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2010年11月10日 (水)

曾我兄弟物語サミット

第2回曾我兄弟物語サミット実行委員会からパネルディスカッションのパネリストの招待を受けました。

曾我兄弟物語というと、すぐに思い浮かべるのが、源頼朝が富士の巻狩り行った際に、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が工藤祐経を父親の仇討ちをの出来事が、赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つであることで知られています。
時は建久4年5月28日(1193年)です。

曾我兄弟の仇討ちは、この出来事の後に『曾我物語』としてまとめられ、江戸時代になると能・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵などの題材に取り上げられ、民衆から大きな人気を得ています。

曾我兄弟に関する史跡は、伊豆から神奈川県西部、そしてお誘いを受けた富士山麓に分布しています。その中の関わりでお声が掛かったのだと思います。

曾我兄弟と大磯と言えば「虎御前」です。

1110_tora

「虎御前」は大磯の虎とも呼ばれ、「吾妻鑑」に詳しく記載されています。実在の人物です。
虎女は、成長するにつれて、容姿は花のごとく、色香はますます加わり、艶名は遠くまで聞こえていたようです。源朝廷の恩寵を受けて、鎌倉時代初期の大磯宿を代表する女性でした。
いや、むしろ関東を代表する女性であったと言った方が良いかも知れません。

虎女が十郎とそもそものなれそめは建久2年、ときに虎女が17歳、十郎は3つ違いの20歳の時でした。足かけ3年の短い縁でした。建久4年5月28日、曽我兄弟は富士野狩場で、父の仇工藤祐経を討って本懐をとげ、若き命を終わりました。

虎女は明け暮れて涙に沈みつつ、兄弟の菩提を弔い続けました。
それ故に5月28日には虎女の涙が、雨になって必ず降ってくると、言い伝えられて、これが広重の描いた「虎が雨」です。

1110_toragaame

虎さんの名誉のために追記します。
遊女と言うと男の性の対象とするイメージが先行し暗くマイナスなイメージを強く持ちます。
しかし、当時の遊女はむしろ知識人であり歌舞などの技芸を厳しく長者と言われる元締めのような存在の女性から躾けられ、時には教養も身につけた女性たちで、神聖な存在として巫女の代わりをするようなこともあったと言われています。

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