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2011年6月25日 (土)

島崎藤村先生が取り持つ縁

二日続きで芸術関係の内容をアップしたので、今日は文壇のことについて書きます。

今夜は、姉妹都市小諸市と大磯町体育協会との交流会に行ってきました。
大磯町と小諸市。
姉妹都市を結んでいるのは島崎藤村先生の縁です。

以下の文章は「10.02」にアップした島崎藤村先生に関する私の記述です。

高校生の時に大好きな詩でした(若菜集・初恋の一節です)

 まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の
 花ある君と思ひけり

島崎藤村は長野県馬籠村(現岐阜県中津川市)で生まれました。その後は東京に出て教師になり、1899年(明治32年)、小諸義塾の教師として長野県小諸町(現小諸市)に赴任し6年を小諸で過ごしました。その間に小諸を中心とした千曲川一帯をみごとに描写した写生文「千曲川のスケッチ」を発表し、その後は詩から離れて1906年(明治39年)に発表した「破戒」によって小説家としての地位を確立しました。その後は歴史小説「夜明け前」の大作等を始め数多くの作品を発表してきました。そして日本ペンクラブの設立にも力を入れて初代会長に就任しています。

小諸に赴任した年に冬子と結婚しました。
1910年(明治43年)妻冬子は末娘を出産後に産後の肥立ちが悪くこの世を去ってしまいます。妻の死去をきっかけに、この後は前述の若菜集からは想像もつかないような女性関係が続きます。1918年(大正7年)に「新生」を発表し、この関係を清算しようとしたようです。

藤村の生活に安定期が訪れたのは、1928年(昭和3年)に静子さんと再婚してからです。

(静子さんだけさんづけ? 若い頃、静子さんとは着物談義をした経緯があります。藤村から送られた帯や着物も沢山見せていただきました。地福寺は私の家の菩提寺でもあります。だから地福寺に行くと藤村より先に自然と静子さんの墓前に先に手を合わせてしまうんです。)

この生活の安定が藤村の生涯の代表作「夜明け前」につながったのだと思います。

1941年(昭和16年)藤村は大磯の左義長を見にきて大磯を終の棲家にしました。
1943年(昭和18年)「東方の門」の連載中に同年8月22日に脳溢血のため自宅で「涼しい風だね」と言う言葉を残して亡くなりました。

島崎藤村については姪、こま子との過ち等を通じて好き嫌いのある文豪かも知れません。
しかし藤村を介して大磯町は中津川市と小諸市とは文学姉妹都市として今でも交流を行っています。
以上、過去の引用文。

しかし、先生が亡くなって70年近くが経ち、その後に生まれた者が民間レベルでこうした文化交流やスポーツ等の親善・交流が出来ることに幸せを感じます。

それは島崎藤村先生が日本を代表するロマン主義詩人であり代表的な自然主義作家であったと言うことです。

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