公演での収入もホームに寄贈していただき、彼女の寄付で作られた宿舎の碇石も同じように記念館の下にあります。
 
3人目の方は、もしかしたら書かないでと思っていらっしゃる方かなあ~?
この方は、大磯に在住されて70歳過ぎてから13年間手弁当を持って、サンダース・ホームの子供達のお世話をした、メンデルソン(日本名福沢せい)です。
獅子文六も書かれています「アンデルさんの記」のモデルになった方です。
ご両親が国際結婚第1号で、人前結婚として初めての方の子供さん、混血だという事から、彼女は自分は両親から望まれて生まれたけれど、ホームの子供達は世間から冷たく扱われているその子供達に少しでも愛情を注ぎたいとボランティアでお手伝いをした方です。
紙面が長くなりました、この続きは、次回に。
写真は、記念館下の入り口正面にある、美喜顕彰碑、レリーフ、3まいめは正面左側の人がメンデルソンさんです。

2018年5月17日 (木)

【大磯今昔・澤田美喜10】(Vol.77)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.12.12】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
澤田美喜について語ります。
 
ご縁とは不思議なもので、丁度澤田美喜を語らせて頂くこの時期に澤田美喜記念館のお手伝いに今月から週に1回、4時間ほどですが伺わせて頂いています。
 
新たな発見が有り、とても身の引き締まる思いです。
今年は特に、新聞各社(朝日新聞、東京新聞、カトリック新聞他)が、記念館の展示物「キリシタン鍔」を取り上げています。
是非、ご来館ください。
 
大磯駅前のあの敷地内には、実は3つの建物が点在しています。
エリザベス・サンダースホーム、聖ステパノ学園初等部、中等部、澤田美喜記念館。
「海の見えるホール」~聖ステパノ学園の講堂、礼拝堂(子供達、学生達が礼拝に使います)
 
エリザベス・サンダースホーム、聖ステパノ学園は美喜生存中に設立されたものです。
美喜自身が事業を推進することが大事で、名を残すことはしなかったのです。
 
エリザベス・サンダースホームの命名は、三井の養育係を約40年なさった方が1度も母国(イギリス)に戻ることなく亡くなられた、エリザベス・サンダース女史のお名前を冠に、その方のご寄付をホーム設立の祖とさせて頂いたので、この様に命名されました。
 
聖ステパノ学園はホームの子供達が就学年齢に達した時、子供達が肌の色や差別で苦しむのではと、町立の小学校ではなく、新たに小学校を設立しました。
その名前は、美喜の三男が太平洋戦争で20歳で亡くなった晃の洗礼名がステパノでした。
そしてその名前を冠にして聖ステパノ学園としました。
 
澤田美喜記念館は、美喜が亡くなった後、美喜を尊敬・崇拝する皆さんが何とか名前を残したいと、命名されました。

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今回の写真は、現在は建物としては3代目になります、エリザベス・サンダースホームの玄関です。
2枚目は、平成2年に今上天皇・美智子妃殿下が聖ステパノ学園を訪問された時のお写真です。
3枚目は、ノアの方舟をイメージして作られました、澤田美喜記念館です。
4枚目は、横浜の外人墓地に有ります、エリザベス・サンダース女史のお墓です。
毎年、エリザベス・サンダースホームの子供達はお墓参りに伺ってるそうです。

【大磯今昔・澤田美喜9】(Vol.76)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.12.05】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
澤田美喜について語ります。
 
今回彼女について語るについて、今迄色々な本も読みました。
関係各位の方達にもお会いしました。
全く真逆な事が書かれてる本も有りました。
何故かと、考えると美喜自身が書いた本、子供達(サンダースホームに入所していた子供達)から見た、ママちゃまを語っている本、又、働いていらした職員の方達が語った本、それを同じ目線で見ては当然違います。
 
前々回でも少しお話ししましたが、ホームにいる子供たちはここで暮らしている間は、ママちゃまをはじめ職員の方達がお世話をし、守ってくれます。
でもホームで一生過ごすわけにはいきません。
中学で巣立つもの。
高校まで行けた子供達、でももっと前に、養子に出る子供達も沢山いました。
美喜が育てた子供たちは30年間の間に、約2000人の子供達がいました。
皆が皆、幸せな人生を送れるように、美喜はどれだけ心を痛めた事か、それでも想像もしない不遇な死を遂げてしまった、その中の1人に付いて少しお話したいと思います。
 
澤田美喜記念館の初代館長をされていた、鯛茂先生からもお話をお聞きした方ですが、面高直子著「ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ」という本の主人公です。
アメリカに養子に行った、後田義明(スティーブ・ヨシアキ・フラハティ)は、ベトナム戦争で戦死された方です。

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養子先で有りますアメリカで、とても幸せな人生を送っていましたが、未だ見ぬ母への思いは立ちきれずしかし、養子先のファミリーに迷惑を掛けたくない思いから、軍隊(当時はベトナム戦争でした)に入隊する事を思い立ちます。
何故かというと、2つ有ったと思います、1つは、市民権を得る事(今迄は、アメリカ人でもなく又、日本人でもなかった)、3ヶ月軍隊を終えるとR&R(リラックス&レクリエション)で、1週間の休みがもらえ、東京へ行くことが出来るのです。
後2日でその日を迎える朝に狙撃され亡くなりました。
日本に行き実母の消息を訪ねようと入隊したのに、実母はいろいろな事情から既にアメリカで暮らしていました。彼が亡くなったことを知らされた美喜は、大粒の涙を流して床に崩れ落ちたそうです。
ホームの創設以来、どんな時も気丈に振る舞ってきた澤田が、初めて人前で見せた涙だったと、語ってます。
 
今でも、色々な人生を引きずりながら懸命に生きている方達、前に美喜さんのお墓参りに鳥取に行った時、墓守を為さっている湯浅さんという方にお会いしましたが、ホーム出身でお墓が持てない方がいたら、面倒を見て欲しいと、鯛さんに頼まれていると、湯浅さんがおっしゃっていました。(涙)
 
今回は、写真を選ぶのが難しいです。
美喜さん鳥取のお墓、その入り口の案内石碑は大磯の老舗和菓子店「新杵」の先代の御主人が書いた物です。

2018年5月16日 (水)

旧安田善次郎邸庭園のさつきと邸内見学

さつきの花咲く、旧安田善次郎邸のお庭の見学。
木々の新緑とあでやかなさつきの花咲く日本庭園の散策と邸内見学で大磯の別荘文化に親しみ、邸内にてお抹茶をいただきながら、明治を駆け抜けた安田善次郎翁の人なりを知る機会にしていただければと思います。

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コースにより若干の空きがございます。
申込期日が迫っていますのでオンラインからの申込みを推薦します。
【開催日】
     ○5月27日(日)
【受付】
     ○Aコース  9:30
     ○Bコース 10:30
     ○Cコース 11:30
     ○Dコース 12:30
     ○Eコース 13:30
【集合場所】
     ○旧安田善次郎邸
【募集定員】
     ○180名
【参加費】
     ○1,500円(お抹茶、ガイド料、保険料込み)
【受付期間】
     ○5月22日(火)まで
【オンライン申し込み】
     https://oiso-tourist-info.wixsite.com/events/entry
【往復はがき申し込み方法は下記URL記載】
     http://www.oiso-kankou.or.jp/entry.html?id=44058

2018年5月15日 (火)

NPO歴史の道東海道宿駅会議in袋井宿

NPO歴史の道東海道宿駅会議の平成30年度通常総会で袋井宿に出向きました。
今日の会場は袋井「和(やわらぎ)の湯」です。
 
ここは「和とらふぐ研究所」を併設しています。
独特な旨味と食感をもつ貴重な高級魚「とらふぐ」を和の湯自慢の 温泉を利用して養殖を行い、安価な値段でお客様に広く提供し、ゆくゆくは和の湯の名物料理、袋井市の名物料理に仕立て上げようと研究を続けています。

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フグには毒が有ることは常識ですが、「養殖フグには毒がない」と言われることが有ります。(?)
しかし、実際には養殖フグに毒は「ないかも知れないけど、あるかも知れない」というのが最近の学説です。
やっぱりおっかないよ!
 
でもフグにはもともと毒はないそうです。
毒蛇やハチなどのように体内で毒を作って備えているわけではないのです。
 
フグ毒を産み出すのは海洋細菌なのだそうです。
広い海には色々な微生物がいます。
毒素を作る細菌(ビブリオ菌)が食物連鎖の中で濃縮されフグが食べて体内に蓄積されることによって毒を持つようになると。
 
「温泉とらふぐ」は温泉を利用した完全閉鎖循環養殖のため、海水は一切進入しない。
また、職員が管理する人口飼料で育てているため、「温泉とらふぐ」は毒の元になるものを経口摂取しませんので、内臓に毒を持たない無毒なフグとなる訳です。とのことです!
従って海水を利用していないので水造りに一番苦労しているそうです。
 
そして、お味は?
美味しかった!車で行ったのでひたすら食べるのみ?
と言っても小食の私ではすぐに満腹状態に。満足でした。
そして肝心の定時総会ですが提案された議事は全て原案通り承認されました。

2018年5月14日 (月)

【大磯今昔・澤田美喜9】(Vol.76)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.11.28】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
澤田美喜のシリーズです。
 
最近のNHKの、朝ドラを見ると、当然のように時代背景から、戦前戦後の苦労話を乗り越えて、現在の名声が有るお話が多く取り上げられています。現在放映の「べっぴん」もそうですね。
 
私は、それを見るにつけ、当時の女性たちの生き方に興味を惹かれると共に、辛い時代をどう乗り越えたか、澤田美喜の目から見た当時を振り返りたいと思います。
 
美喜が書いた著書に「母と子の絆」エリザベス・サンダースホームの30年という本が有ります。
その中の1節に、

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(私は「母」について、特に世間の人々に対して話したいことがある。私の知る限りの母は、その1人1人が数回の空襲を受けていた。1回ごとに家族はバラバラになって、生死のほども解らず、食べ物も無く職もなく、あのレンガとガラスの破片に埋もれた町をさまよっていた女性達であった。~、日本人のすべてが空襲を受けたわけではなく、爆撃にも有っていない人たちもいたはずです。彼らは、この着の身着のままの女性達に対して何らの救いの手を伸ばそうとさえしなかった。
空襲を受けなかった人々は、二着以上の上衣も下着も持っていただろうし、はきものも二足以上は持っていたはずである。それでも、何一つしようとしなかった。
救いの手を伸ばしたのはアメリカの兵隊達でした。彼女らは、同胞から受けられなかったこの親切に対して、何一つ報いるべきものを持っていなかった。彼女らは、自分の体をもって報いるほかなかったのだ。これが、”第1号‘達の生まれてくる原因であったとしても、これらの母を責めたり、この子供達を白眼視する事は出来ないはずです。)
 
と、綴っています。
この文章を読むたびに、自分だったら何が出来たのだろうかと、何時も自問自答されられます。
 
写真は、第1号の子供達を預かるようになって(最初は2名でした)から、5年目ごろです。
2枚目は、設立から9年目頃です。
みんなの後ろに写っているのは、「ぼたん」という茶室です。
岩崎家の茶室ですので、城山に有った三井家の如庵に引けを取らない茶室でしたが、子供たちのミルクを温める、薪の原料になってしまいました。
3枚目は陽和洞には多くの混血孤児が捨てられました。
最後の写真は右側に写っていますのが、太平洋戦争で亡くなった、三男晃さんの写真です。
(聖ステパノ学園の元になった方です~彼の洗礼名がステパノです)

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【大磯今昔・澤田美喜8】(Vol.75)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.11.21】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
澤田美喜のシリーズも、大磯での暮らしに入ります。
 
昭和6年ロンドンでの「バルナドス・ホーム」での出会いから、18年、太平洋戦争の終結から悲惨な出来事が続きます。
岩崎家でも、4代目の小弥太の時、財閥解体の憂き目にあい、大磯駅前の別邸も政府に物納され3代目までは買い戻せないという事に成り美喜は、悲しい戦争の犠牲者になった女性達(特に母親たち)と、その子供たちに何とか手を差し伸べようと、奮闘します。
 
そこで、大磯駅前の土地は、日本聖公会が購入するという事で、何とか許可がおりましたが、実際は美喜一人が世界を駆け巡りこの戦争の犠牲者になった子供達を一人でも多く救いたい、幸せな人生を歩かせたいと~、でもその為には、当時のお金で400万円、最初に200万、3か月後に200万、毎日毎日資金集めに東奔西走します。
 
そして昭和23年、エリザベス・サンダースホーム(最初にご寄付頂いたエリザベスサンダース女史のお名前を冠にした)設立の運びとなりました。
 
今回は、投稿した写真を見て頂きその説明をしながら、当時を偲んでください。
最初の2枚の写真は、唯一建物が残っている、エリザベス・サンダースホームの敷地内に、ママちゃまの部屋が有ります。
その室内と、そしてよくママちゃま(澤田美喜の事をホームの子供達は、そう呼びます)が座っていた椅子です。美喜の没30年のイベントが有った時に撮った写真です。

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3枚目、4枚目の写真は、今月、山梨県の清里に清泉寮という宿初施設他、自然学校や牧場、昔外交官夫人の時代に美喜が親交が有った、ポールラッシュさんが、設立した清泉寮と、ポールラッシュ記念館に美喜が寄贈した(当初は大事なものを疎開するつもりで預けたみたいですが)、現在はサンダースホームを卒業した子供たちの就業先として、協力して頂いたお礼に、この有田焼の器とかが展示されています。

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記念館には、澤田美喜をはじめとして、吉田茂の写真も展示されています。
そして最後の写真は、現在公開されています澤田美喜記念館です。

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大磯駅から、横断歩道を渡り「ほっこり」の前を通り、バス停の前に明治23年頃に建てられた岩崎家の御門、ここに澤田美喜記念館の看板が掲げて有ります。入ると、左側の階段を登っていくと、キリシタン灯籠、鐘、碇石、写真で見えます26本の鉄の棒につかまり上ると、そこは「ノアの方舟」をモデルにした建物で、日本最初の免震構造の澤田美喜記念館、是非訪れて下さい。とても貴重なものが沢山あります。
では次回に。

2018年5月13日 (日)

「いそべぇ&あおみ」のオープンガーデン

大磯町観光協会が管理運営している「いそべぇ&あおみ」です。
この2体の観光キャラクターはアクター、アテンドのサポーターたちによって支えられています。
3度の飯より「いそべぇ&あおみ」が大好きのようです。
 
オープンガーデンに「いそべぇ&あおみ」と一緒にお庭めぐりをしたかったのか、試作品の「あおみ」のマスコット人形を貸して欲しいと「いそべぇ&あおみ」の二つのマスコット人形を連れてオープンガーデンめぐりをしてきたようです。
 
以下の文章は日頃からアクターで活躍している彼女が大磯町観光協会のオフィシャルツイッターに上げてくれた記事の転載です。
 
 

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出張が終わりお休みしていたいそべぇとあおみ。
  いそべぇ「オープンガーデン楽しそうだべぇ」
  あおみ「ツアーに行きたい!」
  いそべぇ「いつも空から見るだけだし」
  アテンド「歩いたら幅があるし…(これ以上言えない(笑))」
  あおみ「お願い!」
  アテンド「よしっ!!わかった!!」
  つづく
 
  「ちっちゃくなっちゃった!」
  アテンドの不思議な魔法により…小さくなったいそべぇとあおみ
  (あ…いそべぇは皆さんにお馴染みの「ピヨピヨいそべぇ」の姿ですが)
 
  ということで、大磯市でお馴染みの「司会のアテンド」さんのツアーに参加。
  たくさん撮影してあげるからね!
 
  おいしかったー!
  とても楽しいツアーでした。
  いそべぇ「初めてのツアー。
  参加した皆さんの笑顔が良かったべぇ」
  あおみ「ステキなお庭ばかりで感動」
  アテンド「さあ、ちっちゃくなった姿を戻すか…」
  あおみ「まってー!!まだどこか行こうよ!」
  アテンド「よしっ。行くか。」
 
  大磯オープンガーデン2018最終日!!
  現在、風が強く吹いていますが雨は降っていません。
  午前中がチャンス!!
  お宅のお庭に入れるという「オープンガーデンのお庭」は、
  開催期間外は立ち入り禁止です。貴重な時間をお楽しみ下さい。
  バラがキレイな旧吉田茂邸にて。
  ミニいそべぇとミニあおみ
 
こうした善意の方々に支えられている大磯町観光協会であり、観光キャラクターの「いそべぇ&あおみ」なのです。
感謝!です。

2018年5月12日 (土)

ペットロス

夕食後に愛猫「タマ」が永久の旅に発っていってしまいました。
飼い猫の雌の平均寿命が15.2歳と言われていますから11歳ではちょっと早い別れが訪れたのかなと感じます。

我が家の一員になったのが2007年5月12日でした。
そして今日、2018年5月12日に亡くなってしまいました。

この一ヶ月ほど食欲が衰えていて日々、体力が衰えていくことで心配をしていました。
夕食の前に私のベッドで寝ている「タマ」に「食事をしてくるから」と声を掛け「ニャーン」と応えてくれたのにね!
食事を終えて2階に上がってくるとベッドの下に降りて安らかに眠っているがごとく亡くなっていました。

孫の5人と共に育ってきた「タマ」でした。
いやぁー、育ってきたと言うより孫育てを手伝ってくれたと言う方が正解です。
それだけに小さい時には追いかけ回されてタマなりにストレスもあったのかも知れません。

でも、これから仕事から帰ると「タマ」のお出迎えがありません
まず、ソファーに座って一服する膝の上に来て、カミさんと共に一日の出来事に耳を傾けてくれる「タマ」もいなくなります。
就寝時には枕元に来て寝て、私が寝入ると足下に移動して寝る「タマ」の姿もありません。

たかが「猫」ではないから落ち込んでしまうんですよね。
「飼っている猫」ではありません。
大切な家族の一員であったという証です。
だから、現代では「ペットロス症候群」という病気?の存在もクローズアップされてくるのが分かるような気がします。

「タマ」ちゃん、11年間ありがとうね!

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2018年5月11日 (金)

旧吉田邸のバラが満開!

今日から三日間「5月の大磯オープンガーデン」が始まりました。
(公社)大磯町観光協会でも初日に大磯駅周辺のガーデンを見ながら最終目的地の旧吉田茂邸のバラ園を目指してお庭めぐりを実施しました。

この事業は例年応募者が多く、抽選で100人の方の参加を得て(NPO)大磯ガイド協会のスタッフに協力をいただきながら行っている事業です。

今年は春先の暖かい陽気に惑わされて例年以上に早く花が咲ほころび期間中にはどうなるのかと心配をしていましたが、皆さんのお越しを待っていてくれました。

オープンガーデンは日曜日に終わりますが、旧吉田茂邸のバラは来週でもまだまだ見応えはあると思います。
是非、足を運んで見て下さい!

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2018年5月10日 (木)

明日から3日間「5月の大磯オープンガーデン」

0410明日から3日間、5月の大磯オープンガーデンが始まります。
約120軒のオープンガーデンに参加しているお庭が皆さんのお越しをお待ちしているはずです。

そしてオープンガーデンに併せて町内のカフェが開催期間中に限定の「オリジナルメニュー」を用意しています。
詳しくは、大磯駅前の観光案内所等でオープンガーデンの冊子を求めてお庭めぐりをしていただければと思います。

ここ両日は五月晴れに恵まれるはずです。
新緑の大磯をお楽しみ下さい。

夕方から大磯駅前に「ウエルカム」幟も立て、準備が整いました。

2018年5月 9日 (水)

トラブル続きの最悪の一日?

今朝から電話がつながらないで苦戦。
一日中トラブル続きの最悪の一日でした。

電話の故障と言えば一昔前まではNTTにすぐに電話をすれば良かったのですが、最近はトラブルの場所

によってどこまでがネットワーク管理会社と事務所の外まで来ている配線とどこに原因があるのかさっぱり分からず?

今日の所は電話機をルーターに直接つないで緊急避難。
忙しい時に限ってこうしたトラブルが発生するんですよね?

2018年5月 8日 (火)

久しぶりに落ち着いて仕事が?

昨日、本年度の第1回理事会を開催して、平成29年度の事業報告や決算報告の承認を得て、月末の定時総会の準備に掛かることが出来ます。

その前に週末の11日には5月大磯オープンガーデンのお庭めぐりで100人以上の案内、20日の大磯市、27
日の旧安田善次郎邸のさつきを見て邸内で抹茶を楽しむ会の準備と待ったなしの事業も続きます。
これを二人の職員で準備をするんですから・・・・・・?

沖縄気象台は昨日の奄美地方に続いて、今日は「沖縄地方が梅雨入りしたとみられる」との発表がありました。
とても早い梅雨入りかと思ったら沖縄地方にあっては平年より1日早く、昨年より5日早い梅雨入りとのことで、いつもこの時期には梅雨入りをしていたんですね。

とても早い梅雨入りだと思ったのは、関東地方の陽気が3月の気候に戻った肌寒い日だったためでしょう。
このような天気だったので案内所への来場者も少なく事務所で久しぶりにまとまった良い仕事が出来ました。

2018年5月 7日 (月)

【大磯今昔・澤田美喜6】(Vol.73)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.11.14】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
前回は、美喜が家族と一緒にロンドンに渡ったお話でした。
 
船中での出来事から、美喜はロンドンでの子供達を見てくれる保母探しに紛争します。
選んだところが、イギリスのノーランド にある「保母カレッジ」です。
ここで、雇った保母はその後、イギリスだけではなく、フランス・アメリカ・最後には日本にまで来て、太平洋戦争の始まる時、交換船で帰って行きましたが、4人の子供達にイギリスの良き教育をしてくれたと、感謝してると語っています。
 
子供達だけではなく、美喜本人も生まれながらに物質的に恵まれすぎた家庭に育ち、望むものは直ちに与えられ、得られるということに慣らされていました。
そのために物質で幸福が買えるものと思っていました。
美喜は、生まれてはじめて物質で買う事の出来ない幸福が有るという事に気づいて「ハッ」と、立ちすくしたと言います。
「心の目を開く」ということは、恐ろしい事です。
 
きのうまでなにも知らないでいた事が、そして、明るく見えていたものが、心の目で見ると真っ暗になってしまいます。
こんな思いを美喜はイギリスに赴任している間、いやっというほど感じます。
 
美喜は、外国の生活を結婚前からどんなに望み、憧れていたことでしょう。
そして、自分で学び得た語学を実際に使う事を楽しみにしていました。
でも、現実は違っていた、外交官夫人としてお茶・コクテル・午餐に、夜会・社交界の絶え間ない催しに、興味がなくなり人の為、世の為になる何かを残したいと思う様になり、イギリスは社会事業の行き渡った国、立派な福祉国家であること、報酬を求めない奉仕の精神を国民の誰もがもつすばらしい国です。
 
日曜ごとに通った教会、奉仕の一環として訪ねた、「ドクター・バルナドス・ホーム」の設立者である、トーマス・ジョン・バルナ―ド博士にお会いした時、美喜は、残された余生を捧げる仕事を見つけたと語っています。
 
では、次回~大磯での暮らしを語ります。
写真は、夫廉三の赴任地で社交界の写真、天命を受けたトーマス博士です。

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【大磯今昔・澤田美喜5】(Vol.72)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.11.07】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
澤田美喜さんのシリーズ、5回目です。(敬称略)
 
大正11年7月に結婚して、その年の12月には最初の赴任地(アルゼンチンのブエノスアイレス)に夫、廉三に随行し外交官夫人としての第2の人生の幕開きです。
もうこの時には、長男信一さんを身ごもっての旅立ちです。
 
大正12年7月 長男信一誕生。13年8月次男久雄。14年9月三男晃。
昭和3年 長女恵美子誕生。3男1女をもうけ、家族6人で赴任したロンドンでの暮らしがその後の、美喜の人生を大きく変えるきっかけになります。
 

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美喜の父もとても厳しい方でしたが、イギリス人の子供に対するしつけに、美喜は何度がハッとする場面に遭遇します。
例えば、最初の赴任地に向かう船内での事、夕食を知らせるどらの鐘が鳴った時、4歳ぐらいの子供とイギリス人の婦人がデッキに居ました、子供はそこにある碁盤の碁を三組全部ひっくり返して遊んでいました。
当然、鐘が鳴ったので子供は立ち上がり行こうとしましたが、その母が全部6つの入れ物に、白と黒とを元通りにするまで食事は後です、当たり前の事ですが、その片付けに1時間近くかかれば、ついつい手を貸してしまいますが、絶対手は貸しません。
 
翌日も、小さい子が甲板で転ぶと母親は立ったまま、子供が自分で立ち上がるまで手を貸しません。
美喜がその行動を見ていると、こんな事を、その母は言いました。
 
「自分で転んだのに自分で立ち上がれないような子は、大きくなっても1人前に独立は出来ません」私はこのイギリス婦人の人つくりの精神に重ねて感心させられましたと、ご自身の本に書いていらっしゃいます。
  
この後、エリザベス・サンダースホーム設立のきっかけになる、ロンドンのドクター・バナードス博士にお会いして、「ドクター・バナードス・ホーム」という孤児院での出会いが彼女の第3の人生への幕開けとなります。
 
次回へ続く。
今回の写真は、家族6人でロンドンに渡った時の写真と、昨日訃報のお話を聞いたので今回掲載させて頂きますが、美喜がサンダースホームを開いた年の最初の入所者のサミーさんが先月の22日に69歳でお亡くなりになりました、ご冥福をお祈りします。
その当時の写真です。そして、現在のエリザベス・サンダースホームです。

2018年5月 6日 (日)

ゴールデンウィークが大磯にも関わりが?

今日でゴールデンウィークが終わりました。
私のA very busy weekも一段落しました。
 
ところでこのゴールデンウィークの由来・語源はというと?
まず和製英語だと言うことです。
 
【以下語源由来辞典より】
ゴールデンウイークは、1951年(昭和26年)、現在のゴールデンウイークにあたる期間に上映された映画『自由学校』が正月やお盆興行よりヒットしたのを期に、多くの人に映画を見てもらおうと、当時、大映専務であった松山英夫氏による造語で和製英語。
呼称の由来は、ラジオで最も聴取率の高い時間帯「ゴールデンタイム」に習ったもので、当時は「黄金週間」と言われていたが、インパクトに欠けることから「ゴールデンウイーク」となった。【ここまで転載】
 
この映画が上映される頃には作者の獅子文六氏は大磯にお住まいでした。
1950年から大磯に住んでいます。
この時期に朝日新聞へ連載したのが「自由学校」です。
 
そうすると「ゴールデンウイーク」がとても身近に感じられますね!

2018年5月 5日 (土)

「相模国府祭」今年も円満解決!

これ以上の好天を望む方が無理と言うほどの五月晴れに恵まれた国府祭(こうのまち)でした。

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相武国(さがむ)と磯長国(しなが)が合併して出来たと言われる相模国が成立した際に寒川神社と川勾神社のどちらが大きい神社か論争した様子を儀式化した「座問答」です。
 
虎の皮を互いに譲り合って長い、そうです千年以上の論争を経て、仲裁役が「いずれ明年まで」と今年も円満解決で締めくくりました。
その納め方に見ている人から思わず「拍手!」が。
 
そして今年は天皇陛下即位30年を記念して寒川神社・川勾神社・比々多神社・前鳥神社・平塚八幡宮と総社の六所神社の大神輿の渡御が行われ馬場公園には威勢のいい掛け声が響いていました。
この様子を見学しようと、例年に増しての来場者あったように感じます。
 
この国府祭は現在、神奈川県無形民俗文化財に指定されています。
ここ数年国の指定文化財への登録を視野に調査・研究が進んでいます。
是非、来年は「国指定文化財」として実施することが出来れば良いなと思います。
しかし、何よりも、「国府祭」を通じて「天下泰平」「五穀豊穣」を願いたいです!

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2018年5月 4日 (金)

ゴールデンウィークはA very busy week

今年は連休を取りやすい曆です。
確かに1日(火)と2日(水)のウイークデーに年休等を入れれば9連休になります。
そうなると忙しくなるのが私どものような観光業です。
 
今朝方は天気も余り良くなかったので今日の来場者は余りないと思って気を抜いていたら・・・・・・?
天候の回復と共に今日も大勢の方が来磯してくれました。
嬉しい誤算です!
 
しかし、事務所でのデスクワークが全く捗らなくなるので自然と自宅作業になります。
久しぶりに腰に疲れがきているようです。
ゴールデンウィークが開けると理事会を皮切りにフォトコンテストの写真展に5月オープンガーデンに総会の資料の出稿が入り、忙しさも佳境になるので、悪化させる前に直さなくては。
と言いながら無理をしないと回らないのが実情なんですよね!

2018年5月 3日 (木)

施行から71周年の「日本国憲法」

憲法が施行されてから71周年を迎えました。
ブログを始めて8年数ヶ月の時が経ちます。
毎年5月3日はやってくるのですが憲法のことを触れるのは初めてです。
世論の盛り上がりも余りないようですし、肝心の国会が停滞している状況では致し方ないのかなと思います。
 
政府は憲法改正に向けて自衛隊の根拠規定の明記など4項目の条文案を今年の3月にまとめましたが、相次ぐ不祥事に野党は反発。そしてある意味、常套手段の審議拒否。
与党は野党に審議の場に出てこようとあの手この手で呼びかけるも八方塞がりの状況が続いています。
 
こうした状況も分からないではないですが、日本を取り巻く国際情勢は劇的に変化し、急速な少子高齢化や技術革新に伴う諸課題にも直面している事実を直視すると終戦直後に制定されたままの憲法で、本当に対応しきれるのかなとは思います。
新たな問題・課題も生じているのも事実です。
 
個人的には、世論は自衛隊が「合憲」だと考える人は少なからず増えています。
世論調査によって大きな差があります。安倍政権下ではと付くと状況が大きく異なります。
しかし、「合憲」が「違憲」と思う人を多く上回っていると感じます。
 
一方では、多くの憲法学者は自衛隊は「違憲」との立場を取り、中学校の教科書の大半が、違憲論に触れている現状はこのままで良いのかなと単純に思います。
そうした意味では、自衛隊に正統性を付与し違憲論を払拭する意義はあるのかなと思います。
 
安倍政権で憲法改正をする資格がない。
行政府の長が改憲の旗を振るうのもおかしい。
こうした意見があるのも承知しています。
 
しかし、今日の憲法記念日くらい、国民が憲法改正の意義を考え、議論を重ねることはとても必要だと思う一日です。

2018年5月 2日 (水)

【大磯今昔・澤田美喜4】(Vol.71)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.10.31】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
澤田美喜さんのシリーズの続きです。(敬称略)させて頂きます。
 
前回は、キリスト教との出会いから、東京女子高等師範(現在のお茶の水女子大学付属)学校を退学して、家庭内の勉強に入りました。
とわいえ、岩崎家ですので素晴らしい教育が行われました。
学校教育よりも厳しかったかもしれません。
 
特にこの時代であるのに(明治時代後半から大正にかけて)、英語教育に関して美喜の母(津田英語塾を卒業)はこんな事を言っています。
「日本人は、外国に行って社交界の中にはいっても、たいへん見劣りがするものです。
外見も、服装も、そして、身につける宝石にしても、何一つかなわないのだよ。
しかし、たった一つ、彼ら以上になれるものがあります。
それが語学なのです。
外国人はどこへ行っても英語が通じると思って、少しも他の国の言葉を勉強しない。
貴方は、何処の国へ行っても、まず第一に言葉を勉強しなさい。
そして、全ての話題にはいることのできる、広い常識をもつことを心掛けなさい」
この言葉を糧に、美喜は一生を通じて語学を行く先々で勉強したそうです。
 

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そして美喜も年頃になり、数知れない縁談が来ますが中々、思う様な方が現れません、何故かというと、世間では財閥のお嬢様ですので、当然お相手は子爵や男爵、華族、そうゆう方や、又ご子息でした。
 
ところが、美喜はそうゆう輩が大っ嫌いでした、親の陰に隠れたり、親の身分をかさに着たり、そんな訳で双方の望みはかみ合いませんでした。
 
ある時美喜の思い(外国生活をして、語学の勉強をすることと、キリスト教に入るチャンスに恵まれること)と、重なる方が現れました。
 
後に総理大臣になられます、加藤高明(奥様は美喜の叔母・春路)、幣原喜重郎(奥様は美喜の叔母・雅子)の紹介で外交官の澤田廉三とお見合い、三か月後には結婚、第2の人生のスタートです。
次回に続く。
写真は、結婚披露宴の会場、美喜の晴れ姿、新婚を過ごした、澤田廉三の実家が有る近くの、鳥取県浦富の浜(サンダースホームの子供達の臨海学校の場にもなった場所です)、3年程前に現地に伺って撮ってきた写真です。

【大磯今昔・澤田美喜3】(Vol.70)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.10.24】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
澤田美喜さんについて引き続きお話しをしていきます。(敬称略)
 
11歳の大磯での病後静養中の出来事の後、彼女の人生は大きく変わります。
東京女子高等師範(現お茶の水女子大)の付属高等女学校を中退します。
(何故かというと、真言宗の家系にキリスト教という異教徒の考えが入ることを祖母が心配をしたからです。)
 
そして、家庭での教育を始めます。
家庭での教育と言っても財閥であります岩崎家のお嬢様の教育ですのでそれは、素晴らしい先生方が付くことに成ります。
 

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国語・漢文・和歌は関根正直博士(日本の国文学者・学習院教授・宮内省御用掛をした方)。
日本画は野口小恵先生(日本美術協会会員・花鳥・人物画を得意として、皇室御用品として用いられ)画家として名声を馳せた方。
お習字は代々、加賀藩の御祐筆(身分の高い人に代わって文章など書く人。)だった、西田単山先生。
お茶とお花は、小堀遠州(茶人・建築家・作庭家・書家・遠州流茶道の祖)の子孫の方。
油絵は石川寅治(明治時代から昭和時代にかけての洋画家・版画家・で高知出身)は、後に東京教育大学の講師も務めている。
英語は、当初は津田梅子女史(日本の教育者・日本における女子教育の先駆者・岩倉使節団に随行した女子留学生の最年少だった。)に習いその後、梅子女史の紹介で、更に厳しい英国夫人より英語を学んだ。
この他、和裁・ミシン掛け・お料理・この三科目は美喜にとっては大変苦手だったと語っています。そしてこの担当は、母と祖母の担当でした。
 
特に、美和(祖母)さんは、「蚕を飼って糸をとり、つむいで織ることをしなければ、絹の着物を着る資格がないのだよ。」毛虫嫌いの美喜にとっては、こわくてたまりませんでした。
しかし、絹の着物を着る資格を得ようと一生懸命こらえながら努めました。
その名残りが、大磯の陽和洞のトンネルの中に、昔は大磯の家で、門の方から母屋に通ずるトンネルの途中にある三つの横穴(現在は閉じられていますが、見つける事は出来ます。)は、雨の降る前に桑を取って来てかこっておいたところで、美喜にとっては祖母との懐かしい思い出のある場所です。
 
何年かに1度、「岩崎別邸と澤田美喜記念館を巡る」ツアーが有ります、その時にこのトンネルの中の確認にいらしてください。お待ちしてます。
今回の写真は、陽和洞と桑を入れていたドアです。

2018年5月 1日 (火)

クールビズがスタート

もう5月です。
今日からノーネクタイやポロシャツなどの軽装で働く「クールビズ」が官庁や主立った企業でスタートしました。
今年で14年目になり、期間は9月末までです。
 
日頃からノーネクタイで過ごしている私には年がら年中クールビズのようなものなので、余りピンときませんが、それでも会議等に出席すると皆さんがノーネクタイで出席するので、一人だけ浮かずに済むことが一番嬉しいことですかね?
式典等の改まった出席以外にネクタイを着用することがないものですから。
 
それにしても、今日も「クールビズ」にふさわしい陽気でした。
各地で夏日、真夏日も記録したようです。
 
つい、一ヶ月ほど前には休憩時の煙草タイムには日なたを求めていたのが、いつしか日陰を求める時期になってしまいました。
 
世間では連休の狭間のようですが私には関係がありません。
今日も平成29年度の事業監査会に明日は理事会の準備に向けた会議が続きます。

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