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2018年2月19日 (月)

【大磯今昔・加藤高明2】(Vol.45)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【16.05.09】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
加藤高明氏の2回目です。

私事ですが、昨日は父の命日で東京にお墓参りに行って来ました。
その時、そうだ確か加藤高明氏も東京にお墓が有った事を思い出しどうしても、お参りがしたく青山霊園に参りました。
ご存知の方が多いのでしょうか?物凄い広さです。
敷地面積7万9千坪、墓所面積3万9千坪、埋葬されている方、125,277体、立体埋葬施設に1,929体、その中に、加藤高明氏は勿論、大磯に関わりのある方がたくさん埋葬されていらっしてその方達の、お墓もお参りしてきました。

例えば、三島通庸、林董、後藤象二郎、高木兼寛、西周、井上準之助、吉田さん関係で、三女の和子、牧野伸顕等々。
それぞれの方の時に、お墓もご案内します。

本題に戻ります。
加藤氏は、明治20年(1887年)より官界入りしますが、三菱に居る時に、ロンドンに留学した際に、そこで陸奥宗光に出会い、その関係から井上馨、伊藤博文、大隈重信といった政府首脳らと知り合い、後に引き抜かれています。

又、松方正義が大蔵大臣であった時には、大蔵省に引き抜かれました。彼の頭脳明晰は周知の知る所では有るのですが、彼の無愛想な性格が災いして、政治家としては遅咲きな方だと思います。

明治33年には、第4次伊藤博文内閣の外相に就任し、日英同盟の成立に努力します。
この2年後ぐらいでしょうか、大磯に別荘を買い求めます~その地は、大磯に初めて海水浴場を開設した松本順の地で、約1000坪ほどあったと言われています。

明治41年西園寺内閣の外相、大正2年桂内閣の外相、同3年に大隈内閣の外相の時、第一次世界大戦が始まり、日英同盟により参戦して日本の世界的地位を高めました。

次回は、彼が総裁になり成立させた法律等、他について語ります。
写真は、お墓に有りました手水鉢の家紋です。
次回は、お墓もご一緒に掲載します。

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