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2010年11月16日 (火)

孟子の「禅譲と放伐」から

孟子の「禅譲と放伐」とは古代中国で、王朝が交替するときの二つの方法のこと。
「禅譲」は君主が徳の高い人物に帝位を譲ること。
「放伐」は悪逆で帝位にふさわしくない君主を有徳の人物が討伐すること。
太古には理想の禅譲が行われていたが、後には帝位を奪い取る際に、形ばかり禅譲の形をとることも行われた。とあります。

分かりやすく自分なりに解釈をすれば「上に立つ者には、それなりの資格があるはず。その資格がない者は上に立ってはいけない。また、その資格を失った時には、潔くその職から身を引く」というのがその思想だと解釈しています。

これを正当化させたのが戦国時代の下克上の思想だと思います。
「資格のない者を討った」これが大義です。
(どこか、霞ヶ関と言うところでもありそうな話ですが? )

「その資格を失った時」とはどのような時なのでしょうか?
最近一番考えることです。
若年の就労の機会が多く失われています。例え小さな職場であったとしても、自分が身を引けば・・・・・・。
土・日のイベント等で出勤が続くと腰に疲れが溜まって動けなくなってしまう、自分自身への不甲斐なさ・・・・・・。

私もこの数年にはこうしたシーンに身を置くケースがあります。あるはずです。

そこで「引き際の美学」ってどのようなシーンなのでしょうか?
大好きであった長嶋選手の「我が巨人軍は永久に不滅です」
格好良かったです。

昨日の大相撲では白鵬が負けました。
昭和の大横綱であった千代の富士関は一言「体力の限界」
涙ながらに語ったこの言葉に感動をしました。

しかしですね。この引き際の美学を考えるには前提条件があるはずです。
それには「自分の出処進退は自分で決めるべきだし、決められる」仮説が必要になります。
そして「功績等名を遂げた」人であり、現役で、現在でも立派にその往時のレベルを維持しているということが必要最低条件になるはずです。

こんな条件と照らし合わせたら「引き際の美学」を考えることがおこがましいようです。
自分には与えられた職務を一生懸命に実行していくことに意義がありそうです。
そして、私に一番必要なのは「健康」の二文字のようです。

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