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2014年2月 1日 (土)

エリザベス・サンダース・ホーム

1948年2月1日、66年前のことになります。
大磯町に「エリザベス・サンダース・ホーム」が設立されました。

このホームは、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜先生が、財産税として物納されていた岩崎家大磯別邸を募金を集めて400万円で買い戻して、孤児のための孤児院として設立したのです。

このホームを設立したきっかけは
     キリスト教人物小伝(16) 
     澤田美喜(1901~1980) に詳しく掲載されています。
詳細は、http://www2.plala.or.jp/Arakawa/christian16.htm をお読みください。

以下はその引用文です。

『1946年のある日、沢田美喜は東海道線を走る列車の中にいました。ガタッと列車が揺れた拍子に、網棚から

紫の風呂敷が、真下にいた美喜の膝の上に落ちたので、網棚に戻そうとすると、包みを不審に思った警察が寄ってきて、開いて見せることを要求しました。
言われた通り、風呂敷きを開いてみると、中身の異様さに、警官も、周りの乗客も、美喜自身も、息を飲みました。それは、生まれたばかりの黒人嬰児の遺体、だったのです。

「きさま、敵国の混血児を生みちらかして、捨てようとしたか!」
 てっきり美喜を母親だと思い込んでの警官の怒声に、彼女はきっぱりと言い切りました。

「この列車にお医者さんが乗っていらしたら、すぐここに呼んで私をお調べください。今すぐにでも私は裸になりましょう。私が生後数日の子を産んだ体か、さあ!ここで診察してください!」』

結局、他の若い女が網棚に置いて降りていったという乗客の証言で、この件から無事放免されましたが、美喜には、この出来事がどうしても偶然とは思えませんでした。【ここまで引用文】

0201こうしてホームは、戦後日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは自由恋愛の結果生まれたものの、両親はおろか周囲からも見捨てられた孤児を受け入れる一方で、「エリザベス・サンダース・ホーム」へ続くトンネルの前に置き去りにされることが後を絶ちませんでした。
こんな話を生前の澤田先生から聞いたことがあります。

戦後の厳しい時代において、澤田先生の活動はなかなか理解されず、心無い批判や中傷を受けることも少なくありませんでした。
大磯町が海水浴場発祥の地でありながら、地元の海で子どもたちを泳がすこともできずに、ご主人である外交官澤田廉三氏(のちの国際連合初代大使)の出身地である、鳥取県岩美町まで海水浴に行ったのです。

1980年にスペイン旅行中に78年間の波乱の生涯を閉じるまでの32年間に2000人以上の孤児を育てあげました。
こうして多くの子どもたちを育て上げ、社会に送り出した功績は、やがて世界の人々も知るところとなり、多くの称賛の声が寄せられるようになります。そして、没後は大磯町名誉町民として末永く顕彰されています。

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