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2015年1月 8日 (木)

南三陸町の防災対策庁舎が震災遺構に?

0108東日本大震災の大津波で町職員や避難した町民の43人が犠牲になった宮城県南三陸町の防災対策庁舎が県が町に代わって2031年3月まで管理し、保存する方針を固めるニュースがありました。

地元では「被害を伝えるために残すべきだ」「震災を思い出し、つらい、苦しい」と賛否が分かれている元の庁舎です。

震災遺構として保存の是非が問われている建物に、町は県の意向を受け入れるようです。

こうした遺構の代表例が広島の原爆ドームでしょう。
被爆を受けた産業奨励館も、当時は広島市民に対して「同情を引こうとする貧乏根性を、広島市民はもはや精算しなければいけない」などと酷評する新聞も多くありました。

一方では、恒久の平和を実現するための理想の象徴として広島平和記念公園構想も議論されたきました。

その原爆ドームも1966年に広島市議会が永久保存することを決議し、 翌年には保存工事が完成し、その後は定期的に補修工事が施されるなど広島市単体での保存・管理が続いていましたが、被爆50年にあたる1995年に国の史跡に指定され、翌年の1996年12月5日には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決定されました。

ユネスコの世界遺産に登録されるまでの間にも、風化が進んで崩落の危険が生じ、一部の市民からは「見るたびに原爆投下時の惨事を思い出すので、取り壊してほしい」という根強い意見もありました。

人々の苦しみはそう簡単に消えるものではありません。
決して時間でも解決してくれることはありません。

後世に東日本大震災の惨状を伝えていくことは必要だと思います。
昨秋にこの地を訪れて、周りに何もない中に骨組みだけを残した防災対策庁舎は異様に映ったことだけは確かです。

周辺の整備が整っていけば後世への震災遺構としての役目を果たしてくれるのではないのかな?と個人的には思うニュースでした。

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