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2012年12月29日 (土)

お年玉付き年賀はがきは私と同い年!

昨日が御用納めでしたので今日からが年末年始のお休みです。
休みと言っても積み残した仕事の整理や、何よりも年賀はがきを書かなくてはなりません。
毎年、年末の休みの最初の日は「年賀状」書きから始まります。

日本では7世紀中盤の大化の改新により現在でい言う郵便制度等のような制度が整えられ、政治的な伝令書を届けるために畿内各所に駅馬を置く「飛駅使」制度が既に始まっていたようです。
この頃には天皇が諸臣の賀を受ける「朝賀の式」が制度化されていたようです。

その後は中世・戦国期を通じ「駅伝」「飛脚」などの制度が徐々に確立してくると、一般の書状はもとより、年賀のための書状も多くなってきて、戦国大名が賀詞を述べた書状なども多く現存しています。

さらに江戸期に入ると、街道の整備が進み「飛脚」制度が充実していきます。
中期には、町人文化の爆発的な隆盛とともに、遠隔地だけでなく、江戸市中を配達する「町飛脚」なども多く現れ、武士階級だけでなく庶民が手紙を出すことが普通になってきました。

この背景には寺小屋などが多く出来て「読み・書き・算盤」がかなり普及した結果だと思います。
江戸後期には、日本は世界一の就学率、識字率の高い国だったとも言われます。

その後に色々な変遷、特に戦時中には「年賀状廃止 お互いに年賀状はよしませう」といったポスターも作製された時期もありました。そして戦前までは、年賀はがきといっても当然官製はがきです。
今の様なお年玉付き年賀はがきが生まれたのは、私と同い年、昭和24年です。
このお年玉付き年賀はがきは、発売と同時に大きな話題を呼び、大ヒットしたそうです。

そして第1回のお年玉付き年賀はがきの賞品は
 特等:ミシン
 1等:純毛洋服地
 2等:学童用グローブ
  3等:学童用こうもり傘 だったそうです。

未だに多くの年賀状をいただいても末等の切手シートしか当たったことのない、私にとっては時代が変遷しても賞品は関係ありません。

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