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2014年8月22日 (金)

藤村忌と初デートの想い出?

1943年(昭和18年)8月22日に「東方の門」を執筆中に脳溢血で倒れた島崎藤村は<涼しい風だね>の言葉を残してこの世に別れを告げました。

この時の様子を静子夫人からか聞いたことがあります。

藤村はロマン主義詩人として処女詩集「若菜集」などを出版後に小説を執筆すようになり「破戒」「春」などを発表して自然主義作家となり、その後は姪との近親姦を告白した「新生」を発表したり、歴史小説の大作「夜明け前」などを著し、かなり波乱万丈の人生を送った作家の一人だ思います。

私は1897年に処女詩集として発刊された「若菜集」に収録されている「初恋」が一番印象に残っている作品なのです。

今日は藤村忌にあたるので「初恋」の全文を転載させたいただきます。
(写真は大磯地福寺の境内にある「島崎藤村」のお墓です。)

0822 まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の
 花ある君と思ひけり

 やさしく白き手をのべて
 林檎をわれにあたへしは
 薄紅の秋の実に
 人こひ初めしはじめなり

 わがこゝろなきためいきの
  その髪の毛にかゝるとき
  たのしき恋の盃を
 君が情に酌みしかな

 林檎畑の樹の下に
  おのづからなる細道は
 誰が踏みそめしかたみぞと
  問ひたまふこそこひしけれ

少女からおとなに昨日までとは見違えるような大人になった君から、着物の袖から眩しいばかりの白い手から真っ赤に熟した林檎をもらえば、その林檎を君の身代わりの用に大切に思い恋をしたのが始まりだっだと。

1965年、高校一年生になった時に同級生と初めてのデートをしました。
会ったのは林檎の木の下ではありません。
小学校のグランドでした。

ビリーバンバンの「白いブランコ」が発表されたのは、この4年後です。
ブランコに一人揺れている様など想像も出来ませんでした。

しかし、私は彼女が来るまで揺れていたのです。ブランコではなく鉄棒にぶら下がって!
そして、近くの海岸まで歩を進めたのは覚えています。
その道のりの長かったこと!気恥かしさで一杯でした。

憧れの君を目の前にして、この詩の初恋の様に、「僕はどう話しかけていいか分からなかった。ため息が出るばかりであったことも覚えています。顔を合わせる傍にいる彼女に吐息が君の前髪にかかった?」かは分かりません。

でも、私にも半世紀前にはこうした初々しさも残っていたんですよね?
しかし、この様な情景って現在の子どもたちに理解してもらえるのでしょうかね?

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