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2018年2月14日 (水)

【大磯今昔・大倉喜八郎2】(Vol.41)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【16.04.11】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
大倉喜八郎は、鉄砲商から身を立て明治維新後の軍事関係の需要を独占し、「大倉組」を中軸に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品、などを起業し、一大コンッエルンを形成しました。

前回で、政府の「岩倉使節団」が出立した半年後、大倉公も世界情勢の視察に出たお話をしましたが、帰国後、日本初の貿易商社「大倉商事」を設立し初の海外支店をロンドンに設けました。
後に、外国貿易を通じて外国の脅威を肌身に感じ、国を憂う熱意が後継者育成へとかりたてられたのでは?

私財を投じて、いくつかの学校を創立します。
その1校が、明治33年に私財50万円(現在の役1万倍)を投じ、公の還暦、と銀婚の節目に「大倉商業学校」を創立しました。後に、「大倉商業学校」は、大正8年に「大倉高等商業高校」に昇格し、東京高商(一橋大学)、神戸高商(神戸大学)、横浜高商(横浜国立大学)、小樽高商(小樽商科大学、と並び日本の五大高商と称されました。
現在、「大倉高等商業高校」は東京経済大学です。
まだまだ有りますが、今回は載せる写真で悩みました。

顔写真は著作権の事も有り、私はなるべく作られた建物とか住まわれていた町のお写真とか~、そして現地に赴いてと思い、今回は東京に向かいました。

0214_2「大倉集古館」は、今改修工事をしているのは知っていたのですが(2019年まで)、残念ですが今回は諦めて、昨年行ってまいりました所を思い出しました。

皆様は、ご存知でしょうか?日本橋、小伝馬町に「善行」、「喜八~きっぱ」と呼び合っていた、若くて夢を語っていた2人に出会って居た方が、この2人に救ってもらおうと、「安政の大獄」で、若くして処刑された人たちの供養の場所を作って欲しいと。国から、払い下げられていたこの地に、処刑場跡という事で、中々町としての整備もおぼつかず、悪いことばかりが重なっていたそうです。この地の整備の為のお金を快く引き受けてくれたのがこの2人です。

感謝を込めて「大安楽寺」と名付けました。
そちらに、お参りに伺い、住職にお話を聞く事が出来ました。
2人の布石となる物はないですかと、尋ねましたら、お2人の署名入りの書面は有りますが本堂の奥の金庫に入っているとの事、今回は急な訪問でしたので次回にとお約束をして今回は失礼しました。

お寺の向かいには、十思公園が有りそちらに、吉田松陰の石碑や、刑場跡の石組の写真も有りました。(念仏)
昨日、撮ってきた写真です。大倉さん、安田さん、のお慈悲に感謝。
因みに、本堂はコンクリートで、この工事は大成建設、セメントは浅野セメント、等々。

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