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2012年1月11日 (水)

74歳の現役サーファーの旅立ち!

大磯は海水浴場の発祥の地です。
その大磯北浜海岸で手製のサーフボードでサーフィンを始め、これが日本のサーフィンの原点となった方がいました。
サーフィン界の重鎮、坂田 道(さかた おさむ)氏が逝去されてお通夜に行ってきました。

坂田さんが自作のサーフボードを製作した頃の大磯での波乗りといえば、何も使わずにボディーサーフが主流。
小学生だった頃、大人は板子を使って波乗りを楽しんでいました。
板子と言ったって単なる杉板です。その杉板の上に腹這いで波に乗るのです。
それを見ていて、当時の私の家の商売は和服の洗濯屋。その和服を洗濯するのに使っていた洗濯板が約1メートル程あり、小学生の私を乗せるのにはちょうど良い大きさです。

その板を担いでいざ海に。
気持ちの良い波乗りが出来たことは言うまでもありません。
気持ち良く遊んで、意気揚々と引き上げます。
そして、家に帰れば商売道具を持ち出し遊び道具に変身させているのですから、親父の雷が待っていたのも言うまでもありません。これが私の半世紀以上も前の海での遊びでした。

そんな風に遊んでいた頃に坂田さんは「立って波に乗る」ことを夢にしていたのです。
大学を卒業し、社会に出てからも、少年の頃に夢見た「立って波に乗る」ことを忘れることが出来ずに、あきらめずに研究に打ち込み、ついには自作のサーフボードを作り上げたのです。
それが次第に話題になりサーフボードメーカーも生まれました。
サーフボードが普及してくると、次はスポーツとしてのサーフィンの普及に尽力をし、奔走し、1965年に、念願の夢でもあった日本サーフィン連盟を立ち上げて大手鉄鋼会社勤務の傍ら16年間理事長に就任し、その後は相談役を17年務め、1984年にはカリフォルニアで開催された世界選手権に日本チーム監督として初参戦し、今日のサーフィンの歴史を築いてきました。

70歳を過ぎても「俺は年金現役サーファーだ」と元気でいた坂田さん。
74歳ではいささか早い旅立ちでした。
しかし、貴方の半世紀にわたる努力は日本のサーフィン界、サーファーの方々に末永く語り継がれていくでしょう。だから、これからは天国から暖かく見守ってあげて下さい。
坂田さんのご冥福を心からお祈りいたします。

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