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2010年11月 2日 (火)

男の生き方の美学 竹中 半兵衛

竹中 重治は半兵衛の通称で知られた戦国時代を代表する軍師です。
豊臣秀吉から三顧の礼で迎い入れられ後に参謀として活躍し、黒田官兵衛とともに「二兵衛」と並び称された人物で知られています。

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竹中 半兵衛(ウィキメディア・竹中重治像/禅幢寺所蔵から転載)

竹中 半兵衛の主君は斎藤龍興。斎藤龍興は蝮と呼ばれた斎藤道三の孫です。
龍興は酒色に溺れて政務を顧みようとせず、半兵衛を始め自分の意見と違う人物を遠ざけて、反対に耳に美味しい話を持ち込む重臣を集まれば、いずれはクーデターに近いものが起こります。
半兵衛は龍興の居城・稲葉山城(後の岐阜城)をわずか十数人の部下とともにわずか1日で奪取してしまい、龍興を放逐してしまいました。
この出来事があった後、織田信長は半兵衛が稲葉山城奪取を知ると、城を譲り渡すように要求したが、半兵衛は拒絶し、稲葉山城を龍興に返還してしまいました。

結果的には永禄10年(1567年)、織田信長の侵攻により斎藤氏は滅亡してしまいました。
織田信長は、どうしても竹中半兵衛を自分の家臣として登用したいと考え、木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉)に自分の家来になるように勧誘を命じ、秀吉は「三顧の礼」で半兵衛を誘いましたが、竹中半兵衛は、豊臣秀吉の天性の才能を見抜き、織田信長に直接仕えることは拒絶したが、豊臣秀吉の家臣となることを了承し、秀吉の天下取りに大きく貢献をしました。

半兵衛は体が弱く見た目は痩身で女性に見間違えられることも多々あったようです。出陣するときも静かに馬に乗っているだけだったといわれたいます。36年の短い人生を戦国の時代に駆け抜けました。

半兵衛の戦の仕方には陰険さをみじんに感じることがありません。そしてどことなく常に詩情が漂うところに魅力を感じます。
半兵衛の生き方には今でも通用する部分が沢山あります。だから魅力を感じるんです。

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