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2012年8月22日 (水)

資料館・美術館巡りの一日

大磯町郷土資料館の「東海道大磯宿 ~小島本陣資料を読み解く~」に行きました。
大磯宿には3つの本陣(小島・尾上・石井)がありましたが、資料が現存し、その様子を伝えるのは北本町に位置した小島本陣のみです。

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宿記録帳等を見ると、年間50~60位の西国に位置する、紀州や尾張等歴史書でお馴染みの大名たちの往来を記録した資料が残されています。
東海道がこうした大名を始め、庶民の往来で賑わっていたのだろうことが想像されます。

平塚市が市制80周年を記念して開催している平塚美術館の「上村松園と鏑木清方」展に。
両氏の作品は「近代美人画」の巨匠という点で共通しています。
同時期に活躍し、江戸情緒を懐かしむ美人画の作品ですが、京都育ちの松園、ちゃきちゃきの江戸っ子の鏑木で女性表現のそれぞれの特長があり、京都と東京の下町の時代、風俗の差におもしろいものがありました。

120822_2

松園は1948年には女性として初めての文化勲章を受章しています。
幼いころから画に卓越した才能を持っていた松園は10代の頃から頭角を顕しています。
明治時代です。「女は嫁に行き家を守ることが最上の美徳」とされている時代ですから、世間を始め、男性画家の絶好の中傷の対象にもなったようです。

こうした社会の偏見とも戦ってきて創作活動に没頭してきましたが、40歳代頃に年下の男性に失恋してスランプに陥ってしまうこともあったようです。
今まで、清らかな美人画を描く続けてきた松園が1918年(48歳)で発表をした「焔(ほのお)」は、『題材となったのは、光源氏の愛人・六条御息所が、正妻の葵上に嫉妬して生霊となった姿だ。能面では白目に金泥を入れると「嫉妬」を表現する面になる。この絵でも金泥が入っており、乱れた髪を口で噛むなど何ともオドロオドロしい。松園自身、「なぜこのような凄絶な作品を描いたのか自分でも分からない」と語り、この作品の発表後、3年間展覧会への出品を一切断つ。しかし皮肉にも、この作品が松園の評価をさらに高めた。それまで彼女を単なる美人画描きと否定していた連中は、凄まじい情念が込められた『焔』に、松園のすごみに圧倒された。』と評されています。

 『焔』は下のURLから見て下さい。

 http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl_img&size=L&colid=A11098&t=
残念ながら本画は今回の企画展には展示されていません。

大磯宿の本陣資料で江戸時代の東海道を想像し、明治期から大正、昭和の江戸(東京)と京都の風物と美人画を鑑賞した有意義な夏休みの一日になりました。

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西湘を拠点にして色々なプロジェクトを立ち上げて奮闘しています。そして私も遊ばされています。

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