« 春一番のない「春」 | トップページ | 仕事に追いつかれている? »

2012年3月26日 (月)

「我」を捨てる

我を捨てると言うと連想されるのは「無我」です。
そして、謙遜の意味で使う自分を卑下するのも「我」の強さから来るものだと。
仏教に関する書物をたまに見ると思い違い、勘違いに気づかされます。

我には「四我」があるようです。

「我痴」
知識の「知」は「事物を認識判断すること」という意味を持ちます。その知が病気にかかると「痴」になります。
「我見」
自分本位にものを考え、押し通すことです。これも「我の強い人」です。
「我慢」
普通、「我慢」というと、耐え忍ぶこと、じっと耐えることを言うのですが、ここでの我慢は「自慢すること」つまり「慢心」のことを言います。心の奢りです。
「我愛」
他人が痛い目にあっても何ともないが、自分が痛い目にあえば、大騒ぎです。結局は自分が一番大事で可愛いのです。

我痴・我見・我慢・我愛、これらをしっかりと持って離さない人を「我の強い人」と言うようです。
ではこうしたことを持たなければ良いのか?
持たなければ持たないで、それを「無我」と言います。
そうすると簡単に「無我の境地」などということは出来ません。

では一体「我」は何処にあるのでしょうか?
分かりません。人間は所詮、一生、「我」探しの旅なのかも知れません。

« 春一番のない「春」 | トップページ | 仕事に追いつかれている? »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/544481/54317828

この記事へのトラックバック一覧です: 「我」を捨てる:

« 春一番のない「春」 | トップページ | 仕事に追いつかれている? »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

facebookで私の交友を見てください

イソタビドットコム

私と東海道との係わりの源です

西湘を拠点にして色々なプロジェクトを立ち上げて奮闘しています。そして私も遊ばされています。

きれいな水と美しい緑を、再生し、育み、守るために活動しています

NPOな人 椎野修平ブログ