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2018年1月

2018年1月31日 (水)

スーパー・ブルー・ブラッドムーン

今夜は「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」
えっ!「皆既月食」ではないの?
そうです。皆既月食です。

月の距離が地球に最も近くなる「スーパームーン」
月に2度目の満月となる「ブルームーン」
そして皆既月食により月が赤っぽく見える「ブラッドムーン」がすべて同時に起こりました。

この現象を「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」と呼ぶそうです。
そして、地球上でこの3つが重なるのを観測できるのは35年ぶりです。
アメリカでは、実に150年ぶり。

みんな空を見上げるわけです!
もちろん私も時を忘れて見上げました。首が痛いです。

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2018年1月30日 (火)

インフルエンザが近くに

全国各地でインフルエンザ患者が急速に増加している様子で、各地の学校等における学級閉鎖等のニュースが賑やかです。

中学1年生の孫娘が明日から3日間「学年閉鎖」でお休みだと。
学級閉鎖ではなく学年閉鎖です。
それだけ大磯中学校でもインフルエンザが流行していることなんですね?

お陰様で我が家の7人は一人も風邪もひかずに元気にいるのですが、いつインフルエンザ菌が忍び込んでくるのか分かりませんので油断は出来ません。

今年は感染力が強いA型とB型がダブルで流行し、一度、直ったと思っても、また、罹患する悪循環もあると聞いています。
同じ型でも毎年ウイルスが変異しているのですからやっかいです。

インフルエンザでも毎年、進化しているのですから、まだまだ私も成長、進化しなければいけないんですね?
そのためには健康第一。注意しましょう!

2018年1月29日 (月)

【大磯今昔・左義長・六所神社】(Vol.28)

○毎週一回程度で紹介していましたが、頻度を上げて紹介します。
大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【16.01.11】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
大磯町観光協会の一員として、今日は左義長本番です。
あこも、他の団体のお手伝いでガイドに出ます。
お会いできると、嬉しいです。
昨日、スタンプラリーを完成しましたのでその写真と、ゲットした物の写真を添付します。

0129_3今年の恵方は、南南東からの、火入れです。
是非、豪快かつ、勇壮で、神秘的な燃え尽きるサイトが崩れゆくところは何とも言えない憂愁が漂い、思いにふけっていると裸のヤン衆による、ヤンナゴッコという奇祭が始まります、後は、本番、北浜海岸でお会いしましょう。

ここから、前回の続きの六所神社の御神像を守って下さった、時の権力者のお話です。
大化の改新以後、国司が国を治める様になると、六所神社は相模の総社ですので、相模の国に派遣されます国司は少し身分の高い方だったのでは?
その方から、奉納されたと思われます。

その後の運命と申しましょうか、現在まで保存状態が良いのは、平安時代後期、治承4年(1180年)、10月16日、源頼朝公が平維盛と、富士川の合戦の戦勝祈願を六所神社でします。
その年の、10月23日、勝利し北条時政を始め25名の論功行賞を六所神社で行いました。
そして、文治2年(1186年)、本殿の御造営が頼朝公よりなされました。

鎌倉時代に入りまして、建久3年(1192年)、頼朝公の妻政子の安産祈願、神馬奉納。(総社柳田記)とあります。

戦国時代に入ると、小田原2代北条氏綱により社殿の御造営、4代氏政でご本殿の修復(本殿内の朱塗りの扉等)、この時代に本殿下の石垣(野面積み)が、作られ、当時の土木技術の高さを物語っています。因みに石は、鷹取山の西、生沢「谷戸」の石を使っています。

江戸時代に入り、家康公をはじめとして、50石の寄進、慶安元年(1648年)、徳川家光、国家安全祈願、以後歴代将軍の祈願に六所領への寄進あって明治時代に至っていますが、特記すると、享保3年(1718年)、8代吉宗公の頃、本殿屋根の修復、文化2年(1815年)、11代家斉公の頃、幣殿、拝殿の造営、そして、平成3年(1991年)、皇紀2650年のご造営があり、現在に至ります。

すごい歴史で守られてることをお伝えしたかったのです。
(皇紀とは、明治5年に決められましたが、初代神武天皇の時代から表す表現で、紀元前660年を加えて表す表記です)。

六所神社は、10代天皇崇神天皇の時代のご創建です。

では、次回は、血盟団事件の井上準之助、お嫁さんの和子さんのお話にしたいと思います。
本年もよろしくお願いします。
写真は、あまり良く撮れませんでした、ごめんなさい。

【大磯今昔・六所神社】(Vol.27)

○毎週一回程度で紹介していましたが、頻度を上げて紹介します。
大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【16.01.04】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
本年もよろしくお願いします。(注:平成16年1月)
初投稿から、迷いました。
今迄通り、続きのい行で、いこうと思いましたが、今回だけ、タイムリーなお話をさせて下さい。

昨日、六所神社では、1年に1回の御神像特別公開日でした。
フェイスブックの仲間たちからも、お知らせしたと思いますが、
そのガイドを担当させて頂きました。

平成23年度から御神像の一般公開が始まりましたが、その経過は平成18年に神奈川県神社庁設立60周年記念特別展を開催するにあたって、神奈川県下の神社に調査が入り、この御神像が発見され、平安時代後期(11世紀)の作で、相模の国の国司奉納と伝えられています。

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この神像は、平成18年に大磯町有形文化財、平成21年に神奈川県重要文化財に指定されました。
この像は、六所神社の御祭神で有ります、櫛稲田姫命、スサノウ尊と推察され、神奈川県では、ご夫婦の像は大変珍しく、御神像としては、最古のものの一つです。木造一木造りで、保存状態が非常に良く、平成18年に行われた特別展では我が町、六所神社の御神像がポスターの中心を飾ったとか。

平安時代後期の作といえば、約1000年近く前の作が、何故存在できたか?
それには、2つの理由が有ったと、アコは推察します。

その1つは、まず大火、天災を免れた事(関東大震災にも、びくともしなかった)、この時代には戦国時代も有りますので、近々の寺社、仏閣も焼きうちにあっています。

その理由2は、時代の最高権力者達が、六所神社に対し、崇敬誠に篤く、その時々の時代に、造営、修復、寄進をした事です。
そのお蔭で、本殿奥深く眠っていた御神像が、現代まで守られたのです。

では、次回にその最高権力者達がどんな寄進をされたか、とても興味深いお話をさせて頂き、いつもの「大磯今昔」のあこちゃんです~に、戻ります。

2018年1月28日 (日)

地獄から這い上がり手にした「優勝」「敢闘賞」

大荒れの大相撲初場所が終わりました。
白鵬・稀勢の里の両横綱が早々に途中休場になり、一人横綱になった鶴竜は10日目までは進退をかけた場所とは思えない快進撃で優勝争いを引っ張り盛り上げてくれましたが、後半戦に4連敗と崩れて11勝止まり。

しかし、進退をかけた場所を考慮すれば立派に15日間の土俵を勤め上げたと思います。
春場所こそ真の復活を掛けた場所になることを期待したいですね。

そして、優勝した西前頭3枚目の栃ノ心関の快進撃は立派です。
平幕での優勝は12年夏場所の旭天鵬以来です。
優勝に併せて殊勲、技能のダブル受賞も平幕での14勝という成績を考えれば文句なしでしょう!

表彰式で天皇賜杯の授与、優勝インタビューにも館内の温かい太声援の裏には13年名古屋場所で膝に大けがを負い、4場所連続で休場し、復活後は西幕下55枚目からのスタート。

その一年前は小結の三役の番付にあったのですから幕下まで急降下すれば「何度も、辞めようと思った。」の言葉には実感があります。
それから6年の歳月を経て幕内に戻ってきて、今日の初優勝につながったことをファンは知っているからだと思います。

そして、もう一人敢闘賞を受賞した新入幕の竜電関にも毎日、大きな声援が飛んでいました。
新入幕で10勝も立派です。

竜電関も待望の新十両で迎えた12年九州場所で右股関節を骨折した関取でした。
骨折後の2年間相撲を取ることが出来ない間に番付は序の口まで下がって、関取を経験しながらの序の口スタートは屈辱的な思いがあったことと思います。
そして初入幕後の敢闘賞です。

苦労した分、早く三役に上がって欲しい関取です。
序ノ口からはい上がった関取経験者が三役に昇進して、角界史上最大のカムバックを実現させ、角界の語り草になることを期待したいです。

横綱稀勢の里の復活にも期待したいです。
春場所も新たな視点で楽しみになりそうです。

2018年1月27日 (土)

31日は夜空を見上げよう!「皆既月食」

来週の水曜日に日本全国で部分食の始めから終わりまでを見ることのできる、たいへん条件のよい皆既月食が起こります。

地球の影に入って皆既月食中は、真っ暗になって見えなくなるわけではありません。
「赤銅色」の赤黒い色になり、普段見ることのない神秘的な色になる月を楽しめます。

月食は肉眼で十分観察できます。更に双眼鏡や望遠鏡を使うとより鮮明に観察できます。

皆既中の星空を観察すると、皆既食が始まる頃は、明るい月の光に隠されていた星たちがはっきりと姿を見せるようになり天空の移り変わりも興味深い光景になると思います。

観測しやすい時間帯です。

今日現在の大磯町の31日の天気予報は「曇り時々晴れ」
懸念するのは、水曜日頃に南岸低気圧が接近するかも知れないとのことです。
しかし、きっと見ることが出来るでしょう! そう思うことにします。

 ○部分食の始め 20時48分
 ○皆既食の始め 21時5分
 ○食の最大(食分注) 22時29分
 ○皆既食の終わり 23時08分
 ○部分食の終わり 2月1日0時11分

資料と写真は国立天文台 天文情報センターから

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2018年1月26日 (金)

【大磯今昔・15年の総括】(Vol.26)

○毎週一回程度で紹介していましたが、頻度を上げて紹介します。
大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.12.28】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
今年最後(注・2015年)の投稿です。
そして今年の総括をしようと、約半年の反省をした結果、皆様に一つだけ、謝らなければいけない事が有ります。

それを、検証する為に19日、20日と萩、下関に行って来ました。
実は、伊藤博文公の投稿の時に、2番目の奥様の梅子さんとの、出会いの場所を間違えて報告してしまいました。

0126_15_2長崎の亀山社中と下関の亀山八幡宮を取り違えてお話してしまい、何時訂正しようか、本当に反省した結果、現場写真が載せられるまで、お許し願おうと今回になってしまいました。

伊藤公と梅子さんの出会いの場は、今も亀山八幡宮に表示板が有り、名前の由来になった亀も鎮座してます。表示板には、こんなことが書かれてます。

下関 亀山八幡宮 伊藤博文公夫妻史跡「お亀茶屋」跡
幕末のころ、北前船の寄港地として、海陸物産が集散し、西の浪華として栄えていた下関の街を、明治維新の志士たちが足しげく往来していました。

慶応元年(1865)年の初夏、刺客に襲われた伊藤博文が亀山八幡宮の境内で、茶屋のお茶子だった木田梅子に助けられたのが二人の出会いで、その1年後に夫婦になりました。~

明治の元勲と称えられた伊藤公と、公を支えた梅子夫人が結ばれたゆかりの場所です。~少し、抜粋させて頂きました。

来年度は、こんな事がないように、更に勉強、検証、確認して臨みますので、よろしくお願いします。
写真は、その亀山八幡宮、お亀茶屋跡、等々。

【大磯今昔・岩崎小弥太2】(Vol.25)

○毎週一回程度で紹介していましたが、頻度を上げて紹介します。
大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.12.21】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
前回で、小弥太氏がGHQの要求を断ったお話をしましたが、彼は「三菱が国家社会に対する不審な行為をした覚えはなく、また軍部官僚と結んで戦争を挑発したこともない。国家の命ずる所に従い、国民としてなすべき当然の義務に全力を尽くしたのであって、顧みて恥ずべきところは何もない」という信念に基づき、自発的な解散を拒否。GHQの指令による解体を望みました。

しかし、GHQは4大財閥の自発的解体に固執し、時の総理大臣幣原(しではら)喜十郎、大蔵大臣渋沢恵三(両夫人は共に、岩崎家出身)を小弥太氏のもとに走らせ、自発的に解体するように説得した。

仕方なく受け入れた、その翌日氏は、急に悪寒を覚え、彼は療養生活に入り、この年の12月2日に大動脈瘤破裂により、66歳でこの世を去りました。

財閥解体を見届け4代続いた三菱財閥は終焉を迎えました。
この非業の死は、残された者たちの結束を固める契機となりました。本当に、お疲れ様でした。

そして、大磯駅前の土地も、三菱財閥解体と共に政府に物納されることに成りました。
その後、3代までは買い戻す事は出来ませんでした。

この事が、後にエリザベスサンダース・ホーム、設立のネックになり、3代目久弥氏の長女である、澤田美喜が苦労することに成ります。
では、又次回に続く。
写真は、小弥太氏別邸時代の石碑や日時計が今も、山のホテルの庭園に残っています。

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【大磯今昔・岩崎小弥太1】(Vol.24)

○毎週一回程度で紹介していましたが、頻度を上げて紹介します。
大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.12.14】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(略呼称)
前回で、3代目岩崎久弥迄語りました。

基本「大磯今昔」ですので、大磯に住まわれた方をお話をするのですが、4代目岩崎小弥太を語らないと、三菱財閥の終焉になりませんので、引き続き語らせて下さい。

久弥52歳の時に、4代目社長の座を弥之助の長男に譲りました。
小弥太は(1879~1945)旧制第一高等学校から、東京帝国大学法科大学に進学しますが、中退して英国ケンブリッジ大学に留学、帰国後三菱合資会社の副社長となり、1916年4代目社長に就任しました。

そして、各事業部を分離独立させて、一大企業集団を形成「技術の三菱」の名声を築きました。
ここで、少し気になった事をお話します。

0126_2大磯駅前の弥之助の別荘を何故息子である小弥太に相続させずに甥の久弥に譲ったのだろうか?(明治43年)
昨日、実は箱根町の「山のホテル」に行って来ました。
あそこは、小弥太が明治44年、当初10万坪の土地を購入していました。
後に4万5千坪の土地に、ジョサイヤ・コンドルに依頼して山小屋風の家を建て、英国に留学していた時に覚えた、狩猟やゴルフを楽しむ為に作った別荘です。
何か所か他にも別荘は有ったので、大磯は要らなかったのかな?
確かに、あの場所では、狩猟もゴルフも出来ないし?

でも、北山南海1年中、温暖な気候でとても過ごし良いですよ。
少し横道にそれましたので、本題に戻します。

でも、そんな彼は戦後のGHQによる財閥解体で、三井、住友、安田財閥は指示に従い、自発的な解体を表明しましたが、小弥太はそれを拒否しました、結果どうなったのでしょうか?
次回へ続く。
写真は、現在の「山のホテル」、庭園から見たホテル。

2018年1月25日 (木)

48年ぶりの寒さ!

今朝の東京都心では、朝の最低気温が48年ぶりに氷点下4度まで下がったとラジオのニュースで目が覚めました。

こんなニュースを聞いて目を覚ましたら布団から抜け出せません。
傍らにいる愛猫「タマ」からも「起きないで!」「にゃ~ん」と懇願されます?

都心で氷点下4度まで下がるのは1970年1月以来。
大磯ではここまで気温が下がっていないのでしょうが、太陽が昇る前では外の様子が分かりません。

今朝の最低気温は鹿児島・奄美や沖縄を除き全国的に氷点下を記録して、最も低かったのは北海道喜茂別町で、氷点下31.3度まで下がったのですから、日本中が冷蔵庫に包まれた状況になっています。
寒いわけです。
そして、この厳しい寒さは週末の27日まで続く見通しです。

西高東低の冬型の気圧配置が続き、日本海側や山沿いを中心に吹雪や大雪になって大変でしょうが、これを乗り越えていただければ、その先には春が待っています!

しかし、大磯はお陰様で日中は風もなく、大きな青空が広がり穏やかな気候で気持ちが良かったです。

2018年1月24日 (水)

【大磯今昔・岩崎久弥2】(Vol.23)

○毎週一回程度で紹介していましたが、頻度を上げて紹介します。
大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.12.07】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
前回の宿題回答は~?

久弥氏に、御手付けの妓は、いたのか否かのお話でしたね。
色々、手を替えしなおかえ誘惑の手が伸びたみたいですが、全く靡かず、芸子衆が音を上げてしまったとか?
其の10万円を貰った妓は誰もいなかったということですね。
当主の皆様も仕方なく、其の10万円は福田会(明治5年、東京に窮民救済施設として設立された養育院)とか、愛国婦人会(明治34年、傷病軍人の慰問、救護を目的として設立された)とかに送ったといわれています。

0123その生き様と共に他の3代の方達はみな、50~60代でなくなっていますが、彼は数えの91歳まで生きられたのも、清廉潔白な生き方がこうをそうしたのか、はたまた、52歳で社長の座を弥之助の長男小弥太に譲ったのも後に、彼が長生きできた要因だったのでは?

大磯の別邸は、久弥氏のみならず北山南海の気候風土が初代総理大臣伊藤博文公が怪我をした時、この別荘に静養にいらしたり、妹(春路)の夫、加藤高明夫妻が海外勤務の時、子供達をこの別荘で預かったり、彼を取り巻く方達にも影響を与えたようです。

そこで、興味ある話を最近聞いたのですが、あの陽和洞は依然、レンガで出来ていて馬車に乗って通れるように、楕円型にくり抜いたのだとか、言われてみればそうかも~。

今は、コンクリートで固められてますが、そういえば当時、明治30年代後半、吉田邸の近くにジョサイヤ・コンドル邸の別荘も有りました。
岩崎邸といえば、上野の不忍池近くに今も建物が残っていますが、彼との深い関係が有ったと思います。陽和洞に行く機会が有ると、思わず指でこすってしまいます。

次回は、大磯には関係ないのですが三菱財閥終焉まで語らなければと思います。
4代目、小弥太さんのドラマも少し語らせて下さい。
写真は、上野の岩崎邸と、三菱のマーク、5月に高知に行ったとき銅像の下に書かれていました。

2018年1月23日 (火)

4団体合同新年会他

0123_2大磯町商工会・(公社)平塚法人会大磯支部・(一社)青色申告会大磯支部と(公社)大磯町観光協会の4団体で遅ればせながら平成30年の新年の顔合わせを大磯プリンスホテルで行いました。

参加する役員の方々は、4団体と言っても複数の組織の役員を兼務している方が多いので全員で80人ほどの参加です。
が、親交を深めることが出来ました。

今年は明治150年の節目に当たる年です。
国も大磯町では「明治記念大磯邸園」として整備すると閣議決定されて大磯町でも大きな動きがあるはずです。
まだ詳細については、発表できる段階にはないようですが、地域活性化のはずみになることは間違いがありません。

商工会を始めご無沙汰している役員とも久しぶりにお会いすることが出来ました。

夜は大磯町ボウリング協会の役員会です。
28日に4市2町親善ボウリング大会を大磯プリンスホテルB/Cで開催します。
2ヶ月に1度、小田原市・平塚市・茅ヶ崎市・秦野市の4市と寒川町・大磯町の各ボウリング協会が持ち回りで開催している大会です。

こちらも大磯町の協会は役員が少ないために、一人で何役も受け持たないと成り立ちません。
それでも皆さんに、大磯町から気持ち良く平成30年をスタートしてもらうために頑張ることにしましょう!

2月のイベント情報

第90回大磯市 
    2月18日(日) 9:00 ~ 14:00
    ○会場:大磯港
  ★エントリーの受付期間は2月1日(木)~4日(日)です。

大磯の梅の名所を訪ね食事を楽しむ
      23日(金) 9:00 ~ 14:00
    ○旧吉田茂邸・地福寺他
  ★事前申込み制(詳しくはHPを参照下さい!)

2018年1月22日 (月)

大磯、今冬の初雪かな?

南岸低気圧が相模湾沖を通過する予定で、午後から雪が予想されていましたが的中以上の天候になりました。
午後から白いものが降り始めてきたと思っているうちに、見る見る白銀の世界に変わってしまいました。
今日、1日の観光案内所への来場者は4人。
記憶にない程の少なさ!
この天気予報では、余程の用がない限り外出はしないですよね。

0122午後6時現在の積雪は、前橋市16センチ、東京都心13センチ、宇都宮市11センチ、横浜市と水戸市10センチ。
東京、神奈川、千葉、福島など1都10県に大雪警報が出され、東京23区への大雪警報は14年2月以来という。

東海道宿駅会議で掛川に行く予定でしたが、交通機関や高速道路の通行止め等が予想されるために、早々に延期を決定しました。
好判断でした。

月曜日ですから、週一でボウリングのダブルスリーグ戦があるのですが・・・・・?
延期・中止の案内が入らないのでこちらからブラインドを早々に連絡を入れるが、お客様の気持ちを理解していないのかな?とふと感じる対応です。
と、思っている内に6時過ぎに本日のリーグは中止ですとの連絡が入りました。

今夜の内に峠は越える予報ですが、明日の出勤時には混乱が残ると思います。

2018年1月21日 (日)

大磯市と小学生駅伝大会

今年初めての「大磯市」
回を重ねて今回で89回目を数えます。
土曜日が大寒でしたが、今日は朝の内に風が多少ありましたが、良い天気に恵まれました。

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最終的に4.200人越えの来場者をいただきましたが、感覚的にこんなに大勢の方がお見えになったのかな?と思うほどです。
気候が良い時と違って、滞留時間が明らかに短いためにそのように感じたのだと思います。

0121_2大磯町内では第64回大磯一周駅伝も開催されて、同時に第5回小学生駅伝大会も大磯運動公園で行われました。

観光キャラクターの「いそべぇとあおみ」はちびっこ駅伝の方に応援に行きました。
今回は、区間賞や新記録もたくさん生まれ、白熱したデッドヒートが繰り広げられたようです。
「いそべぇとあおみ」も応援のしがいがあったと思います。

2018年1月20日 (土)

【大磯今昔・岩崎久弥1】(Vol.22)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.11.30】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
今回は、3代目岩崎久弥氏について、お話します。(敬称略)

久弥は、岩崎弥太郎・喜勢の長男として、慶応元年(1865)に生まれます。
明治24年、米国に留学し、帰国後三菱社に副社長として入社します。
明治26年、29歳の若さで社長を叔父の弥之助から引き継ぎます。

久弥は、弥之助が進めた事業の多角化を確実に拡大すると同時に、弥太郎以来のワンマン・カンパニー的、経営体質から、合資会社を事業部体制にし、権限の移譲する近代的マネージメント・システムへの脱皮を計りました。

久弥は、家族と生活を大切にし、謹厳そのものの生涯でした。
娘の美喜(エリザベスサンダース・ホーム、設立者)が、こんな事を語っています。

美喜は、毎日寝物語でご先祖さまや父の話を祖母(弥太郎の妻)から聞かされます。
その話の中で、父の素行がすごく野暮なほど堅かった話で、その頃の大事業家は遊びにもきわめて、派手な方々が多く、大倉、三井、住友をはじめ、6~7名の当主の方が、その時代の10万円を某銀行に積み立てて、新橋、赤坂、柳橋の芸者さんたちに、父の手の付いた妓にこれを与えるという「10万円の懸賞」をかけたそうです。

その結果は如何に~?
次回に続く。
写真は、エリザベスサンダース・ホーム、の中庭に唯一、離れだった一部が残っています。その建物です。

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2018年1月19日 (金)

崖っぷちに追い込まれた!

昨年、2017.1.21のブログのタイトルが「稀勢の里、悲願の初優勝」としてアップしました。
そして横綱として迎えた、昨年3月の春場所13日目に左上腕や左大胸筋を負傷し、強行出場して逆転。
横綱として初優勝を果たした稀勢の里関でした。

この代償は余りにも大きかったようです。
翌場所以降は、その後遺症の他に左足首、腰も痛め、本来の馬力や力強さがどこかにいってしまいました。

そして、6日目の今日になり日本相撲協会に左大胸筋損傷疑い、左前胸部打撲との診断書を提出し、休場になってしまいました。

これで休場は5場所連続6度目となり、横綱在位6場所で皆勤は1場所では来場所以降には進退を問われそうな状況に追い込まれてしまいました。

それでも横綱の状況を心配しながらファンが望むのは強い横綱稀勢の里の姿です。
完全復活して、もう一度、いや、何度でも優勝する姿を見たいというのがファン心理です。

残る10日間は、白鵬に続き、稀勢の里も休場したことで1人横綱となった鶴竜。
鶴竜も昨年の6場所中5場所を休場して、今場所は進退をかけた場所になっているだけに稀勢の里のためにも完全復活ののろしを上げてもらいと思います。

今場所の楽しみの舞台は幕下のみになってしまいました。
幕下東9枚目の「湘南乃海」は今日も勝ちました。
これで3連勝です。
まずはもう一番勝って、勝ち越しを決めて白星を積み上げて欲しいですね。
そうすれば十両、関取が見えてきます!

2018年1月18日 (木)

氷点下71度2分の世界

気温が氷点下65度ってどんな世界なのでしょうか?
まして氷点下71度2分でも人間が生活している都市があるとは驚きです。

ロシア北東部、サハ共和国(ヤクーチア)一帯が大寒波に襲われて水銀温度計では「最深部」まで目盛りが下がったそうです。

ここは「人が住む場所としては地球上で最も寒い村」として知られる人口460人のオイミャコンからのニュースです。

更に、一部地域では氷点下67度まで下がったエリアもあり、オイミャコンで2013年に記録された同国最低気温(氷点下71度)に迫る超低温に見舞われています。

0118_oymyakon_eye女性たちが凍ったまつげをインスタグラムに投稿した自撮り画像を披露して、その寒さの度合いを世界に伝えています。

子ども達は氷点下40度までは通学していたようですが、さすがにこの寒波では休校。
故障した車を降りて近くの牧場に歩いて逃げこもうとした方達が途中で凍死という事故も起きています。

氷点下と聞いただけで「寒い」と思う私にとっては、とても人間が住む場所ではないと思っても、そこでは子ども達も毎日、元気に学校に行き、経済活動も行われているのですから頭が下がります。

そう考えると「今冬最強の寒波」と言われても少しは元気が出てきそうです。
が、そうは言っても、早く春の陽光が欲しい です!

2018年1月17日 (水)

阪神・淡路大震災からきょうで23年

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から、今日で23年です。
神戸市など大きな被害を受けた地域では、地震が起きた午前5時46分に合わせて遺族などが黙とうし、犠牲者を悼む催しが各地でありましたが、犠牲になられた方々に改めてご冥福を祈りたいと思います。

この震災では、近代都市と防災対策に対し、多くの教訓と課題が明らかになり、震度情報の重要性が強く認識され提供方法等も充実されました。
耐震設計基準も再検討されて、安全基準の普及・対策も図られました。

政府等の緊急連絡体制が確立されて、特に災害時の初動、危機管理体制も大幅に強化されました。

しかし、これらの対策が講じられてもその後に発生した東日本大震災を始め、地震以外でも予想を超える異常気象によって大きな災害が数多く発生しています。

予期せぬ災害は防ぎようがありません。
まして、地震王国の日本です。
いつ、自分の近くで地震が来るかは分かりません。

自分の住んでいるところだけは安心という、安全神話を捨てて日頃の準備をしていかなければいけないのでしょうね。
と言っても個人の力では限界があります。

6434人の魂が語りかけている一日だと思います。

それにしても大相撲初場所の横綱稀勢の里は大丈夫ですかね?
今日も琴奨菊関に敗れて4日目で3敗です。
横綱白鵬も負けて2敗目。初場所が荒れています。
一方では幕下の大磯町出身の湘南乃海は2連勝。こちらは楽しみなのですが。

2018年1月16日 (火)

【大磯今昔・岩崎弥之助2】(Vol.21)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.11.23】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
前回は、岩崎弥之助氏について語りましたが、三菱の事業の多角化を図り、基礎を築いた2代目でした。
1893年、弥之助は三菱の事業を会社形式に整えて、合資会社を設立し、弥太郎の長男である岩崎久弥に社長を譲りました。

その後、4代目日銀総裁に就任したが、公定歩合で政府と対立し、病気を理由に辞任。
そして、晩年体調を崩し、大磯や箱根の別荘(現・ホテル吉池)で、静養する事が多くなったと言います。
(因みに奥様は、後藤象二郎の娘)

弥之助も、残念な事に明治41年57歳の若さで亡くなりました。

久弥は経営を引き継ぐと共に、大磯の別荘も明治43年久弥が相続しました。
では、大磯の別荘について少しお話させて下さい。

大磯駅前に、現在2か所のご門が有りますが、左側が明治23年頃の当時のままの御門です。
看板は、澤田美喜記念館と有ります。
右側の御門には、エリザベスサンダース・ホーム、と、聖ステパノ学園の看板が掛けて有ります。

中に入りますと、右に陽和洞というトンネルが有りますが、エリザベスサンダース・ホーム、が設立された当時(昭和23年)この入り口と出口を、天国と地獄を繋ぐトンネルの様に言われた事が有りますが(後に、澤田美喜さんの時に語ります)、愛宕山を切り抜き抜けた所から相模湾の海を一望にした作りになってます。今は、海の見えるホールが建ち、当時を偲べます。そんな所に、別荘が建っていました。(敬称略)

次回へ続く。
写真は、ご門と陽和洞と箱根のホテル吉池

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2018年1月15日 (月)

【大磯今昔・岩崎弥之助1】(Vol.20)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.11.16】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。 
 
前回は、三菱の始祖岩崎弥太郎でしたが、51歳という若さで亡くなりました。
そして2代目を継いだのは、17歳年下の弟、弥之助です。
(2代目というと?そんな言葉を払拭するような働きをしていきます)

0115_2時代はどんどん変わり、三菱を支援していた大久保利通が暗殺され、大隈重信が「明治の政変」で失脚、三菱へのバッシングが強まり、海運業主体にしていた三菱に対抗して共同運輸会社を設立し、三菱と熾烈な値下げ合戦を行いました。
共倒れを危惧し1885年に合併し、日本郵船会社(現・日本郵船)を設立しました。

それまで三菱の中核事業は海運でしたが、日本郵船会社が設立された以後、海運業から手を引きますが、元々は海運業が主体でしたので起点として、造船業、当時は船舶燃料は石炭でしたので(今まさに、朝ドラの「あさが来た」を見て頂くと時代を彷彿させます)、鉱山経営に進出、高島炭鉱を買収します。
これがのちの三菱鉱業(現・三菱マテリアル)、さらに石油販売、石炭化学、石油化学と事業を多角化していきました。

三菱といえば、丸の内界隈に本社ビルが林立し、通称「三菱村」と呼ばれるビジネス街の基礎を作ったのも弥之助です。
当時、丸の内は藪たたみの荒れ地だったので、こんな広い場所を買ってどうするんだと?

明治23年、大磯駅前もそんな感じだと思いますが約32000坪の土地を、母堂美和の為に購入しています。
この先見の明は凄いものだと思います。次回に続く。

写真は、先日行って来ました、三菱1号館と、大磯駅前に現在もご門は残っています。

2018年1月14日 (日)

幕下の取り組みからも目が離せません!

今日から大相撲初場所初日が始まりましたが、4場所連続休場からの再起を期す横綱稀勢の里は、新小結貴景勝にとったりで敗れ、初日から土がつき不安なスタートになりました。

同じく4場所連続休場だった横綱鶴竜は平幕北勝富士を引き落としで白星発進と明暗を分けました。
稀勢の里は2場所連続で同じ相手に敗れ、相手の押し相撲に併せた負け方に不安が残ります。

それでもまだ初日。あと14日間あるのですから・・・・・・?
と気持ちの切り替えが出来れば良いのですが!

相撲はこうした横綱・大関の相撲だけではありません。

今場所、幕下で初めて一桁の東9枚目まで番付を上げてきた大磯出身の「湘南乃海」です。
今日の初日で白星を上げて、幸先良いスタートをしました。
ここで大きく勝ち越して三月場所では十両に王手を掛けて欲しいと思います。

もう一人、先場所から少し番付を下げてしまいましたが西36枚目 高麗の国にも期待が掛かります。
そして大磯出身の二人の力士に加えて期待したいのが平塚市出身の東2枚目の朝弁慶です。
こちらは今場所勝ち越せば十両・関取の誕生に限りなく近づきます。

関取とは十両以上の力士の呼称であり、力士として一人前に扱われる関取と、力士養成員扱いの幕下以下とでは、待遇等にに雲泥の差があるため、俗に「十両と幕下は天国と地獄」と言われる所以です。

今場所はこうした幕下の取り組みからも目が離せません!

2018年1月13日 (土)

英語でご案内:大磯左義長体験ツアー

大磯の左義長、賑やかでした。
多分?

今夜は駅前の観光案内所を午後8時までオープンして観光客の案内をしていましたので、午後6時30分に9つのサイトに火が入る時には北浜海岸に行くことが出来ませんでしたので現場の状況が良く分からないのです。

しかし、今冬、最強の寒波が襲来しているとのことですが、昼間は陽がさし風もなく穏やかな左義長日和だったので大勢の方がお見えになったことと思います。

案内所には夕方になると左義長のパンフレットを埼玉県や千葉県などの遠方の方が求めに来場いただきました。

0113午後から外国人向けの「英語でご案内:大磯左義長体験ツアー」の昼間の部だけ同行させてもらいました。

皆さんには左義長の映画やお仮屋、火が入る前の9つのサイトを海岸で見学してもらった後に、左義長の木札の作成、お団子作りを体験してもらいました。

そして磯じるを食べ、自らが手を掛けた団子をサイトで焼いていただくツアーです。

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この事業はNPO大磯だいすき倶楽部が主催で昨年から実施して(公社)大磯町観光協会が後援している事業です。
スケジュールの詳細は1月6日(土)のブログを参照下さい。
 http://oisoharu.way-nifty.com/blog/2018/01/2018-80d8.html

皆さんには大磯の異文化を堪能してくれたと思います。
今夜の左義長の下の写真は(公社)大磯町観光協会の森川理事から提供いただきました。

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2018年1月12日 (金)

一年前の初場所を再現!

大相撲初場所が14日に初日を迎えます。
4場所連続休場中の横綱・稀勢の里が出場に踏み切ったようです。

昨年は初場所で初優勝して横綱昇進し、続く場所では横綱として怪我を押して連続優勝を果たし稀勢の里にとっては絶頂にあったと思います。その後は、左上腕を痛めるなど満身創痍の場所が続き、どん底にまで落ち込んだ1年になってしまいました。

4場所連続休場からの再起をかける今場所の稀勢の里は初日に新三役の小結貴景勝、2日目は東前頭筆頭の北勝富士との取組も発表されました。
勢いのある若手の挑戦を受けます。

全休を除いた前場所を除いて左上腕を痛めて途中休場している間に、多くの金星を配給しました。

その金星の配給が、若手から見れば○○関が勝ったんだから自分も勝てると言う気持ちで向かってこられると、かなりの苦戦を強いられるでしょう。

大相撲も元横綱日馬富士関の貴ノ岩関への暴行事件等で解決にもすっきりとしない状況にあるので、稀勢の里には、もう一度一年前の初場所のフィーバーを再現して欲しいと思います。

2018年1月11日 (木)

七所参って八所(ヤアトコ)せ

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左義長も松の内(1月7日)が明けると各地区の道祖神に自宅の前に飾った門松やお飾りが集まります。
その門松やお飾りでお仮屋の周りを囲って子ども達が集まれるスペースを作ります。

ちょっと少ないとお隣の町内に松やお飾りを調達にしに行ったり。
逆に調達されたりのいたちごっこも懐かしいです!

そして七輪などを持ち込んでお餅を焼き、みかんなどを食べながらトランプ遊びなどに興じ、最後の楽しみはお賽銭を子ども達で分けてとても良いお年玉になることでした。

現在では松やお飾りを集めるにも苦労をしているようですが
それでも昨日の内から八所でお仮屋が出来ました。

(公社)大磯町観光協会ではこの八所の道祖神を巡るスタンプラリーを明日まで実施しています。
是非、お子様を連れて「七所参って八所参り」をしてみて下さい。

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2018年1月10日 (水)

今日は「110番の日」

今日1月10日は「110番の日」です。
非常に分かりやすい語呂合わせです!

昭和60年に警察庁が定め、平成27年中の110番通報の受理件数は約923万件もあるそうです。
この件数は約3.4秒に1回、国民約13.8人に1人の割合で通報したことになります。

110番通報を受けるとパトカー等に指令してから平均7分6秒で警察官が現場に到着しています。
これが早いのか遅いのか?

しかし、着実に早く到着できるには、年々緊急性がなく、本来は110番に掛かるものではない苦情や要望は増え続けています。
こうした緊急の対応を必要としない相談などで110番通報をすると、緊急の事件や事故への対応が遅れる要因にもなります。

警察庁は、緊急性のない場合は相談専用ダイヤル「#9110」番を利用するよう呼びかけています。

いずれにしても「110番通報」をしない、無くなるような世の中になるのが理想ですが・・・・・・?
正直、余りダイヤルしたくない番号です!

2018年1月 9日 (火)

【大磯今昔・岩崎弥太郎2】(Vol.19)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.11.09】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
前回、岩崎弥太郎(敬称略で、ごめんなさい)が海運業に乗り出したお話をしましたが、早速続けます。

明治7年の佐賀の乱に三菱は、台湾出兵に際して軍事輸送を全面的に引き受けることに成ります。
最初、三菱の中核事業となる造船業は、海運業に付随する船舶修理を起源としていました。
そして、当時「台湾出兵」は半官半民で、「日本国郵便蒸気船会社」は、消極的だったことから時の権力者、大久保利通、大隈重信を激怒させました。

当時、長崎には幕府が設立した造船所が有りましたが、明治政府は民間に払い下げる事を、決定します。
政府は、官有船の使用を三菱に認可すると同時に「郵便蒸気船会社」を解散させ、1884年(明治17年)、長崎造船所は三菱に貸与され、1887年(明治20年)払い下げられました。(現在、三菱重工業長崎造船所)

そして、弥太郎はこの激動の時期に残念だったと思います、1885年(明治18年)に、胃がんで51歳の若さで無くなります。
1887年は、奇しくも弥太郎3回忌の年でした。

0110_2次回から語ります、2代目弥之助は船舶修理中心だった長崎造船所に、積極的な設備投資を行い、世界的な水準を誇る造船所に成長させました。

この頃に、大磯の駅前に別荘を構えます。
昨日、皆様は大河ドラマ「花燃ゆる」をご覧になりましたか?
あの西南戦争(明治10年)でも、軍事輸送を全面的に引き受け、後の三菱財閥の発展の財政的基盤を築いていきました。

追記~三菱のマークについて一言。
三菱印は岩崎家本来の紋章である「三階菱」を岩崎弥太郎が人字形の「三菱」に変形したもので、のちに三菱事業の発展とともに世界の隅々まで、スリー・ダイヤモンドとして広く知れ渡るようになりましたが一説には、このマークは藩主山内家の紋章である「三つ柏」の形にヒントを得たものであると、「三菱銀行史100年」に載っています。
~因みにあこちゃんの旦那様は三菱銀行員でした。

(左の)写真は、今年長崎の軍艦島に行く途中に三菱長崎造船所の写真を撮りましたが雨が降っておりあまり鮮明ではありません、お許しください。

2018年1月 8日 (月)

平成29年度大磯町成人式

大磯町では今年267人(男 139人、女128人)が新成人になりました。

新成人の該当者が平成9年4月2日~平成10年4月1日生まれですので、総務省が発表する2017年12月31日、2018年1月1日現在における「戌年生まれ」の人口と「新成人」の人口の推計データとは異なります。

その結果によると戌年生まれの人口は976万人で、今年の新成人の人口は123万人との推計となり、新成人の数は去年2017年と比べると同じだそうです。
また昨年に続き8年連続で総人口に占める新成人の割合が1%を割り込むことも確認されています。

成人を祝う儀礼は古くからあります。
古くは男子には元服・褌祝、女子には裳着(もぎ)・結髪(けっぱつ)などが代表的な祝いでしょう!

戦後の1948年に公布・施行された祝日法により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨のもと、翌1949年から、1月15日を成人の日として制定されました

その後、1998年の祝日法改正(ハッピーマンデー制度)に伴って、2000年より成人の日は1月第2月曜日へ移動しています。

「いそべぇとあおみ」も新成人達と沢山の写真を撮ることが出来ました。

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それに比べて、昨日の北九州市で行われた成人式。
ネットでのタイトルが「【修羅の国2018】北九州市の成人式が今年もスゲェェェエエエ! 世界が驚くド迫力新成人44連発ッ!!」
この写真を見たら「絶句!」

https://rocketnews24.com/2018/01/07/1004918/

いつまでのサイトは残っていないと思いますが、興味ある方はご覧下さい。

2018年1月 7日 (日)

平成30年 大磯町消防出初式

穏やかな新春の陽気の中「平成30年 大磯町消防出初式」が挙行されました。
この出初式は広い運動公園で挙行されるために毎年、寒さとの戦いにもなるのですが、風もなく新春の日差しに恵まれて、消防団員を始め参列した方々には何よりのプレゼントになったことと思います。

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平成29年中の火災件数は13件、救急件数は1,595件もあるのだそうです。
これらの災害に、47名の消防職員と178名の消防団員によって大磯町民の安全を確保するために1年間、日夜働いていただいています。

こうした方々に感謝し、そして、日頃からの災害を子どもの内から知ってもらうこともあり(公社)大磯町観光協会では毎年「いそべぇ&あおみ」も参加しています。
今年は天気にも恵まれて大勢の方がお見えになりました。

そして、「今日の穏やかな陽気のように2018年が大きな災害等もなく一年を過ごすことが出来れば嬉しね!」と「いそべぇ&あおみ」と平成30年 大磯町消防出初式に臨みました。

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※町長と一緒に写っている保護者の方を始め大磯町女性防火クラブ、大磯マーチングバンドの了解をいただきアップさせてもらっています。

2018年1月 6日 (土)

大磯の左義長2018

来週の土曜日に国指定重要無形文化財の大磯の左義長が行われます。

0106

0106_2実は大磯の左義長は前年の12月8日(最近は8日に近い日曜日・昨年は3日でした)の一番息子から始まっているのです。

一番息子とは、石に縄をつけ、子どもたちが独身のいる家々を巡り、「○○さんにいいお嫁さんが来ますように、いちばーんむすこ」などと家人に頼まれた願いを唱えながら玄関先で石を地に搗きながら回ります。
そして、訪問先の家々からお菓子やお小遣いをいただけるので、楽しみに回りました。
こうした内容が各地で、その日(1月14日)だけに行われるどんど焼きとの違いもあります。

松の内(7日)が過ぎると子どもたちは正月のお飾りを集めて歩き回り、11日は松買いでセエトの材料となる松や竹を調達します。
そして町内各所に大竹やオンベ竹を立て、町内境に道切りのシメを張るほか、セエノカミサンのお仮屋を作り子どもたちが籠ります。

このお仮屋にあがったお賽銭も子ども達のお小遣いになるので楽しみの一つでもありました。

このお仮屋を回ることを七所参り(ななとこまいり)言いますが、今日では長者町が加わって「七所(ななとこ)参って八所(やあとこ)せ」とはやしたてられています。

(公社)大磯町観光協会では11日&12日の二日間、八箇所の道祖神めぐりのスタンプラリーも実施します。
こうした機に、お子様を連れて巡ってみて下さい!

そして9地区の18時30分に正月飾りを集めた高さ7~8mのサイトに、その年の恵方の方角から 一斉に点火され、夜空を焦がします。

ここ数年、外国の方々にも楽しんでもらおうという、ガイド付きツアーもあります。
日本に留学している方や、仕事やホームステイで滞在中の方などがいらっしゃれば、是非お誘い、参加してみて下さい。

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“Let’s have an unusual experience at Oiso Sagicho!”
By NPO Oiso Daisuki Club

You can make your Sagicho Kifuda, Sagicho dumplings. Find out unusual traditional culture.

■Date
January 13th ,2018( Saturday)

■Meeting time & place:
At 14:00 JR Oiso Station

■Time Schedule:
14:10 Start Oiso Station
14:30-15:00 Watch movie about Oiso Sagicho at Tokoin Temple
15:00-16:00 Visit Okariya
16:00-17:30 Workshops – Make Sagicho Kifuda, and Sagicho Dango.
17:30-18:30 Omotenashi – have a break, and try Isojuru.
18:30-19:30 Roast dumplings lightly and watch Yanna Gokko at Kitahama beach.
The tour ends at Kitahama beach.
All destinations are within walking distance. (About 10 min from JR Oiso station.)

■Fee
1,000 yen (Pay on the day in cash.)
- Materials for workshops and insurance included.
- Transportation expense between your place and Oiso-station not included.

Number of participants:
Up to 30 people
 
"SAGICHO" Traditional fire festival tour NOW Accepting !
 
https://www.oiso-odc.com

2018年1月 5日 (金)

【大磯今昔・岩崎弥太郎1】(Vol.18)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.11.02】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
前回からの続き、岩崎家初代総師、岩崎弥太郎について語ります。
もう4~5年前(※注 掲載時は3年ほど前)になりますが、大河ドラマの「龍馬伝」が放映されていました

があのドラマは、岩崎弥太郎から見た「龍馬」を語ったドラマだと言われています。

土佐の地下浪人弥次郎と美和の長男として生まれますが、あのドラマの冒頭、本当に汚く表現されていましたが、昨年12月に彼の生家を訪ねましたが、この貧しい暮らしから彼の中に不屈の精神が刻まれたのだと思いました。

武士に成りたかったが、貧しさゆえに中々思うようにいかず、有る事から、父の濡れ衣を晴らすべき行動が、逆に獄に入れられた時にも、ただでは起きませんでした。
獄中の仲間からそろばんを学び、商売への興味が目覚め、それがきっかけで、後に藩の有力者である吉田東洋に認められ、その甥、後藤象二郎(この方も大磯に別莊を構えます)に、慶応3年、藩の商務組織・土佐商会の長崎留守居役に抜擢されます。

弥太郎は、長崎で藩の貿易を全て管理才覚を発揮していきます。
この時に、坂本龍馬達に出会います。
そして、長崎閉鎖後大阪に移り、事実上の責任者になります。

明治3年、大阪商会を「九十九商会」(つくも)と改名。
廃藩置県により、明治5年「九十九商会」は、当時の幹部だった3人の名前(川田小一郎、石川七財、中川亀三郎)の姓に因んで、「三川商会」と改称、経営を存続させました。

そして明治6年、弥太郎が責任者になり「三菱商会」と改名、本格的に海運業に乗り出します。
次回へ続く。

180105写真、ごめんなさい、前回間違えました。
生家の前は立て看板でした。
今回銅像と、生家の写真を掲載します。
自分で撮った現地写真を載せるように、心掛けてます。

2018年1月 4日 (木)

仕事始め2018

今日から2018年、仕事始めです。
行政等の機関が何故1月4日が仕事始めなのか?

行政機関の休日に関する法律(昭和63年12月13日、法律第91号)により、12月29日から1月3日までを休日として定めており、1月4日を御用始めとして、その年の最初の業務日となっているのだそうです。

大磯町の賀詞交換会に行ってきました。
中﨑町政2期目の最後の賀詞交換会です。

0104_2
今年は明治元年(1868年)から150年に当たる年です。
大磯町では国の「明治記念大磯邸園」(仮称)が具体化されて動き始めます。
各団体がこうした動きに歩調を合わせながら事業を行おうと準備を進めています。
私の所属する(公社)大磯町観光協会でも準備を進めています。

大磯港の整備も「大磯港みなとオアシス」として本格的に動き始めます。
従って、例年にも増して忙しい年になりそうです。

0104_83賀詞交換会では毎年、町政の発展に尽くされた方々に大磯町表彰条例に基づいて表彰式が併せて行われます。
今年も10人と1団体が表彰されました。
表彰を受ける諸先輩方に加えて陶芸家の川瀬忍さん、竹芸作家の藤塚松星(洋史)さんの二人の同級生も含まれていて、とても嬉しい表彰式になりました。

二人とも奈良の国宝薬師寺東塔平成大修理の食堂(じきどう)が完成した際に「平成の至宝83選」として逸品が奉納されています。

左の写真は、一般公開された時のチラシです。
残念ながら普段は公開されていません。

いずれにしてもこの分野ではまだまだ若い二人です。
これからの活躍を期待したいと思います。

2018年1月 3日 (水)

箱根大学駅伝と共に去るお正月

正月2日、3日に行われる東京箱根間往復大学駅伝競走が終了するとお正月も終わりです。

戦前は3強を中心として他にも地力を付けてきている大学の台頭により戦国時代だと言われていましたが終わってみれば往路優勝の東洋大学をスタート直後の6区であっさりと逆転。
その後は着実に襷をつなぎ終わってみれば10時間57分39秒大会新記録で史上6校目の総合4連覇を達成。
圧倒的な強さだけが印象に残りました。

我が母校も3強の一角に上げられていましたが、5区、箱根山中での大ブレーキで3位から15位へと早々に脱落。
一生懸命に走った結果ですから、来年に向けてチームを立て直して欲しいと思います。

今回の箱根駅伝で楽しみにしていた選手が2人いました。
一人は関東学生連合で1区を走る予定であった東大の近藤選手。
しかし、インフルエンザに罹患してしまったとのことで夢が叶いませんでした。
みんな楽しみにしていたと思います。本人が一番つらかったと思いますが、残念でした。

もう一人の選手は東京国際大学の7区を任された30歳のオールドルーキー渡辺選手です。
実業団を経て世界選手権にも出場経験を持ち、教員を目指すために17年に社会人から大学生に転身して今日を迎えた選手です。

その他にも病気を克服して選手として箱根路を走ることの出来た選手など選手のドラマが詰まった大会です。
総合4連覇を達成した青山学院大学には最大級の讃辞を送ると共に他の大学の選手にも大きなエールを送りたいと思います。

観光協会も年末年始の6日間だけが休館です。
あっという間に終わってしまいましたが、また、明日から気持ちを新たに頑張っていくことにします。

2018年1月 2日 (火)

お年玉とスーパームーン2018

昨年の12月に奈良県橿原市から南紀白浜を抜けて伊勢志摩方面にドライブに行きました。
そして、伊勢神宮のおはらい横丁で年末の「歳末ジャンボ宝くじ」を購入しました。
宝くじなど購入するのは記憶にないほど久しぶりのことです。

その31日の大晦日に「歳末ジャンボ宝くじ」の抽選会があり家族でテレビを見ていました。
テーブルの真ん中に伊勢から購入してきた10枚一組の連番の宝くじを前にして!

0102孫たちは既に発表になっている1等前後賞10億円の当選番号以外の2等以下の番号と照合をし始めました。
「当たっていないじゃん?」
「当たる訳ないじゃん?」色々な会話が飛び交います。
伊勢から運んできた「宝くじ」で「7等300円を何に使おうか?」と大晦日の一時の夢を楽しみました。

そして、今日は我が家の新年顔合わせの日でした。
「歳末ジャンボ宝くじ」の夢が泡と消えたのですが、娘達から1億円(?)のお年玉をいただきました。

しかし計算が合わないのです?
1億円-(子どもと孫たちへのお年玉●●円)=-●●円
何でマイナスなの?????
孫たちだけはニコニコ。「じぃじ」だけが計算が合わずに悩み続けました。

今年は新年から天体ショーが盛りだくさんの年です。
その楽しみな第一弾が「スーパームーン」です。
スーパームーンと言っても天空に上がりきってしまうと大きさを実感できません。
やはり月の出を見ないと感動が薄れてしまいます。

早速、孫たちを連れて自宅の裏に。
もう少し東側から月の出になるのかと思っていたら平塚市内からの月の出にミステイクでしたが、「スーパームーン」の月の出を皆で楽しみました。

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そして4日の明け方は「しぶんぎ座流星群」の活動が極大となります。
今夕見たスーパームーンの月明かりの影響を大きく受けそうですが時間あたり10個程度の流れ星が見ることが出来ると思います。
今年も家族全員がそれぞれの目標、夢の実現に向けて頑張って欲しいと思う2018年の我が家の新年顔合わせの会になりました。

2018年1月 1日 (月)

1月のイベント情報

●初日の出(甘酒のサービス)
    1月 1日(日・祝)6:30~
    ○会場:大磯港西防波堤開放エリア

大磯の左義長
      13日(土)点火18:30
     (11日から12日までスタンプラリー他)
    ○会場:大磯 北浜海岸

第89回大磯市 
      21日(日) 9:00 ~ 14:00
    ○会場:大磯港
  ★エントリーの受付期間は1月1日(月)~6日(土)です。

2018年のスタートは大磯港で!

静かな内に2018年がスタートしました。
初日の出に併せて大磯港西防波堤の開放も3年目を迎えました。
穏やかな天候に誘われて、今年も大勢の方が防波堤で初日の出を迎えました。

この防波堤の開放に併せて、初日の出を見る方々に大磯港みなとまちづくり協議会では甘酒を提供しています。
こんなことが無ければ初日の出を見に行かないかも知れません。

0101
イベントの案内、結果だけをアップするブログになってしまい、多少の抵抗を感じて2ヶ月間ほど休止してしまいましたが、その再開したスタートがやはりイベント絡みになってしまいました。

孫たちも今年は中学生が3人。小学生が2人になります。
成長したものです。
話の内容も段々対等になってきます。
いやぁー、内容によっては完全に負かされます。

家族揃って新年の会話の中での一こまです。

「じぃじ」と「ばぁば」は誰が作ったの?との問に、中学3年になる孫が「私」だと。
孫から見たら「曾爺さん」「曾婆さん」と答えが返ってくると思ったら、こうした答えが返ってきました。
年明け早々に孫たちの成長に驚きました。

まだまだ老け込むわけにはいかないようです。

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