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2011年2月19日 (土)

旧吉田茂邸再建検討状況説明会

午後の昼下がり標題の説明会があり大磯小学校体育館に行ってきました。
吉田茂と言えば、優れた政治感覚と強いリーダーシップで戦後の混乱期にあった日本を盛り立て、戦後日本の礎を築いた一人と言っても異論を唱える人はないと思います。

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吉田は一橋大学の前身の高等商業学校に籍を置いたり、慶応義塾・東京物理学校(東京理科大学の前身)に入学しているがいずれも中退。1897年(明治30年)10月に学習院に入学、1901年(明治34年)8月に学習院高等学科を卒業した。同年9大学科閉鎖に伴い1904年(明治37年)同年9月に東京帝国大学法科大学に移り、1906年(明治39年)7月、政治科を卒業、同年9月、外交官および領事官試験に合格しました。
外交官時代当時外交官としての花形は欧米勤務でしたが、吉田は入省後20年の多くを中国大陸で過ごしています。
結して成績は優秀ではなかったと言われています。だから希望する当時のイギリスを始めとする欧米に勤務することが出来なかったんです。頭が良かったら(ペーパー上での)吉田茂は一外交官で終わっていたかも知れません?ここに人生のおもしろさを感じます。

また吉田茂は、洒脱かつ辛辣なユーモリストとしての一面もあり、公私に渡りユニークな逸話や皮肉な名台詞を多数残しています。
好きな逸話の一つです。
『憲法改正を急ぐ吉田に疑問を呈する議員たちに対して「日本としては、なるべく早く主権を回復して、占領軍に引き上げてもらいたい。彼らのことをGHQ (General Head Quarters) というが、実は “Go Home Quickly” の略語だというものもあるくらいだ』と皮肉をこめた答えを返したと言います。

(資料の一部はウィキペディアを参照しました)

その、故吉田茂元首相の邸宅が平成21年3月22日に焼失してしまいました。
以来、旧吉田茂邸の再建に向けては、建築に伴う法律の制限や再建費用をどのくらい用意できるか?
再現できる規模や形状などにより条件は大きく変わってきますが、大磯町としては歴史をとどめる重要な部分については焼失前の姿に再現できるよう、現在、神奈川県と協議を進めながら取り組んでいます。

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いずれにしても、戦後の民主主義の礎を築きあげた政治家であることは間違いのないことだと思います。
基金の募金はまだまだ続けます。
ご協力をいただければ幸いです。
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/machizukuri/yoshidatei/saikenproject/saikenkikiin/saikenkikin.html

そんな経過説明の説明会がありました。

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      ▲
  写真は大磯町HPから引用(焼失前の写真)

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