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2017年8月

2017年8月31日 (木)

須坂・小布施・姨捨駅

三日目の旅は蔵の町「須坂市」と栗のシーズンを迎えた「小布施町」そして実りの秋を迎えた姨捨の棚田を見てきました。

ここも何度となく訪れているところなのですが、日本の良いところは、幾度となく行っても季節ごとに違った顔を見せてくれるところに魅力があるので飽きません。

0831須坂市は江戸時代に須坂藩主堀氏の館町(陣屋町)として、また大笹街道の追分の地として、数々の商取引が行われ栄え、その後、明治から昭和初期にかけて近代製糸業によって繁栄し、今も豪壮な土蔵造りの旧製糸家建物や繁盛した大壁造りの商屋などの町並みが残されており、蔵を生かした商店、博物館、美術館など当時を偲ぶことができる町です。

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特に国の登録有形文化財にも指定されている田中本家の明治の主屋を改装した建物や100㍍四方にある20の土蔵は見応えがあります。

そして、田中本家に伝わる江戸時代の古文書「諸客賄方控帳」の記録をもとに、江戸時代の料理を再現し、「橘弁当」を始め当時のレシピで再現したお菓子も昔懐かしい味を楽しめます。

小布施も変わらず観光客が多く訪れている様子です。
しかし、町並みは変わっていません。
久しぶりに竹風堂に寄って栗おこわを食べました。
定番のメニューなのでいつでも食べることが出来るのですが、至る所で栗がなっているのを見ながら食すると、何となく旬を感じます。

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帰り道にJR篠ノ井線の姨捨駅に寄ってきました。
駅のホームが展望台になっています。
駅周辺は穏やかな山里の風景が広がり、松本、伊那、佐久、善光寺と言われる善光寺平を望むことができ、細長い盆地の中央には千曲川がゆったりと流れています。

姨捨駅のもう一つの魅力が「スイッチバック」をする駅で「日本三大車窓」の一つに数えられ鉄道ファンにとって古くから憧れの場所でもあります。

しかし、ここの魅力は何と言っても、田植えを終えた後に田一枚一枚に月が映るという「田毎の月」は古来から知られる観月の名所なのですが、これだけは一度みたいと思っています。

「おもかげや姨ひとりなく月の友」松尾芭蕉

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休みの三日はすぐに過ぎてしまいます。
さぁー、明日からイベントの秋に向けてエンジンを再点火することにしましょう!

2017年8月30日 (水)

無藝荘・御泉水自然園と八島湿原

明後日の天気予報に雨マークがつき始めたので30日と31日の予定を振り替えて蓼科・霧ヶ峰・美ヶ原高原方面を今日は訪ねることにしました。

何度もこの地は訪れているので段々と行くところが無くなってきますが、それでも知らないところはまだまだあります。

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蓼科湖の近くにある無藝荘は、小津安二郎が昭和30年頃から蓼科の別荘として利用していたかや葺き屋根の建物です。2003年に、小津の生誕100年を記念し、建物の保全の為、数100メートルはなれた現在の場所 (プール平) へと移築されました。 小津は 東京物語 をとり終えた頃、蓼科にあった、脚本家、野田高悟の別荘、雲呼荘 を訪れ、それ以降、仕事場を蓼科に移し、没するまでの 7作品すべてのシナリオがここで書かれたという事です。なお、野田高悟の別荘であった雲呼荘は既に取り壊されてしまっており現存しません。当時の小津と野田、来訪者や蓼科の様子は、雲呼荘に備え付けられていた日記(今で言う ゲストブック を合わせたような物?)である 蓼科日記 に克明に記されています。【蓼科高原観光ガイドから転載】

小津安二郎監督は、ここ蓼科に仕事を移す前は「茅ヶ崎館」を仕事場にしていたので、何となく気になり、身近に感じる映画監督なのです。
「茅ヶ崎館」五代目当主のFBも併せて見て下さい。
https://www.facebook.com/mrhrk?fref=ts

830_2そして女神湖に隣接して蓼科牧場があります。
ここからゴンドラリフトで約5分の場所にあるのが自然園御泉水自然園(ごせんすいしぜんえん)です。
ここは長野県が明治100年記念事業第一号として開設した自然園だそうです。

蓼科山の中腹にあり、色々な高山植物と野鳥の宝庫で、散策コースも整備されていて、のんびり気ままな自然探索を楽しむことが出来ました。

ここからビーナスラインを経由して美ヶ原高原に移動する途中に国の天然記念物に指定されている三大湿原の一つ八島湿原(八島が原湿原・八島高層湿原)があります。

0830世界的にも貴重な日本最南の高層湿原なのだそうです。
高層湿原とは、標高の高い所にあるという意味ではなく、ミズゴケを主とする200種類以上の植物が、枯れても腐植土とならずに堆積し、泥炭化し、植物が上へ上へと生長して全体が水面よりも高く盛り上がったものを言います。
昭和14年に国の天然記念物の指定をうけ、さらに、国定公園内の特別保護地区にもなっています。

八島湿原と八島ヶ池は絵になる風景でした。

2017年8月29日 (火)

日本のチロル・下栗の里

0829飯田市上村下栗地区は山間部の急峻な地形の中に位置しいて、最近はその景観の美しさから観光として注目を集めているところです。
是非、一度行ってみたいと思っていたところです。

しかし、あくまでも観光地ではありません。
現在も人々が畑を耕しながら日常生活を営む場です。
ですから、道路などの交通インフラが整備されていないために非常に不便なところに位置しています。

だから私は行ってきたのですが?

平成21年秋には、この景色を見ていただけるように下栗の里一帯を俯瞰できる「天空の里ビューポイント」が地元住民の手造りで全長800㍍の遊歩道を山林内に開設・整備されました。
ですからとても歩きやすく、安全にビューポイントまでたどり着くことが出来ました。

こうした景色がオーストリア・チロル地方に似ていることから、東京学芸大学名誉教授で地理学者の市川健夫氏は下栗を「日本のチロル」と命名したのだそうです。

下栗の里に行くには、㈱上村振興公社が運営する「はんば亭」の駐車場があります。
そして、ここは下栗産の旬な食材を使った料理を提供してくれます。

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景色の良さは言うことはないです。
しかし、こうしたところに足を運ぶ度に、人々の暮らしや、生業はどのようになっているのかな?
と、ちょっとだけ気になるところです。

2017年8月27日 (日)

【大磯今昔・伊藤博文5】(Vol.8)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.08.24】掲載文
最近どんなことがあった?
「大磯今昔」のあこちゃんです。

伊藤公が大磯に本宅を構えるまでのお話を語りたいのですが、前回からの続きでお話しますと、後30年掛かります。もう待ってはいられません。(笑)

ここからは、早回しでいきます。
でも、大事なお話が2点有ります、そこは、今回お話しさせて下さい。

前回は最初の奥様のお話し、今回は2度目の奥様、梅子さんとの出会いです。
(後に、日本最初のファストーレディになる方です)

伊藤公は、英国から戻ってから攘夷論の限界を感じ、開国論に転じてから、有る時、攘夷派にねらわれて長崎の亀山社中に逃げ込みます、その時お茶子をしていた梅子さんの機転で、追ってから逃れる事が出来ました。その時に、梅子さんに一目惚れ、すみさんと離婚、翌月に梅子さんと結婚、その年の12月に長女、貞子さん誕生。びっくりですが、この辺から彼の女性のお話の片鱗がうかがえます。

ここから早回しでいきます、この5年後岩倉使節団で欧米派遣特命全権副使として同行します。
伊藤公は英会話は良く出来ましたが、読解力が不足していると感じ勉強します。(この事が後の、初代総理大臣を決定する事に繋がります)

この14年後の、1885年(明治18年)12月、伊藤博文
初代総理大臣が誕生します。
その誕生秘話は次回に続く。(大磯での暮らしに突入です)

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写真は梅子さんが匿った亀山社中の門前です、実際は裏のゴミ捨て場です。
もう1枚は、岩倉使節団で旅立つ時の、スケッチ写真です。

2017年8月26日 (土)

頭一つ抜け出したかな?

首位を快走する湘南ベルマーレが今期成績が今一のザスパクサツ群馬から2点を奪い快勝した。
これで頭一つ抜け出せたかなと言う勝利です。

残り12試合の中で暫定2位の福岡と5ポイント、3位の名古屋が横浜FCに負けたので11ポイント差に広がったのは大きいです。

2018年以降のJ1・J2の昇格・降格決定方法が変更されますが、2017シーズン終了後の昇格・降格は従来通りの方式での決定となります。
従って、現制度ではJ1下位の3チームの内の下位2チームと、J2の上位2チームは自動的に昇格・降格になります。

カウントダウンも目の前に迫ってきているようです。
このまま快進撃が続くことを期待しましょう!

2017年8月25日 (金)

頭陀袋の発酵?

夏のイベントが一段落して、秋になると毎週末に怒濤のように寄せてくるイベントの準備を静かに行っています。
時間が出来ると色々な方と会う機会も多くなります。
人と会えば、日々新鮮な情報や考え方を新たに知り新鮮な気持ちになります。

問題はこうして得た情報をどのように活かしていくかが問題です。
自分の好きな言葉の一つが「我以外皆我師」です。

故吉川英治氏が作品にとりあげられた宮本武蔵は「我以外皆我師」という言葉を残し、自分以外の人でも物でも皆、自分に何かを教えてくれる先生だという意味です。

この考えで日々の生活をしていると、頭がすぐに飽和状態になってしまいます。
聞いたことを入れておく袋が必要になります。
こうした時に便利なのが頭陀袋(ずだぶくろ)です。

本来は僧侶が托鉢の際に使用する袋のことで、また、道中で塵や埃、土で汚れないように僧衣入れた袋のようです。
別に私は日頃から頭陀袋を持って歩き回っているわけではありません。
一つの考え方です。

取り敢えず見聞したものはこの頭陀袋に入れておきます。
そして自分の息(考え)を吹き込んで発酵?させます。
そうすると頭陀袋から取り出した時には、自分のアイデアとして生まれてくるのでは?

そんなことを思いながら、今日も頭陀袋が重くなりました。
早く、発酵させて取り出していかないと持てなくなってしまいます。
だけど頭が悪いのか、中々発酵してくれないのが悩みです!

2017年8月24日 (木)

里山魅力発見ウオークの下見

一日、良い運動をしました。
大磯町の西地区をくまなく散策をしました。

082411月に「大磯の里山魅力発見ウオーク」を計画しています。
今年で3年目を迎えますが、その下見で実際に歩いてコースづくりをしたのですが、普段は車でさっと通ってしまうところも、歩いてみると地元で育った私でも再発見があります。

実際に行うのが秋ですから今日の風景とは大きく変わるはずです。
しかし、そこは地元ですからミカン畑や柿が色づいた風景は容易に想像がつきます。
そんなことを思いながらあっちこっちと遠回りをしながらの実踏ですから自然と距離は伸びます。

私にしたら一週間分は十分に歩きました。

夏が何処かに行ってしまったような天候が続いていましたが、この様な日に限って残暑の厳しいこと。
それでもやはりこの時期はこうした暑さが似合っています。
踏破した後に泡のジュースが飲むことが出来れば最高だったのに!

※写真は昨年の里山ウオークの一こまです。

2017年8月23日 (水)

9月のイベント情報

第85回大磯市

    9月17日(日) 17:00 ~ 20:30
       ○会場:大磯港

大変残念ですが、9月17日の大磯市(および魚の朝市)は
台風の影響で雨天になりそうなので開催中止とします。...

2ヶ月連続中止は大磯市はじまって以来のことです。

2017年8月22日 (火)

平成29年 島崎藤村忌

昭和18年8月22日(1943年)「東方の門」第3章を執筆中に書斎で倒れ、「涼しい風だね」という言葉を最後にこの大磯で71歳の生涯を閉じた故島崎藤村先生を偲び、約80名の方にご参列いただき、島崎藤村忌を執り行いました。

昭和50年に大磯町は藤村先生に名誉町民の称号を贈っています。

先週までは梅雨を思わせるような天候が続いていましたが、今日は一転して残暑の厳しい中での七十五回忌になりました。

墓前前の木陰で地福寺の櫻井ご住職の追善回向の間に流れる風が、それこそ藤村先生の「涼しい風だね」を思わせるような心地よい風になり残暑を和らげてくれました。

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この藤村忌を終えると、大磯にも夏の終わりの始まりを予兆させる風物詩なのです。

2017年8月21日 (月)

【大磯今昔・伊藤博文4】(Vol.7)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.08.17】掲載文
最近どんなことがあった?
「大磯今昔」のあこちゃんです。

前回に引き続き、伊藤博文公、英国を目指し、厳しい航海の旅に出ました。
その旅が何故、厳しかったかというと、英語力もまだ無く、話す事も聞く事も出来なかった為、大きな誤解が生まれ、お客として乗船したつもりが、水夫として働くことになったからです。

その航海に持っていった辞書「英和対訳袖珍辞書」、この辞書はペリー提督が横浜に上陸した時、通訳をした掘達之助が作った辞書で、袖珍(しゅうちんと、読みます)は、袖の中に入れて持って歩く事ができるほどの、小型の本という意味です。

本来の伊藤公に戻します。
実はこの密留学する2ヶ月前に、松下村塾四天王、「久坂玄瑞(げんずい)、高杉晋作、吉田稔麿(としまろ)、入江九一(くいち)」の入江九一の妹、すみと最初の結婚をします。

一説によると、山縣有朋公と、すみさんの愛を競ったとか?
結果、伊藤公の勝利、晴れて結婚へ。

其の2ヶ月後の5月にロンドンへと向かい、5人はロンドン大学に入学します。
西洋文化に触れた伊藤公は、攘夷論の限界を感じ、開国論に転じていきます。
慶応3年(1867)、情報収集の為、出張した長崎で坂本龍馬らと会見します。

早く、大磯に来てください。(あこちゃんからのお願いです)
次回へと続く。

0821写真1は、松下村塾
  2は、坂本龍馬たちが良く通った、亀山社中。
  3は、飲みに行った、「料亭一力」の現在の昼食膳
    「卓袱(しっぽく)姫重」です。とても、美味しか
     ったです。

2017年8月20日 (日)

落ち着かない日曜日の夕方

とても落ち着かない日曜日の夕方でした。
8月の第3日曜日です。「大磯市」です。

午後3時頃には出店者の交通整理をしています。
午後4時頃になると出店者の搬入が一区切りするので、受付作業と来場者のカウントの準備に午後6時半頃の日の入りに合わせて照明灯の準備をしていきます。

こんな大磯市の準備をしている時間なのですが、雲が低く垂れていますが雨が降るほどには崩れません。

今月の「大磯市」は金曜日の昼には中止を発表しているので出店者には大きな混乱はありません。
しかし、中止を知らない来場者はその時の天気で判断をするでしょうから、かなりの方がお越しになるのではないかと思い、いつもの準備に掛かる時間に現場に行って来場者への対応をしていましたが、周知が行き届いているのか?予想していたより遥かに少ない人に半分ホットしました。

これもSNSの効果だと思います。
FBの大磯市へのフォロワーが7000人弱います。中止のインフォメーションをすると30人程の方のシェアがあり、併せて出店者も中止になりましたと、FB等を通してインフォメーションしてくれます。

何万人単位で伝達されることになります。
夕方の現場にいると改めて、この世界の凄さを感じました。

そして、今夕だけは「雨が降って!」と港で雨乞いをしながらしばらく港で佇んでいましたが妙に落ち着かない第3日曜日になりました。

やっぱり、賑やかな中でトワイライトを迎えたかったです。
今夏は天気を予報するのがとても難しい夏です。

2017年8月19日 (土)

お返しも「満塁ホーマー」!

第99回全国高校野球選手権大会の熱戦が繰り広げられています。
今夏の大会は、野球の醍醐味でもあるホームランの多さに目を見張るものがあります。
兎に角、ラジオで実況放送を聞いていても面白い試合が数多くあり興味をひきます。

今日の第1試合の岩手代表の盛岡大学付属高校と愛媛県代表の済美高校の3回戦も聞き応えのある試合でした。

1-2のビハインドで迎えた5回表に盛岡大学付属高校は植田選手のタイムリーヒットで同点に追いつき、更にチャンスを広げて満塁に。そして小林選手の満塁本塁打が飛び出し4点差に広げました。
野球はゲームセットするまではセイフティーリードはないものの4点差を一打で追いつくには高校野球では大変なことです。

それがその裏の済美高校も満塁のチャンスを迎え吉岡選手の一振りのホームランにより6-6の同点となってしまいました。

同じイニングでの両チームの満塁ホームランには驚きました。
これは大会史上初の出来事だそうです。

試合はもつれて延長戦になりましたが試合を決定づけたのもホームラン。
最終的には12-7で盛岡大付が勝ち、ベスト8入りを決めました。

過去最高のホームラン数を記録した60本は目の前まで近づきました。
明日の準々決勝以降でも、パワフルな打撃で甲子園を彩るアーチの数々の競演に観客の歓声が聞こえるような試合を期待しましょう!

逆に投手にとっては受難の大会かも知れませんね?

2017年8月18日 (金)

20日の「大磯市」は中止!

今週もはっきりしない天気が続いていて、日曜日に開催予定の「大磯市」の開催可否の判断に迷っていました。
今日になっても日曜日の降水確率が60%の天気予報で出店者から雨対策が出来ない等の理由でキャンセルが届き始めました。

飲食関係の出店者にはこの段階で判断をしてあげないと材料が全て無駄になってしまいます。
本日のお昼の段階で残念ですが開催中止の決定をしました。

中止は昨年の4月以来です。

なお、20日の朝の大磯漁協「魚の朝市」は予定通り実施します。

次回の大磯市は9月17日。
エントリー受付期間は9月1日(金)~4日(月)です。

今年の梅雨は空梅雨と思えるほど雨が少なかったですよね。
梅雨にも関わらず水不足も懸念されていました。
相模川水系貯水量も8月に入ってから貯水量が増加しているんです。
まるで梅雨のような今年の夏に振り回されています。

2017年8月17日 (木)

【大磯今昔・伊藤博文3】(Vol.6)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.08.10】掲載文
最近どんなことがあった?
[大磯今昔」のあこちゃんです。
前回は、伊藤公が英国に密留学した話(後に長州フアィブと呼ばれる)で終わりましたが、本当はすぐにでも大磯での暮らしの話をしたいのですが、あまりにも伊藤公は武勇伝、女性のお話が多く、何処から攻めようか、迷ってしまいました。
結果、逆算して話を戻していこうと、思います。

大磯には56歳の時に本宅を構えて、ハルピンで暗殺されるまで12年間暮らしました。
初代総理大臣になった時が44歳、英国に渡った時が22歳、5人は、2人(伊藤公と井上馨)と3人に分かれてロンドンまで直行で行ったそうです、当時の日本の帆船では考えられなかったとか?

伊藤公が乗った船の名前は、「ペガサス」、その船はジャ―ディン・マセソンの持ち船(吉田茂氏の養父が勤めていた会社で、健三氏は横浜支店長を勤めていました。)、勿論その頃は英語が話せませんから、紹介してくれた人(ジャーディン・マセソンの甥)から「イギリスに行って何を勉強したいか」との問いに「アプレンティス(船乗り)」と答えてしまった。
さあ、大変!過酷な航海が始まりました。
次回に続く。

ここでの、カタカナ表記に対してのクレームはお受けできません。(笑)
年齢表記も、満年齢、数え歳、明治5年太陽暦等で、2~3歳の誤差有り。

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写真は、今年の5月に筆者が長崎にて撮影しました。
(ジャーディン・マセソン商会ー長崎支店が現在のグラバー園です)
トーマス・ブレーク・グラバーが支援した、坂本龍馬(亀山社中にて)、岩崎弥之助(キリンビールの瓶のラベルの元になった、麒麟の像)。

2017年8月16日 (水)

今年も子ども達の成長を!

13日に迎え入れた仏様達も3泊4日の滞在もあっという間に過ぎて、慌ただしくお戻りになりました。
今年はお盆期間中が全て雨が降るという、余り記憶にないお盆になりました。

お布施餓鬼に出掛けるのに半袖では寒いくらいで上着を羽織っていく天気です。
送り火をする時間の頃にも雨が降ってきます。
何か追い立てるような送り火になってしまいました。

それにしても孫たちが幼かった頃は全員揃って、迎え火、送り火をしたものですが、成長と共に夏休み中でもテニスの大会等が入ってきて、次第に「じぃじ」「ばぁば」の仕事になりつつあります。

それだけに準備をする段階から、息子夫婦や子ども達に出来るところを手伝わせています。
そうしないと、このような習慣は忘れ去られてしまうのかも知れません。

子どもや孫たちには、家族揃ってお盆を迎え、迎え火や送り火を焚いたり、一緒にご先祖様とお盆期間中は過ごしたなどと、例え迷信だ、無駄だと思われても家族同士の絆も希薄になる世の中だけに続けていこうと思います。

お盆を機に私たちはもう一度先祖の残してくれた人間の知恵を噛みしめたいと思いますし、ご先祖様たちには、子どもたちの成長を確認して安心していただけたと思います。
今年も良いお盆でした!

2017年8月15日 (火)

お買い物の日

8月に入ってから天気がはっきりしません。
太陽がほとんど顔を出しませんが、今年の夏は何処にいってしまったのでしょうか?

13日に戻ってきたご先祖様たちもすっかり戸惑っている様子です。
今日は明日のご帰宅に備えて、お赤飯のおにぎりを持って買い物に行く日です。
着る物も一枚羽織っていかなければ風邪を引いてしまうような涼しさです。

各地で日照不足が心配されています。
海水浴客も例年に比べて非常に少ない感じがします。

海水浴場は、お盆が過ぎてしまうと土用波も立ってくらげも増えてきます。
子ども達の夏休みが続きますが、大人たちの夏休みが終わってしまいます。
ピークが過ぎてしまいます。
まだまだ今週もはっきりしない日が続くとの天気予報ですが、夏を謳歌したいものです!

2017年8月14日 (月)

【大磯今昔・伊藤博文2】(Vol.5)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【15.08.03】掲載文
最近どんなことがあった?
「大磯今昔」のあこちゃんです。

今回は、伊藤博文公です。
何故、彼を選んだかというと、鉄道が大磯にひかれた明治20年別莊が数多く増えたなか、明治30年に伊藤公は東京品川の伊藤町から住民票を移し、大磯(滄浪閣)に本宅を構えたのです。

明治23年に小田原の滄浪閣に別荘を構え、ある年に別荘に向かう途中、奥様の梅子さんの体調が悪く、大磯の駅上の旅館(招仙閣)に泊まり静養をしてた時、大磯の温暖で北山南海の気候風土に癒された。
それがきっかけで、大磯に本宅を構えることになったのです。

それも、初代総理大臣になった方が、自分で郡役所に赴いてですよ。
「なんか、カッコイイ~」と、思いませんか?

そんな彼は、現在の山口県光市車荷字野尻の百姓、林十蔵の長男として生まれます。
御父上は、とても苦労された方ですが、安政元年(1854)、長州藩の伊藤直右衛門に認められ一家揃って養子となり、伊藤姓を名乗ります。

安政4年、彼は吉田松陰の松下村塾に学び、倒幕運動に加わり、活躍します。
文久3年には、井上馨ら5名と英国に密留学し開国論に転じ(後に彼らは、長州ファィブと呼ばれます。)ます。

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次回に続く。
写真は、現在の小田原の滄浪閣跡に建つ伊藤公の銅像
           長州ファイブの写真
       もう一度現在の大磯の滄浪閣の写真です。

2017年8月13日 (日)

成長したものだ!

Img_106713日のお盆の入りは家族全員で迎え火を焚きご先祖様を迎え入れます。
迎え火は、オガラを燃やしたその煙に乗って、ご先祖様が家に帰ってくるとも言われています。

我が家の周りは10年、20年経っても景色は変わりません。
ですからご先祖様も道に迷ったり、上空から見ても迷うことは無い と思います。

無事に10人のご先祖様がやって来ましたが・・・・・?
家に入る前にみんなが一瞬戸惑っています?
一年ぶりの我が家です。

成長盛りの孫たちは一年で10㎝ほど背が伸びる歳です。
ですから、この子たちが玄孫、ひ孫か? と爺様たちは見違えるように成長した姿に目を細めていました。
16日までの短いお盆期間ですが子どもの成長を見ていって欲しいと思います。

そしてご先祖様たちが戻ってくると、精霊棚をお守りしてくれるのが、愛猫「タマ」なのです。
いつも私が家にいる時には膝の上で寝ている彼女ですが、このお盆の時期には私の役目とばかりに精霊棚の前でお守り?
いや、これはお守りではなく、ただ横になっているだけ。
(これでもタマはお守りをしているつもりなのです。)

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しかし、これも我が家のお盆の風景の一こまなのです。
今年も家族全員が元気でご先祖様を迎えることが出来ることに感謝です。

2017年8月12日 (土)

予想通りの結果でした

午前8時から午後の胃カメラ・大腸検査に備えて腸管洗浄剤2㍑と格闘。
ビールなら気持ち良く呑めるのに、水の2㍑は正直きついです。
大腸検査そのものは比較的に簡単なのですが、毎回、この前処置には苦労します。

そして大腸検査をやるたびに、ポリープが出来やすい体質なのか?必ず成長?したポリープを取り除いてもらい、その後に2、3日の安静を言い渡されます。

今回も結果は予想通りです。
Dr.曰く「小さいポリープも含めるとかなりありましたよ!小さめのポリープは無視。5㍉以上あるポリープを6個程取らせてもらいました。結構、大変でした。」と。

そして「2日間位は消化の良い食事を」これも予定通りです。
仕方がなく夕食はおかゆをいただきました。

正直、食事はどうでも良いのですが、当然、飲酒も厳禁!
夏です!こちらの方がきついです。

明日からお盆の入りです。
良い機会です、普段まとめものが出来ない作業に精を出すことにしましょう。
二日くらい静養を兼ねて家でおとなしくしていることにします。

2017年8月11日 (金)

今日の食事です

元々、食事に関しては大きな関心がある訳でもないのですが、それでも美味しい食事はいただきたいと思います。
明日は地元のクリニックで大腸と胃カメラの検診日です。

過去、何回となくこの種の検診を受けていますが、総合病院での検診だと全て病院に行ってからの処置になります。
食事にしても消化の良い食事を前夜の午後8時前までには済ますようにと言った内容だけだと思いました。

今回は前日の食事に摂るようにと写真のレトルト食品を渡されました。

最近は検査専用食として、この様なものまで出ているんだと感心しながらが食べましたが・・・・・・?
正直、美味しくありませんでした。

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2017年8月10日 (木)

【大磯今昔・伊藤博文1】(Vol.4)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。

【15.07.27】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
シリーズ2回目は、イ行の伊藤博文公を取り上げます。

私が「大磯今昔」を語りたいと思ったのは、日本の近代を作った多くの方達が、大磯に別荘をもち、本宅を構えた。
当時の旅館に宿泊し、書を書き、歌を歌い、そして我が国の基盤となった、政治、経済を語り、今の日本を作った。
その人達の足跡がどれだけ多くあるか?
又、どれだけ多くの姿を消してしまったか?
少しでも、忘れられないうちに皆様にお伝えしたい。

そして、大磯初めて物語がいっぱい有る事。
又、初代~の方がいらした事か?

その筆頭が、伊藤博文公です。
  *初代総理大臣
  *初代枢密院議長
  *初代貴族院議長
  *初代韓国統監   等々

幼名は、利輔、利助、後に俊輔。
今、大河ドラマ「花燃える」に出ているのは、利助の時の彼かな~。
写真は、今現在の滄浪閣の石碑、大磯図書館所蔵伊藤公のお顔です。
では、次回に続く。

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2017年8月 9日 (水)

「無用のロス」なんですね?

08097月21日に南鳥島付近で発生した台風5号は、今日の午前3時に東北の日本海側沖合で温帯低気圧に変わりましたが、18日と18時間を台風としての勢力を保って史上3位の長寿台風を記録しました。
これまで統計がある昭和26年以降で約1700余りの台風の記録があるそうですが、その中で3番目の記録というのですから印象に残る台風です。
左の画像はtenki.jpから借用しましたが、それにしても随分と迷走したものです。
2週間前の「なぎさの祭典」の開催も心配させられました。

その台風5号が去って、朝から真夏の太陽が久しぶりに顔を出してくれました。
今度は、全国で猛暑日を記録するところが続出です。言いたくないけれど「暑い!」です。

さすがにこれだけ暑いと案内所を訪ねて来る人が少ないです。
電話も少なく、久しぶりに仕事に集中できました。

事務所には仕事に行っているのですから当たり前のことですが、来館者がまとまって来ると基本的に案内業務は一人で対応していますので、事務作業を中断して案内業務のサポートに入らざるを得ない状況になります。

中断した作業を再開するためには、結構負担が掛かるものです。
何かのニュースで読んだのですが「一度中断した作業に戻るには平均で23分15秒かかる」そうです。
これを1日4回繰り返せば1時間半位がロスになってしまう?
これも「無用のロス」?なのでしょうかね!

2017年8月 8日 (火)

【大磯今昔・浅野総一郎3】(Vol3)

大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズを連載しています。

【15.07.20】掲載文
「大磯今昔」のアコちゃんです。
浅野総一郎さんを図々しくも語らせて頂き、今回がシリーズ最終回です。
次回は伊藤博文公へと続きます。

浅野総一郎さんは、人生のスタートは挫折の繰り返しでした。
今の私達に彼は失敗を恐れて何もしないより、立ち上がれば必ず結果が付いてくることを、教えてくれた人だと思います。

自分自身が生きる事より、日本の国がこれから先、100年、1000年を見据えての仕事をして来た人でした。

最後の仕事になったベルリンで、体調を崩し、帰国後、大磯の別荘で静養しますが、食道癌である事が解った時(当時は、癌宣告は死を意味していた)、彼は何と言ったと思いますか?

「それは大変だ、仕事を急がねば」と、東京の自邸に戻り、命つきるまで仕事に打ち込みました。

昭和5年(1930年)11月9日午前零時52分、83歳
「死んだ後まで、社会に益す」の言葉を、残し亡くなった。

写真は、お身内が最後まで残していた400坪の別荘跡の1部です。

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2017年8月 7日 (月)

大磯の魅力発見ウオーク

0807今年も深まりゆく秋の一日に「大磯の魅力発見ウオーク」を実施します。
本年度第1回目の部会を開催しました。

例年と同じように4コースを設定しますが、私たちにはコース上に広がるのどかな農村を思わせる田園や山々です。

しかし、四季を通じて山々の彩りが刻々と変化していきます。
そして、作物や果実の実り具合の移ろいを見ていると、とても心和む風景になるのも身にしみて感じているのも事実です。

日頃から見慣れた風景に身を置いている私には当たり前の風景ですが、都会人が感じる原風景は、一人一人の心の奥にある個人の歴史を思い起こしながら懐かしさの感情を感じてもらうのが原風景だと思います。

参加者には大磯を散策し、実際の風景を見ながら幼少の頃の懐かしい記憶を呼び起こすことの出来るようなコース、おもてなしが出来る事業に出来れば良いなと思い、皆さんと協議をしました。

2017年8月 6日 (日)

無用の用第2弾

木曜日にデスク周りの配線がすっきりしました。
そうすると目の前に日々成長していく書類の山が気になります。

台風5号の影響もあり駅前の混雑がいつもの日曜日と違って少ないような気もします。
来館者も少ない、電話の問い合わせも少ないと決め込んで書類の取り崩し作業に掛かりました。

すっきりしました!
無用の用第2弾が終了しました。

これで今週はすっきりとした環境の中で仕事に取り組むことが出来ます。(はずです。)
こうした仕事の中にも「無用の用」は必要だと思っています。

まして人間社会の中で「必要とされない人間なんていない!」と思うことも大切だと思います。

「無用の用」の元は、老子の思想に基づくことわざです。
その、老子思想の中核である「道」も、目には見えないものです。
しかし、それでいて確かに存在しているはずです。

だから、所詮、人が人に対して下す評価など絶対的なものではありません。
だから「用」だの「不用」だのという評価に流されず、自分の道を進んでいくことが大切だと思います。
これもストレスを溜め込まない、一つの方法論だと思っています。

2017年8月 5日 (土)

【大磯今昔・浅野総一郎2】(Vol2)

【15.07.13】掲載文
こんにちは、あこちゃんです。
前回からの続きで、大磯にゆかりのある浅野総一郎を語ります。

損一郎とまで言われた彼は越中国を裸一貫で上京、お茶の水の名水に砂糖を入れただけの「水売り」から再出発。この発想も凄いね、懲りないのよ。
更に元手金ゼロで次なる事業を始めます。
常に情報をキャッチして、次々と商売の幅を広げ「廃物の運用」を仕掛けていきます。

そんな彼と、大磯の関係は何時頃だったのでしょうか?
王城山の麓に別荘を構え(現在は安田不動産大磯寮)たのは、明治26年頃、事業が上手くいったら静養に、事業に行き詰まったら「北山南海」の大磯の気候風土に癒されました。

本当に骨身を惜しまず日本の将来を考えた人でした。
そして、未来の子供達の育成も考え浅野学園を設立。

先週の土曜日に、浅野学園の丘の上に建つ彼の銅像、鶴見の総持寺のお墓を訪ねました。
偶然にそのお墓で、三女のお孫さんにお会いする事が出来、彼の苦労話しを生で聞く事ができ、鬼の目にも涙です。
涙で曇りましたので、このお話の続きは次回「完結編」で!

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写真は、浅野総一郎、安田不動産大磯寮、銅像、お墓です。

2017年8月 4日 (金)

【大磯今昔・浅野総一郎1】(Vol.1)

(公社)大磯町観光協会ではHPを始めFBでも色々な情報を発信しています。
その中で月曜日にFBを担当しているのが副会長の通称「あこちゃん」です。
大磯にゆかりのある方々を「あいうえお」順で掲載してもらっています。
残念なことにFBだと記事が流されてしまい時系列で見ることが出来ません。

取り敢えず私のブログにシリーズでアップすることにしました。
カテゴリーの「大磯今昔」にまとめますのでご関心のある方は是非ご覧下さい!
(明らかな誤字等を除いては彼女の原文通りにアップします。)

【15.06.29】
はじめまして、あこちゃんです。
これからシリーズで【大磯今昔】を投稿したいと思います。

明治以降の大磯は、日本屈指の別荘地でした。
最盛期には、240軒以上の別荘が建ち並び、政界財界をはじめとする著名人が訪れていました。
その頃の大磯ってどんな風だったのか?ちょっとだけタイムスリップしてみましょう。

たとえばこんな道路、国道と同じ11メータ道路が閑静な住宅の中に有ります。かってその先には、浅野財閥の始祖「浅野総一郎」の別莊が有りました。当時は、大磯で一番早く桜が咲く、素晴らしい景観で「一目千本の景」と言われました。

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この浅野総一郎については、次回のお楽しみ!

2017年8月 3日 (木)

無用の用「事務所の整理日」

以前からデスク周りの配線を含めて事務所のネットワークが複雑でトラブルが発生した場合に迅速に対応できない不安を抱えて2年間が過ぎてしまいました。

今日は、クラサバを導入した業者にお願いをして気になっていたたこ足配線等を含めて無駄な配線を簡略にまとめてもらって解消できました。
気持ちが良いです!これで気持ちも新たに仕事をすることが出来ます。

それでも片付いたのは自分のデスク周りだけです。
肝心の観光案内所の全ての片付けが出来ません。

365日(年末年始の6日間を除く)案内所を開いて、来磯者の応対を含めてサービスに当たっているのですが、月に1度程度の整理日等を設けないと、結果的にサービスの低下になってしまうのではないかと懸念しています。

頻繁にお客様が出入りしている中での整理整頓は厳しいものがあります。
資料等の入れ替えや、日頃からの整理が行き届いていないと、過去の資料やバックナンバー等を探そうとすると、探すのに大変な要してしまいます。
それだけ、お客様を待たせる結果になります。
この段階でサービス業としては失格です。

不要と思われるゴミ?も人によっては重要な資料かも知れません?
ですから事務所内の片付け等は全員が揃ったところでやらないと、根本的に片付きません。

無用の用「事務所の整理日」が必要そうです!

2017年8月 2日 (水)

卒論ですか?懐かしいです!

観光が脚光を浴びている?
それも若い方の関心が高まっているのか、このところ大学生、院生の卒業論文のヒアリングに三人の相談に乗っています。

美大・教育学部系に建築系と分野は様々で、それぞれの切り口から観光を見てくるので、私にとっても非常に新鮮味があります。

さらに高校生が夏休みのグループ発表のテーマで大磯を取り上げたいと、こちらは夏休みの宿題のお手伝いと、イベント明けは変な忙しさに戸惑っています。

それでも若い方が真剣にヒアリングされると力が入ります。

卒論か。45年も前の話ですね。
テーマが「1970年代の価格決定の理論」?だったと思います。
夏から秋にかけて原稿用紙と向き合っている自分もあったんだと懐かしく思い出します。

2017年8月 1日 (火)

「いそっこ海の教室」2017

2005年から始まった「いそっこ海の教室」も13回目を迎えました。
台風5号の影響も心配されましたが無事に終了することが出来ました。

スノーケリング・アウトリガーカヌー・ボディーボード&ライフセービング教室・ラフティング&SUP教室と「漁業体験」で稚魚の放流・定置網見学・魚さばき方教室の内容で実施しましたが、毎年募集と同時にほぼ定員に達する人気事業です。

久しぶりに乗船して沖に出てみました。
懸念されていたうねりもなく20組の親子にマダイの稚魚の放流をしてもらいました。
参加者の皆さんはそれぞれ夏休みの良い想い出になったことと思います。

そして終了間近に雷雲に見舞われて、土砂降りの中で帰途につきましたが、これも印象深い一日になったことと思います。

0801

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西湘を拠点にして色々なプロジェクトを立ち上げて奮闘しています。そして私も遊ばされています。

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