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2018年3月

2018年3月30日 (金)

自宅PCのセットアップ

自宅PCのセットアップで一日が終わってしまいました。
Windows10が最新OSになったのは良いんですが、今までのアプリケーションがインストール出来ません。
 
最初から分かっていたのですが、アプリを最新バージョンに変えると、今まで慣れ親しんで使っていたアプリとは全く違う動作環境になります。
だから、できる限り旧バージョンで対応したかったのですがね?
 
これもひと昔の若い時であれば、常に新しいバージョンを求めてアップしていたことを思うと、こうした局面でも歳を重ねたのかなと、ふっと感じます。
変化についていくことが出来ません。
出来ないというより、億劫になってくるんですよね!
 
それでも事務所とのリモートアクセスやメール等の最低限の環境は整えることが出来ました。
今月は自宅作業が出来なかった分、ほとんど毎日の出勤になってしまいましたが、これで少しは落ち着いて仕事に取り組むことが出来ると思います。

2018年3月29日 (木)

4月のイベント情報

第92回大磯市
    4月15日(日) 9:00 ~ 14:00
    ○会場:大磯港
  ★エントリーの受付期間は4月1日(日)~4日(水)です。
  ※15日の大磯市は荒天が予想されるために中止になりました。

大磯オープンガーデン2017+大磯アフタヌーンティー
      27日(金)~29日(日)10:00~16:00
       ○会場:大磯全域

大磯オープンガーデンお庭めぐり(事前申込)
      27日(金) 9:30~13:30
       ○会場:大磯駅周辺のオープンガーデン参加のお庭

2018年3月20日 (火)

一週間の出来事

自宅でパソコンが使えなくなって、もう二週間が経ちます。 流石にフラストレーションが最高潮に達しています。 ちょっとした作業でも事務所に出向かなくてはいけませんし、一日、24時間を有効に使うことが出来ません。14日から色々な事業を始めアップしたい内容があるのですがそれも思うようになりません。
【14日】 第5回大磯町観光フォトコンテストの2回目の予備審査会を行いました。これで16日の本審査会に諮る作品が揃いました。 湘南国際マラソンの実行委員会があり、第12回の報告等も全て終わり、今日の実行委員会が第13回大会の実質的なスタートになりました。

【15日】 観光協会の本年度最後の理事会です。 無事に平成30年度事業計画(案)と予算書(案)の承認もいただき、これで年度末に向けての作業が出来ます。(こう言う作業が自宅で出来ないのが辛いのです!)

【16日】 第5回大磯町観光フォトコンテストの審査会です。 審査委員は大磯町中崎町長、大磯町重田商工会長に写真家の吉村氏と観光協会の大倉会長です。 単に作品の出来映えだけを競うコンテストとは違います。 観光協会としてポスター等として使用できるか等が大きな要素になります。 また、危険と思われるようなところからでないと撮るアングルの作品も、素晴らしい作品であっても選ぶ訳にはいきません。 カメラを向けてシャッターを切れば写真は写ります。 しかし、撮る難しさを痛感する審査会でした。

【17日】 朝から、月一回の定期検診でクリニックへ。毎回、数値の良さを褒められます。 特別に健康に気を付けて摂生している訳でもありません。 タバコは一日30本。食事は二食で夜はおかずだけで、ほとんど穀類の摂取はなし。休肝日もなし。これでほぼ半世紀、体重、ウエストも成人式の時の体型を保持しているのですから・・・・・?これが自分に合っている生活パターンだと思います。 本来であれば、今日はオフなのですが事務所に行ってまとめもの。

【18日】 第91回大磯市。 朝のうちは曇っていましたが、開会する頃には太陽も出てきて春らしい陽気になってくれました。 4500人程の来場者がありました。 久しぶりに魚の朝市もあり、スタート前から何となく活気がある雰囲気になります。 今日は埼玉県、日高市から「くりっかー・くりっぴー」と寒川町から「コロ棒」が来磯してくれて「いそべぇ・あおみ」と子どもたちとの交流を深めてくれました。

【19日】 午後から会長、総務企画委員長と専務理事として参加する定例会。 打ち合わせ後は事務所のレイアウト変更に伴う業者と打ち合わせ。 そして夜は週一回参加しているダブルスリーグ戦に。前リーグもAve.205で終了。今リーグもここまで同じくAve.205をキープ。 週一回でこのアベレージを維持できれば上出来。 腰の状態が良くなるにつれて、投げることが出来るだけで幸せと思っていたのが、いつしか気持ちは若かりし頃の全盛期のイメージを追い求めています。 そして、最後のパーフェクトゲームが1973年ですから、45年ぶり13回目のパーフェクトを目指します。今年中に!

【20日】 大磯町新たな観光核づくり推進協議会の会議です。 この事業も5年が経過します。 平成29年度事業報告と平成30年度の事業計画を審議しました。 神奈川県が横浜、鎌倉、箱根に次ぐ第4の観光として肝いりで選んだ伊勢原市の大山地区に三浦半島地区と大磯町の3地区です。 大磯町の目指す観光は大勢の観光客が日々訪れる観光地ではありません。 その面では神奈川県からすると事業内容に物足りなさを感じているのではないかと思います。 大磯町に住んでいる人が自分の町に誇りを持って、その結果が町民一人一人が観光大使的な役目を果たしたもらえるような仕掛けづくりをしています。 それが定住人口を増やすことにもなると思います。 他の観光地が目指しているのと同じような施策をしていたら、行政規模等で敵うはずがないので全てが亜流になってしまいます。 まだまだ陽の目を見ない資産が一杯あるのが大磯町です。 平成30年度には、その芽が一つづつ花になっていく予感を感じます。 ますます、忙しくなりそうです。 IPadで文章を書くのはとても疲れます。 そして写真もアップできないのが残念です! 今しばらく、こうした状況が続きます。

2018年3月13日 (火)

【大磯今昔・樺山資紀4】(Vol.57)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。

【16.08.01】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
樺山氏も今回で終了しますが、大磯町には親戚関係の方がいらっしゃますので、樺山氏のお話の不足部分とその親戚の方のご案内をして又、次の方へと続けたいと思います。

今回明治維新以後、樺山資紀さん(すみません、親戚のおじさんのように書きますが?)もしかり、岩崎弥太郎さんもしかり、大磯に別荘を持たれました初代と次世代(息子さんの、樺山愛助さん、岩崎久弥さん)、のギャプを物凄く感じます。

初代の人達は、武士の出で、維新に身命を賭して処した人たち、次世代は海外に留学して、西洋の文化や思想を学んだ世代でそんな方達が大磯に別荘を構えていたことに、新旧相いれての人達が大磯の街を盛り立てて下さったことに、感謝です。

愛輔さんも、久弥さんも10代でアメリカに留学していますし、両家とも東京の住まいは、東京駅を作った辰野金吾の先生のジョサイヤ・コンドル設計の家で、大磯でも樺山さんの親戚で、赤星弥之助邸は、このジョサイヤ・コンドルが設計した素晴らしい家でした。
(因みに、明治30年代後半にジョサイヤ・コンドルさんも大磯に住まわれていました)

今現在は、赤星邸は跡形もなくなってしまいましたが、シンボルツリーだけが残っています。
この赤星氏のお話を今回はします。
寛永6年(1853)~明治37年(1904)享年52歳先代は佐賀藩ですが、幕末に島津侯の傘下に入り、弥之助氏は鹿児島で生まれ、後に赤星家の養子となり、樺山家と親戚関係に成ります。

五代友厚に師事し神戸港の築港工事を引き受け成功し、薩摩藩の海軍御用掛となります。
後に、英国アームストロング社の代理権を得て、明治政府の御用達貿易商となり、巨万の富を築きます。

明治37年に大磯東小磯の約1万坪の地に先ほどお話しました、ジョサイヤ・コンドル設計の別荘を構えました。
著作権が有りますので、そのお写真は載せられませんので、現在の跡地と、向かいに画家の平賀敬氏のアトリエ跡地の写真を載せました。

弥之助氏は、古美術の収集家で、井上馨、田中光顕と三指に数えられ、国宝級の所蔵品を沢山所持していました。
尚、赤星一族の赤星四朗、六郎の兄弟は戦前に近代ゴルフの基礎を築かれた方達です。今回はここまでです。
他の写真は、樺山邸自然亭入り口付近、大磯小学校の表札(字は、吉田茂さんです)
(※写真は確認して改めてアップします。)

【大磯今昔・樺山資紀3】(Vol.56)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。

【16.07.25】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
前回に、樺山資紀さんを語るについて、お孫さんの白洲正子さん、次郎さんから見た、家系図について語りましたが、薩摩藩の「郷中」という教育システム、これも凄かったですが、樺山家の教育方針は、説明のなさ、理屈以前に体で覚えこませるというやり方とお話しましたが、正子さんが幼稚園の時です。

幼稚園の帰り道、突然靖国神社に連れて行かれ、そこで奉納の能を見ることに成ります。
当然最初は何か解りませんが本物を目にすると幼子でも心に残るのですね、後の彼女の生き方に大きな影響を与えて行きます。
この後、白洲正子・次郎さんの時間は作れたら又別の機会に語りたいと思います。

樺山氏は、薩摩藩士として維新で活躍し明治政府において要職を歴任、日清戦争では、貧弱(こんな言葉を使って、お叱りを受けるかもしれませんが)な西京丸で定遠・鎮遠という清国の軍艦を破り、後に海軍大将になられた方です。

大磯の海の別荘(二松庵)での過ごし方は、朝は4時半から5時起床、海に行き(昔は皆、プライベートビーチが付いていましたから、山縣公も、伊藤公も、吉田さんも)1年中まず顔を海水で洗い、口もゆすいだという話が有ります。
これは、大磯を海水浴場発祥の地と世の中に知らしめた、松本順の影響だと思います。

そして戻ってきてから、ひとしきり素振りをして汗を流してから朝食を食べられたと、特に晩年は山の別荘の農園で耕作にいそしむ静かな暮らしをしていたそうです。
「鳥打帽に、はげちょろげたセルの着物、兵児帯を無造作に巻き付けた」姿で、奥様もとても気丈な方で、我慢強いでも、こんなエピソードが、鹿鳴館のダンスパーティーで、着慣れない洋装のコルセットがきつく、我慢が過ぎて卒倒してしまったとか、そんな奥様のともさんも、大磯では、「薩摩の女」に戻り、陽気な人柄を発揮し、夫は妻の言いなりだったとか?

写真は、日本初の近代的小学校(現大磯小学校)、樺山氏が書かれた扁額、六所神社、高来神社、照が崎海岸入り口の石碑(ごめんなさい今週「渚の祭典」の為の、車規制の注意事項が貼られてました)。
(※写真は確認して改めてアップします。)

2018年3月12日 (月)

【大磯今昔・樺山資紀2】(Vol.55)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。

【16.07.18】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
今回は、樺山資紀(かばやますけのり)氏の2回目です。

樺山氏は、明治23年頃茶屋町1314外(鴫立川の河口)現ライオンズマンションに、別荘二松庵を建てました。
後東小磯に茶室風の家を建て、伊藤公より「自然亭(じねんてい)」と命名され、扁額も頂きました。
現、濱谷浩邸(主として戦後の報道写真を撮られたカメラマン)近辺です。

彼が、大磯での1番の関わりは、明治34年(1901)に、伊藤公、町長、樺山氏と話し合い、大磯小学校を日本初の近代校舎(文部省から専門技師を招き)に建て替えるように相談を受け、2階建ての近代的な校舎が完成します。(今なら、考えられない事ですね)
時に、樺山氏は文部大臣をしていました。

0312_2現在は、その建物は関東大震災で倒壊してしまいましたが、大正12年9月1日午前11時58分44秒と大磯町史の記録に残ってますが、何時も考えますが、誰が計ったのでしょうか?

ここで、彼は文部大臣に成る前は、海軍大将、海相、内相、文相、その後は台湾総督、警視総監等々。
経歴を調べますと、系図も調べるようになります。
樺山家の教育方針と言いましょうか、大きく分けてご案内しますので、皆様も付いて来て下さいね。

系図は、誰を中心に置くかによって変わりますが、皆様も良くご存知の樺山氏のお孫さん、白洲正子さん、ご主人の白洲次郎氏で系図を追います。
特にお2人は新婚時代、自然亭に6か月ほど住まわれています。

と、関わられます樺山資紀家、正子さん父方の祖父、(薩摩藩)、川村純義家(正子さんに対して、母方の祖父、薩摩藩)、大久保利通家(大久保利通の三男、利武・栄が次郎・正子の仲人、薩摩藩)、三島通庸家(大久保利通次男・牧野伸顕の妻峰子の父が三島通庸家(大久保利通次男・牧野伸顕の妻峰子の父が三島通庸・薩摩藩)は全て、薩摩藩出身です。

そして、薩摩藩には「郷中(ごうじゅう)」という、教育システムがあり、8歳から稚児となって20歳までこの中から、生まれるリーダーを中心とした自主的な教育により徹底した文武両道の教育がなされたのです。

そして樺山家では、更に鉄は熱いうちに打てという言葉が有りますが、子供には理屈より前に、体でぶつかっていく家風としていたのです。

息子の愛輔氏は13歳でアメリカに留学、孫の正子さんは14歳でアメリカに、留学しています。
この時代から、外国からの風をいち早く受けさせます。凄い。

次回に続けないと無理ですが、女優の木内みどりさん、フィギャースケーターだった、八木沼純子さん、西部の堤清二さん、等々。
系図は更に縦、横繋がります。
お写真は、現在の自然亭近辺と、親戚の現赤星邸近辺です。

【大磯今昔・樺山資紀1】(Vol.54)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。

【16.07.11】掲載文
縁にも繋がる、樺山資紀氏を改めまして、ご紹介していきたいと思います。
天保8年(1837年)生まれ~大正11年(1922年) 没84歳

島津藩士橋本与二郎の三男として生まれました。
27歳の時、樺山四朗左衛門(薩摩藩家老の家柄)の養子になりました。
幼少の頃から、礼儀作法、武術、儒学を習い、性格は朴直剛毅で人情家でした。
明治元年に鳥羽伏見の戦いに加わり、明治7年に西郷従道に従い、台湾征討に参加します。明治10年西南の役には熊本鎮台谷干城の参謀長兼衛戎(えいじゅう)司令官として、奮戦し被弾、再度負傷しています。
その後、陸軍少将より海軍に転じ海軍中将、海軍大臣となりました。

そんな頃、大磯の茶屋町(現ライオンズマンション)に明治23年別荘二松庵を建てました。
命名には二説有り、一つは二本の老松が敷地の中に有った事、もう一説は1本の太い松が二本に分かれてそれが双龍の如くに見えたとか?明治27年日清戦争へと続きます。

今回は当時を偲んで頂きたいのですが、最初の写真は海までプライベートビーチが繋がっていたころが偲べます。
そして、1本の松が今も残っていますが、当時の松にしては少し細いかも?
白洲正子さんは西行法師の本を何冊も出版していらっしゃいますが、直ぐ近くにある鴫立庵は、西行法師を偲んで建てられた庵です。
4枚目の写真は、正面が海で、右が鴫立庵(現・裏門)、左が二松庵跡地です。
では又、次回に続きます。

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2018年3月10日 (土)

お袋の墓参り!

8日がお袋の命日でした。
天気も真冬に戻ったような陽気でもあり、どうしても外せない会議やPCの不調により自宅での作業も出来ないので、今日、お墓参りに行くことが出来ました。

73歳での旅立ちだったので今の時代からするととても早かったのかも知れません。
私が40歳の時ですから、私に自由に動ける時間を沢山くれたのかなと勝手な解釈をしています。
カミさんのご両親も70歳代で送っていますので50代の始めで介護から手が離れています。

自分が生きていく上で、今日の今が一番若い!
そう思って、一日を精一杯の時を過ごそうと思っています。

明日は東日本大震災から丸7年を迎えます。
直接的に危機感を抱かなかった私の心の中にも、危機意識が薄れゆくのを感じることも間々あります。
知らずの内に風化が進んでいるのだと思います。

明日は「今日という日が3月11日を思い出す日になればいい」と、もう一度考える機会にしなければと痛感します!

2018年3月 9日 (金)

大磯町観光フォトコンテスト予備審査会

先月に締め切った平成29年中に撮った大磯町観光フォトコンテストに200点を超える応募がありました。
来週に本審査会を実施しますが、本審査にかける予備審査会を行いました。

周辺のコンテストに出された作品や過去の本会の入選作品と類似していないかの有無や撮影場所が危険なところからの撮影になっていないのか?
色々と見る視点があることを改めて勉強させてもらっています。

作品の構図や出来映えだけではないところにも気を遣って選ぶ作業に感心します。
どうにか本審査へ向けて絞り込みが出来ました。

2018年3月 8日 (木)

天候と同じ。こころも真冬に!

今日は真冬の寒さに戻りました。
天候と同じに、私の心も真冬状態です!

PCの入院先から今日も連絡がありません。
PCの買い換えも進めていますが、今まで使用していたPCデータのサルベージが可能だったのかも不明です。
新しくなるのは嬉しさが半分はあるのですが、今まで使用してきたアプリケーションのバージョンがかなり低いバージョンで作業をしていたので、これが新しくなるのも問題なのです。

同じアプリケーションでもバージョンアップする度に全く違ったアプリケーションなのかなと言った感覚になるはずです。
また、これに慣れるまで時間が取られるはずです。
そして仕事は年度末から新年度に向けて忙しさが佳境です。
う~ん!どうしようか?

2018年3月 7日 (水)

休みでも事務所に出勤

今更ながらPC作業が自宅で出来ない不自由さを味わっています。
メールはスマホやiPadで確認できます。
事務所のデータもリモートでiPadで確認できます。
しかし、細かな作業はiPadではとても出来ません。
今までPCが無かった時にはどのようにしていたのでしょうかね?

事務所では人にあったり、会議に出席してその間、作業が出来ずとも自宅で作業ができる安心感があった

ので、会議にもゆったりとした気分で臨めたのですが、ここ数日は電話も来客への対応も含めて焦りの気

持ちの方が勝っているようです。
久しぶりに時間が足りなく感じています。
休みでも事務所に出勤しなければ・・・・・・?

2018年3月 6日 (火)

まーこの誕生日

先月の中旬頃からパソコンの調子がイマイチです。 入院させましたが、現役復帰出来るか微妙な状況です。 今日は我が家の三番目の「まーこ」が11歳を迎えて誕生会です。 4月から6年生になります。 未だに彼女の特技である「笑顔」で周りをごまかしてしまうことは健在です。 I-padからだと写真の掲載が出ません。 Facebookの様に写真を自然に圧縮してくれれば良いのですが、このブログにはその様な機能はありません。また、I-padに写真データを圧縮できるソフトがあれば、対応できるのかもしれませんが、調べた限り見つかりません。 しばらく不自由なアップが続きそうです! 写真抜きでしばらくご勘弁下さい。

2018年3月 5日 (月)

【大磯今昔・木戸幸一3】(Vol.53)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。

【16.07.04】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
木戸幸一さんも今回で終焉を迎えますが、彼は昭和の近代史を語るのに大変緻密な記録を残した方ですが、祖父の木戸孝允氏も又、別の形で木戸日記を残しています。

今回は、このお2人の対比をしながら失礼ですが、木戸家のお話は終わらせて頂こうと思います。(敬称略)
まず、性格は孝允はロマンチストで悩み多き男。

幸一は、リアリストで戦局困難な時も常にマイペースだった。
孝允は、悩みすぎて、深く反省し、更に悩みが高じて44歳で亡くなられてしまったとか?

幸一は、常にマイペースで現実と折り合いを付けて着実に対応していきますので、深い反省とは無縁で、おかげさまで孝允の2倍の人生を送られました(89歳)とか?

では、風貌は孝允はきりっとした今流でいうイケメンで、女性や若者に人気が有ったようです。
坂本龍馬はこんなふうに評してます「胆有り、識有り、思慮周密なり」。

0305_3_2幸一は、身長152センチの小柄な方で、マイペースという事は別の見方をするとエゴイストの面も持っていて、嫌われることも多かったみたいですね。
徳富蘇峰は、「実に虎の威を借りる狐で有り、彼ほどの奸物(かんぶつ)は明治以来いまだなし」あくまでも、当時ご一緒に関わった方達の個人見解ですので怒らないで下さいね。
ご家族は、共に愛妻家でした。

孝允は芸者幾松、維新後に正妻となり「木戸松子」とのラブロマンスは有名ですが、子は成していらっしゃらないようです。
幸一の妻は、児玉源太郎の四女で、三人の子に恵まれ、長男孝彦は弁護士として東京裁判の弁護士の一人でした。
お二人、共通の趣味は日記だといえるのでは、幸一は多趣味で戦前熱を入れたのは、ゴルフでハンディは10まで行ったとか
お話はつきませんが、今回はここまで。
写真は、1日に多磨霊園に墓参に伺いました時の写真です。
木戸家のお墓、2枚目はロウソクおきが公爵伊藤博邦と書かれてました。
3枚目は、墓碑で幸一氏、お父様の孝正氏、御長男孝彦氏、お嫁さんは今年の1月23日に亡くなられていました、ご冥福をお祈り申し上げます。

【大磯今昔・木戸幸一2】(Vol.52)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
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【16.06.27】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
前回と同じく、木戸幸一氏を語ります。

氏は、第二次世界大戦期の政治家、侯爵、最後の内大臣。
木戸孝允(桂小五郎)の孫(大叔父・養祖父)
妻は陸軍大将児玉源太郎の五女ツル。
ここまで、前回でお話しました。

明治22年(1889) 東京生まれ
昭和 5年(1930) 内大臣府秘書官長
昭和12年(1937) 第一次近衛内閣のもとで文部大臣、初代厚生大臣
昭和14年(1939) 平沼内閣のもとで内務大臣。
従来の元老西園寺公望公や牧野伸顕公に代わり昭和天皇の側近として宮中政治に関与。
「木戸幸一日記」は軍人の被告らに対して、不利に働く事が多かったが、この日記は戦後史を語るうえでとても、貴重なものです。
終身禁固刑を受け服役。
判事団の一票差で死刑を免れました。

0305_2昭和30年(1955)健康上の理由から仮釈放されました。
昭和29年に大磯の地に土地購入をしてましたので、これをきっかけに大磯にて隠居生活を始められました。

前回でもお話しましたが、近くには、井上家(井上準之助氏の息子五郎)に嫁がれたお嬢さん(和子)がいらっしゃった事も有り、少しは心休まれられた時を過ごされたのではと思います。

今回は、間に合いませんでしたが次回までに、多磨霊園にお墓参りに伺いたいと思います。
今回は、前回の時に加藤高明氏や、高木兼寛氏、西周氏、そして、井上準之助氏のお墓参りに伺いました時に、井上家のお墓参りの写真です。

木戸幸一邸を、伊藤博文氏の邸宅が有った側から撮った現在の写真です。
では、又次回。

【大磯今昔・木戸幸一1】(Vol.51)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
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【16.06.20】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
大磯町観光協会のこの活動に参加するようになってから、1週間が本当に早く感じます。
更に明治から近代の歴史が走馬灯の様に過ぎて行きます。

その中で、今回もまた語らしていただきますのは、木戸幸一さん
大磯町西小磯に昭和29年に森村義行(森村財閥のご子孫)氏から買い受け、居住しました。

伊藤博文公が明治36年にご自分の邸宅に、時の尊敬する4人の元勲(岩倉具視、三条実美、大久保利通、木戸孝允)を祀り四賢堂を作られ毎日国家安泰を祈られたと、聞きます。

0305_1その元勲のお1人木戸孝允(桂小五郎)の孫で、明治22年(1889)7月18日生~昭和52年(1977)4月6日没88歳。
侯爵・貴族院議員・文相・内相・木戸日記の執筆者・東篠内閣の内大臣。

夫人は鶴子さんで児玉源太郎大将の四女です。
幸一氏の三女は、井上準之助の息子(五郎)の奥様和子さんです平成12年まで美智子皇后の女官長を為さってました。

嫁がれたお住まいは近く、200メートルも離れてないでしょうか、
井上準之助氏が「富春堂(ふしゅんどう)」と名づけ、庭には好きな植物をたくさん植えていて、100種のバラが咲く花壇まであったと言います。

白岩神社を挟んで、右側に木戸邸、左側に井上邸が有りました。
今回は、その近くのお写真を載せて次回に続けたいと思います。

2018年3月 4日 (日)

第10回東海道検定

0304どんなに大きくても、些細な小さな試験とか検定と言うと開始前には緊張して会場内には重たい空気が漂うものです。
今日は受験生ではないのですが、その重たい空気の中に身を置いてきました。

第10回目を迎えるNPO歴史の道東海道宿駅会議の主催する東海道検定の試験官を偉そうに勤めてきました。
検定の合間に2級・3級問題に目を通して見ましたが・・・・・?
私が受験する立場であれば間違いなく不合格でしたね。

やはり参考書に目を通しておかないと、単に東海道を歩き、つまみ食いにしているような、とってつけたような知識では対応できないと言うことです。
そうでなければ、受験する方に申し訳ないです。

今日の2級の検定に落語家の桂歌助師匠がチャレンジしてくれました。
終わった後の自らの採点では合格間違いなしとのことです。
早速、前祝いをしましたが・・・・・・?
師匠、本当に大丈夫でしょうね!

2018年3月 3日 (土)

主役不在の「ひなまつり」

今日は「ひなまつり」です。
いつの時代でも、子どもの健やかな成長を願う親の気持ちは変わらないものです。
ひなまつりも、そんな思いを大切に継承する日本の伝統文化のひとつです。
今年も各地で数千体ものひな人形が並ぶ迫力ある展示や、ひな祭りグルメなど、様々なひな祭りに関連するイベントが全国各地で開催されているようです。

Dsc07155自分たちの子どもはもう成長しきっています。
年齢だけは追いつかれないようですが、体力その他の面では子どもにはかないません!

自然と眼が孫に向きます。
我が家の一番下の、まーちゃんの初節句も10年前になります。

今年も「ひな人形」を飾りましたが主役の子ども達がいません。
この3人も週末にはテニスの強化リーグへの参加、中学校の部活にジュニアの練習会と中々忙しい日々を送っています。
これも健やかに成長している証かも知れませんね。
その裏返しで私たち夫婦も着実に歳を重ねていると言うことです。

孫たちは、今まで以上に健やかに!
そして、子どもには孫たちの目標に頑張ってもらい、私たちは健康に過ごせる機会にしていくことにしましょう。

2018年3月 2日 (金)

遡って関東に春一番

気象庁は今日の昼前に昨日に関東地方で春一番が吹いたと発表しました。
関東地方の春一番の4つの基準
 1.立春から春分の間
 2.日本海に低気圧
 3.東京(東京都心)で東南東から西南西の風
 4.前日より気温が高い
東京都心の最大風速は7.7メートルと、平均風速が8メートル以上という基準は満たしていませんでしたので、文句なしの春一番ではなく、総合判断での春一番の発表となったようです。
昨日は個人的に「春一番」を認定しましたが、正式に今年の「春一番」となりました。

ブログのトップに3月のイベント情報を掲載してありますが、4月からの「春・夏」のイベントチラシが出来上がりました。
チラシに掲載できなかったイベントもたくさんあります。
「春一番」も吹き、本格的な春が目の前です。
自分にあった催し物を探して大磯に足を運んでみて下さい!

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2018年3月 1日 (木)

春一番かっと思ったのですが?

春一番は立春を過ぎて最初に吹く強い南風のことです。
今年も立春後に何度か強い南風が吹いて「春一番」を思わせましたが、基準をクリア出来ずに「春一番」の発表はありませんでした。
そして3月を迎えた今日は、一時的に強い南風が吹き、今日こそと思ったのですが?

東海地方では昨日に、近畿地方では今日「春一番」が吹いたと発表されました。
九州北部・四国・中国・北陸地方では、今年はすでに「春一番」が発表されています。

ところで関東地方は?
関東地方でも台風並みの強風が予想されていましたが、一部の地域では基準をクリアしたものの、思ったよりも風速が弱く、春一番にはなりませんでした???

春の訪れを知らせる春一番です。
気持ち的には春の訪れを感じる気象現象ですが、現実的に「春一番」が吹けば雪崩や突風などが発生しやすく、大きな事故も起こります。

春の訪れを告げると言われている春一番ですが、要はただの強風です。
吹かなかったところで問題が起きる訳でもありませんし、吹かないに越したことはありません。
だから、今日の風を大磯での今年の「春一番」と自分で認定することにしましょう!

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