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2011年7月 5日 (火)

(財)吉田茂国際基金への感謝状贈呈式

今年の3月に(財)吉田茂国際基金が一つの時代の役割を終えたとして解散をして、4月から清算手続きを始めました。その財団が残余財産を平成21年3月に火災により消失してしまった、旧吉田茂邸の再建資金として大磯町に寄附をしていただきました。
276,580,839円の寄附をお預かりしました。
内訳は2億円が再建資金。そして7千6百万円余が建築後の活用等の資金です。
その他に蒋介石総統からの贈り物を始め、一級品の調度品もいただきました。

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     ▲
  目録を受領する中﨑大磯町長

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     ▲
  感謝状の贈呈
  中﨑大磯町長と代表精算人の和田清治氏

以下の文章は《この内容は「広報おおいそ」2009年10月号》を転載しました。

平成21年3月22日、戦後政治史の舞台となった旧吉田茂邸が全焼しました。吉田茂は内閣総理大臣として戦後の日本外交を主導し、敗戦国日本の独立を果たした昭和の元勲、また「大磯の賢人」として国内外で高く評価されています。
相模湾に面し、富士山が一望できる旧吉田邸は、吉田茂の養父である吉田健三が、明治20年頃大磯の土地を購入し、別荘を建てたのが始まりとされています。
吉田は海外で訪問先の歓待を受けた経験から、戦後、敷地内に外国貴賓が宿泊できるいわば迎賓館の新築を思い立ち、日本芸術院会員であった建築家の吉田五十八に設計を依頼し、京都の宮大工を呼んで豪壮な総檜造りの数寄屋風和風建築を完成させました。「吉田御殿」と呼ばれ、応接間や客室など13部屋からなるこの邸宅には、吉田の政界引退後も政財界の要人たちが「大磯詣」と称して足繁く通ったことが知られています。
晩年寝室として使用していた部屋には、富士山を眺望できる大窓がありました。「西日が差す」という大工の忠告にも構わずこの窓を作らせたといいます。
この部屋をはじめ、書斎にあった官邸直通のホットラインであるダイヤルのない黒電話、昭和54年日米首脳会談が行われた客間、蒋介石から贈られた衝立など、旧吉田邸には政治史を彩る貴重な資料が数多く残されていました。

しかしこれらすべてが先日の火災で灰燼に帰してしまったことはまことに残念です。
昭和42年10月20日、穏やかな秋晴れの日、「富士を見たい」と言ってベッドから椅子に移った吉田の目の前には、息をのむほど美しい富士山の姿がありました。そして一言、「きれいだね、富士は」と呟き、しばらく飽くことなく富士山を眺めていたといいます。その日、富士山をこよなく愛した大磯の宰相は89歳の生涯を閉じました。

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