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2010年11月

2010年11月30日 (火)

父親、母親の出番ですぞ!

子どもを育てるのはやさしさと厳しさの紙一重にあると思います。
やさしくし過ぎれば子どもはつけあがります。
厳しくし過ぎればひねくれることもあります。
本当に子育ては難しいと思います。

今朝、事務所に行くと玄関前の階段のタイルの端が欠けていました。
うん~ と思っていると、出勤をしてきた職員から昨晩残業をしている時に玄関先で大きな音がしたので外へ出てみたところスケボーで階段を利用して遊んでいたとの報告を受けました。
時間は午後8時過ぎのことです。

このところ私の事務所の前では夕方から夜間に掛けて目の前の小公園を中心にスケボーを楽しんでいる中学生らしき子ども達が数人います。

今夜も帰り際に、スケボーをやっている子ども達に、公園の段差を利用して遊ぶと公園のタイルが欠けてしまうこと。
また、昨晩は私の事務所の階段をスケボーを利用して遊んでいる仲間がいて階段の一部が破損してしまったことを遊んでいる子ども達に、少なくとも君たちだけはそのような行為はしないように、そして暗くなってから公園や公道でこうした遊びは自重するように言い聞かせたつもりでいました。
しかし、帰ってきた言葉は「うるせーな、この禿オヤジ」には唖然です。
「禿オヤジだからこそこのような注意をするんだよ。君たちのお父さんやお母さんは何も言わないの?」
「そんなこと言わねーよ」

何かやはり私の感覚とはちょっと違うような気がします。
子育て最中のお父さん、お母さん! もう一度我が子がどのように過ごしているのかを見つめて下さい。
そして責任を自分外に追わせるような「外責」の考え方を排除して下さい。
その因を内側に求めて下さい。

一生懸命子どもに「愛のムチ」で接しているというお父さん。「愛の無知」になっていませんか?
母親の愛しみ、包み込むような愛が「愛の無恥」になっていませんか?
子どもの教育の根底を家庭から見直すことが必要だと思います。

2010年11月29日 (月)

新町長が決まりました

昨日、大磯町町長選の投票が行われ、即日開票の結果5524票を獲得した中崎久雄氏が当選しました。
昭和29年に旧大磯町と旧国府町が合併し現在の大磯町になってから第9代目の町長になります。

私たちは、色々な場面で生活をしています。
様々な場面で暮らしてもいます。
その私たちの周りの生活や社会、地域を良くするために、自分たちの意見を反映させてくれる代表者が必要になります。その代表者を決めるのが「選挙」ですよね。

このように「選挙」とは、自分たちの代表を選び、自分たちの意見を政治に反映させるためのものであり、一人ひとりが「選挙」に関心を寄せることで、「選挙」はもっと身近なものになるはずです。

国民には等しく参政権があります。
政治に参加出来る権利があります。選挙権もその中の代表的な一つです。被選挙権も等しく持ち合わせています。

そして選挙は社会、地域を良くするために国民、町民が行う手段の一つです。
あくまで目的は「住みやすい社会、地域を良くするため」のものです。

奇しくも本日は国会では1890年(明治23年)の帝国議会開設から120年を迎えた本日、衆参両院は、天皇、皇后両陛下をお迎えして、参院本会議場で「議会開設120年記念式典」が開かれました。

手段によって出た結果は、人それぞれに違った考え方があろうかと思いますが、選挙を終えて、望むのはエイブラハム・リンカーンが日本の帝国議会開設より30年程前の、1863年11月19日、南北戦争の激戦地となったゲティスバーグで「人民の人民による人民のための政治」と語っています。
民主主義の本質を語った言葉だと思います。
是非、この言葉に沿った町政の運営を期待したいと思います。もちろん国政も!

2010年11月28日 (日)

第2回曽我兄弟サミットと左冨士

富士市で第2回曽我兄弟サミットが行われ、パネリストの一人として参加してきました。
伊東市で育った兄弟は、父が殺された後に母親と共に小田原の曽我の里に。そこで少年期を過ごし父の仇を討つチャンスを伺っている所に大磯宿との関わりが出来ます。
そこに富士の巻狩りの際に起こった曾我兄弟の仇討ちのヒロインで、この物語を色づけ深みを持たせる役割をしている虎御前が登場します。そして悲恋物語としても語り継がれるようになってくる物語です。

もともと曽我兄弟の仇討ちは、渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った事件と赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つとされています。

今日は伊東市、小田原市、富士市、富士宮市とそれぞれの地域の方が出席をして曽我兄弟との関わりを発表しました。

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私は平素から東海道が好きでライフワークを楽しんでいます。
本日の会場は富士市。吉原宿と原宿です。この街道の付近では貴重な風景を見ることが出来ます。
東海道を江戸から京に向かう時に、富士山は常に右手に美しい姿を見せます。この原宿と吉原宿の辺りは松並木の間から左手に見ることが出来ます。
左冨士と呼ばれていて、相模の間の宿である現在の茅ヶ崎市とここでしか見ることが出来ません。

左冨士と言っても天気が悪ければ富士山が見えません。
今日は良い天気だったので素晴らしい左冨士を見ることが出来ました。

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2010年11月27日 (土)

NHK朝の連ドラ「てっぱん」の影響?

今夜は娘夫婦、その息子たちも来て11人での夕食です。
夕食を何にするのか?
NHK朝の連ドラ「てっぱん」の影響か? 
お好み焼きパーティに決まったようです。

そこで、お好み焼きと言えば私は「豚玉」です。美味しい豚肉で食べたいものです。

先日、大磯市(おおいそいち)に出店をしたいと訪ねてきてくれた㈱湘南ぴゅあのことを思い出し、そこまで豚肉を買い出しに。

㈱湘南ぴゅあは自ら大切に育て上げた豚を製造加工している企業です。
今日から土・日に限って工場の一角で小売りも始めるとのことで行ってきました。

「加工品は時間と手間を惜しまずに肉の部位にあった加工方法でじっくり創り上げます。いろいろな食べ方を楽しんでいただけます。」とは音成社長の言葉。
普通スーパーで安く売ってるハムやソーセージは添加物だらけですが、㈱湘南ぴゅあでは20年程前から養豚をしながらずっと無添加ハム・ソーセージに拘り続けています。だから豚の臭いが全くしません。

普段、余り肉を食べない孫たちが「美味しい、美味しい」と。
ビールのつまみに良いと求めてきた骨付きの肉までお株をさらわれてしまいました。

お好み焼きの美味しさ? 言うまでもありません。美味しかったです。

2010年11月26日 (金)

商工会法施行50周年記念式典&商工会全国大会

商工会は昭和35年に「商工会法」が施行されて以来、50周年の記念すべき年にあたります。
本日は日本武道館に天皇陛下、皇后陛下のご臨席を賜り盛大に開催されました。
天皇陛下から「現下の景況の厳しさを受けて小規模企業の経営が大変でしょう」とのお言葉で全国各地から1万人を越える出席をした会員は感激をしました。
陛下の穏やかさに応えるような景況になってくれることを願うのみです。

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記念式典に続いて商工会全国大会を開催して
Ⅰ 景気対策の実行、中小・小規模企業対策の拡充
Ⅱ 生活の場としての地方の活力の再生
Ⅲ 巡回訪問の強化等による会員満足度の向上
以上、3項目を中心とする大会決議が承認されました。

商工会は廃業等により会員が減少傾向にあるものの、青年部、女性部も含めて110万人を擁する団体です。
そして、景気が悪いと言っても日本経済の根底を支えているのは、私どものような中小・小規模企業であることは間違いがありません。

2010年11月25日 (木)

第14回秋季大磯町民ボウリング大会

第14回秋季大磯町民ボウリング大会の第1シフトを大磯プリンスホテルB/Cで開催しました。
主催者として参加してくれる選手のおもてなしを兼ねて、毎回、私もオープン参加しているのですが今回ばかりは腰の回復が遅れているのでパスさせてもらいました。

日曜日の第2シフトの後に、一般、シニア、ジュニアの部の順位を確定します。
従って、今夜の結果は暫定的な順位です。
町民ボウリング大会のレベルも年々非常に高くなっています。
本日の総合優勝者のスコアも3Gで686点です。
アベレージにすると228.6点です。3Gのショートゲームにしても大変なスコアです。
230点弱というボウリングのスコアは1Gの中でストライクが5個連続してその他はスペアメイクしてノーミス。あるいはストライクが2個のダブルとストライクが3個のターキーの組み合わせで230点のスコアになります。
こうしたハイスコアメイクする選手がいる一方で100点をアップして驚喜している選手もいます。

皆さんが楽しくボウリングを楽しんでいただくのが主催者としても願いですので、その点では楽しい大会になりました。

第2シフトは日曜日午前10時スタートです。
初心者歓迎です。大磯プリンスホテルB/Cにお越し下さい。

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2010年11月24日 (水)

第28回 神奈川県商工会優良産業人表彰式

神奈川県内の商工業の振興を図るため、地域商工業の振興に寄与し特に優れた方を表彰する事業です。
表彰や感謝状というと、何となく長年その職にあったから表彰される事業って結構ありますよね。
この表彰事業は単に長く事業を行っていれば表彰対象になる事業ではありません。

本日は神奈川県で44名の方が受賞しました。
一人一人に松沢県知事に代わり黒川雅夫副知事から表彰状と記念品の授与がありました。
大磯町商工会からは㈱サガミ産業の佐藤社長と相模協栄㈱の古館社長のお二人が受賞されました。
その表彰式が横浜でありました。

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     ▲
  受賞者全員の記念写真です。

㈱サガミ産業は良質な原料を基に添加物、色素、香料、保存料等を一切使わない純正なナッツ類の製品を扱っています。ナッツ類は自然条件等が織りなす農産物製品です。取高や品質に大きく影響しますが、アメリカ・スペイン・中国など世界各地から最新情報を受け新鮮な原料を入手し新鮮な製品を提供している会社です。

相模協栄㈱も物流を中心に各種商品を国産品のみならず各国の製品を扱っているだけに、景況の判断に非常に敏感になっています。

それぞれが大変厳しい経済環境があります。
それでも、表彰を受けたお二人は創業社長です。
それだけに逞しさがあります。そして創業時の初志を忘れずにメッセージを発信続けている企業です。

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           ▲
     重田大磯町商工会長を中心に
左 相模協栄㈱の古館社長と 右 ㈱サガミ産業の佐藤社長です。 

本当に受賞おめでとうございました。

2010年11月23日 (火)

大磯城山公園 「もみじのライトアップ」

今年で6回目となるもみじのライトアップが開催中です。
幻想的な雰囲気に心から酔いしれていただけるひと時を週末に味わって下さい。
ライトアップされたもみじが漆黒の闇の不動池に映る様は見ごたえがあります。
さらに500個の園路に灯した竹灯篭も幽玄さを感じていただけるでしょう。
この週末に大磯城山公園で秋の紅葉をお楽しみ下さい。

 詳細は下記URLでご確認下さい。
    ▼
 http://www.kanagawa-park.or.jp/ooisojoyama/momiji2010.pdf

2010年11月22日 (月)

11月22日「いい夫婦の日」

毎日、色々な語呂合わせで?の日と言う日が一杯あります。
その中でも11月22日の「いい夫婦の日」は結構気になる日なんですね。

1985年に政府の経済対策会議でゆとりの創造月間を11月として、1988年に財団法人余暇開発センター(現日本生産性本部)によって提唱されたされた記念日なんですよね。

2000年代に入り、一般にも認知されるようになり11月22日に入籍するカップルも増えているとのことです。

九州場所が行われている大相撲では白鵬の連勝記録が止まってしまいましたが熱戦が続いています。
まあー、夫婦も土俵の中で毎日、毎日真剣勝負でぶつかり合っているようなものです。
勘違いをしないで下さい! 喧嘩をしている訳ではないんです。

土俵を人生や家庭に置き換えているだけですから。
この土俵の中で夫として、妻としての「人間としての生き方」をめぐって夫婦で勝負をします。
従って、この土俵の中では勝ち負けの存在はありません。

やがて、この土俵の中では「父親」「母親」として子どもとも勝負をするようになります。
父親から子どもには適当な緊張感を与え、母親からは心温かさ、愛情、やさしさを子ども達に伝えることが出来れば最高です。

最近は「じぃじ」「ばぁば」としても、この土俵の上にあがることの必要性も生じています。
毎日、家族でぶつかり稽古をやっていると手狭になってきました。
そして、たまに娘夫婦が出稽古に来て、この土俵に参入してくるんですからなおさらです。

カミさんと二人で稽古していた時には広く感じた土俵もいつしか、このように手狭になりました。
私も、カミさんもまだまだ土俵を降りるつもりはありません。

こんなことを確認するのも11月22日「いい夫婦の日」の意義かなと感じた一日でした。

2010年11月21日 (日)

第3回大磯市(おおいそいち)とふれあい農水産物まつり

9月に第1回目の大磯市(おおいそいち)を開催しました。
第3回目となる今日は、ふれあい農水産物まつりと同日開催になったために大勢の方にお越しいただき、大磯港が終日賑わいました。

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今回は50店舗近い出店があり、会場が次第に手狭になるように感じます。
嬉しい悲鳴でもありますが、これから厳冬期にこのイベントをどのように盛り上げていくかが課題になりそうです。

大磯市の終了後は出店もしていただいたル・ビストロノーブルの河津さんが場所を提供してくれて打ち上げです。大磯市の力はこうした若い力に支えていただいています。その中に迎え入れていただくことに感謝です。来月からも頑張ることを誓い合いました。

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そして、帰ってくると愛猫タマがお疲れ様と言いながら?カミさんとの今日一日の出来事をこのように聞いています。

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2010年11月20日 (土)

堀 文子展と大磯

平塚美術館で開催されている堀文子展に行ってきました。
もっと早く行きたったのですが、土・日に中々休みが取れずに今日になってしまいました。

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堀先生は1967年に大磯に転居されて以来90歳を超えた今での創作活動をしています。
現在の住居・アトリエにしている以前は、私の住んでいるところから100メートルも離れていない所をアトリエにしていたので親しみを感じます。

私には日本画の奥深い画風等など知る由もないです。
そんな私ですが、先生の60歳代の色遣いの淡い画が好きです。
2000年、82歳の時に幻の鉱山植物ブルーポピーを求めヒマラヤ山脈の高地を走破して、描き上げたブルーポピーの画、8号ですから大きな画ではありません。その画を初めて成川美術館で見た時には、画の分からない私でも感動したことを覚えています。

 下記のURLにあります。写真の転用は出来ないと思いますので参考にご覧下さい。

 http://maruta.be/user/data/inari/eh_Vd_x6.jpeg

病に倒れてからは、ミジンコなどの微生物や蜘蛛、クラゲなどの海中に生きる命をモチーフとする作品を沢山発表し、その作品が、雑誌「サライ」に「命といふもの」をテーマにして連載されてからは「極微の宇宙に生きるものたちII」のように、ミジンコたちが愛おしく見えるように繊細に描かれています。

常に旺盛な好奇心で新しいテーマに挑む堀先生を姿勢は多くの人々に感動を与え続けています。

そのような素晴らしい画伯が住んでいる町です。

近年は顕微鏡でのぞく微生物の世界や切り絵にもどん欲な作家魂をのぞかせ、90才を超えてなお旺盛な創作活動を展開しています。
一方社会的にも自立した女性作家の先駆けとして幾多の困難をのりこえ、自我を確立した女性としての箴言や人生観は大きな憧憬を集めています。
本格的な堀文子展は関東では2004年以来6年ぶりとなり、公立美術館としては初めての開催となります。
初期から現在にいたる代表作、および絵本原画など約80点の作品によって多彩な活躍をみせる堀文子の画業をご堪能ください。とは「平塚美術館からのご案内」です。23日迄です。

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2010年11月19日 (金)

虎御前&虎御石と延台寺

28日の日曜日に富士市に曽我物語サミットに出席をするために延台寺に話を聞きに行き、ご住職に色々とお話を賜りました。

以下は延台寺のHPから抜粋をしました。

天下分け目の関ヶ原の戦いの前の年、慶長4年(1599年)、東海道を旅する身延山久遠寺第19代法主法雲院日道上人がここに一夜の宿をとられ、自らが開山となり、延山直末の寺として開かれた寺院です。以来、今日まで28人の住職が継承してまいりました。
当時、ここには荒れ果てた草庵が朽ちかけていたそうで、寺から20メートルほど緩やかな坂を上ると、江戸(現在の東京)と京都を結ぶ東海道に出ます。
 
幕府が発効した街道の詳しい絵地図によりますと、その右の角に「虎御石」という名物の石が置いてあり、広重や北斎という人気画家も筆に残しています。
この石こそ、鎌倉時代の伝説の舞姫、虎御前の誕生のきっかけとなり、曾我兄弟の兄、十郎佑成の「身代り石」と伝えられる御霊石「虎御石」です。

また、この庵はこの寺の古文書によると、「当寺は元法虎庵と称し、虎御前の草庵なり。
中古大磯宿の東林の辺虎池に創設ありしを永禄年間(1558年)に今の寺に移す」とあります。

朽ち果てた草庵には十郎の想われ人、虎女、すなわち虎御前が兄弟亡き後、19歳で尼となり、この石を兄弟とも思って大切に守り暮らした法虎庵の跡と伝えられています。
寺は江戸から明治にかけて三度大火に焼かれ、仮のお堂で70年が過ぎました。
28代目の住職は60余軒の檀家と力を合わせて再建計画をスタートし、昭和57年には本堂、書院、庫裡の完成を祝い、以後山門、水屋を再建し、平成16年(2005年)法虎庵曽我堂の再建が成り、付属の納骨堂、動物墓苑も完成し、25年がかりでの復興事業は完成しました。

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     ▲
    延台寺

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     ▲
    虎御石

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     ▲
   曾我兄弟座像

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     ▲
   虎御前位牌

2010年11月18日 (木)

雇用保険の適用範囲が拡大されています!

平成22年4月1日から雇用保険の適用範囲が拡大されています!
短時間就労者の方、派遣労働者の方の雇用保険の適用範囲が拡大され、全国で新たに255万人が対象となることが見込まれています。
今一度。ご確認をして下さい。

従前は6ヶ月以上の雇用見込みがあること、1週間当たりの所定労働時間が20時間以上であることが雇用保険への加入要項でしたが、31日以上の雇用見込みがあること、1週間当たりの所定労働時間が20時間以上であることが加入条件になり、大方の短時間就労者の方にも適用になると思われます。
そして、 適用要件に該当する労働者の方を雇い入れた場合(4月1日以前から引き続き雇用され、新たに加入していただくこととなった場合も含まれます。)には、公共職業安定所に対して雇い入れた日の属する月の翌月10日までに雇用保険被保険者資格取得届を提出することが義務づけられています。

労働保険料の算定に使用する雇用保険料率も変わっています。

また、10月21日から神奈川県最低賃金も改定されています。
詳細は下記URLで確認下さい。

   http://pc.saiteichingin.info/

しかし、まだまだ周知が行き届いていない点もあるようです。
従って、次の日程で労務関係に関する講習会を開催します。

 ○日 時:平成22年12月3日(金)
          15:00~17:00
 ○場 所:大磯町商工会館 2階会議室

2010年11月17日 (水)

ポピュリズムの怖さ

ポピュリズムは本来的には、民衆の利益が政治に反映されるべきという政治的立場を指す言葉です。
しかし、最近では「複雑な政治的争点を単純化して、いたずらに民衆の人気取りに終始し、真の政治的解決を回避するもの」として、ポピュリズムは批判的に言及されることが多いです。

大衆迎合主義 mass opportunism の意味で用いられることがありますが、populismで辞書を引いても、この意味は出てきません。

ポピュリズムによって事件が起きることもあります。
12月が近くなると忠臣蔵、赤穂浪士の討ち入りが話題になります。
大内内蔵助は本当に最初から主人の浅野内匠頭の仇を討つ気でいたのでしょうか?
お家が潰されずに内匠頭の後を誰かが相続して、家臣一同が今までの生活が出来ることを願っていたはずです。関ヶ原から100年ほどを経過して徳川時代になって最初の高度成長期で太平の時代。

この時代は「喧嘩両成敗」の時代。浅野内匠頭の吉良上野介への刃傷事件は格好の事件でした。
町民が期待したのは「喧嘩両成敗」の片手落ちを幕府にではなく「このまま、黙っているのか?主人の仇は討たないのか?」と浅野家の遺臣に向けられた期待で起きた事件とも言えるのでは?

中国漁船の衝突映像がインターネット上に流出した事件で、警視庁と検察は、流出させた海上保安官を逮捕しないと決めた。この映像が機密なのか?情報管理がどうの?をコメントするつもりはありません。

「日本の海で起きている出来事を多くの人に知ってもらい、一人一人が考え判断し、行動してほしかった」と訴えていました。
9年前に東シナ海で発生した北朝鮮工作船銃撃・沈没事件などは映像を積極的に公開されてきた経緯もあります。

だから、多くの国民がこの映像の公開を望んでいたとも思えます。私もその中の一人かも知れません。
そうすると、何となく起こり得るべきして起きた事件?
私には、妙に忠臣蔵、赤穂浪士の討ち入りと重なる出来事に写るんです。

2010年11月16日 (火)

孟子の「禅譲と放伐」から

孟子の「禅譲と放伐」とは古代中国で、王朝が交替するときの二つの方法のこと。
「禅譲」は君主が徳の高い人物に帝位を譲ること。
「放伐」は悪逆で帝位にふさわしくない君主を有徳の人物が討伐すること。
太古には理想の禅譲が行われていたが、後には帝位を奪い取る際に、形ばかり禅譲の形をとることも行われた。とあります。

分かりやすく自分なりに解釈をすれば「上に立つ者には、それなりの資格があるはず。その資格がない者は上に立ってはいけない。また、その資格を失った時には、潔くその職から身を引く」というのがその思想だと解釈しています。

これを正当化させたのが戦国時代の下克上の思想だと思います。
「資格のない者を討った」これが大義です。
(どこか、霞ヶ関と言うところでもありそうな話ですが? )

「その資格を失った時」とはどのような時なのでしょうか?
最近一番考えることです。
若年の就労の機会が多く失われています。例え小さな職場であったとしても、自分が身を引けば・・・・・・。
土・日のイベント等で出勤が続くと腰に疲れが溜まって動けなくなってしまう、自分自身への不甲斐なさ・・・・・・。

私もこの数年にはこうしたシーンに身を置くケースがあります。あるはずです。

そこで「引き際の美学」ってどのようなシーンなのでしょうか?
大好きであった長嶋選手の「我が巨人軍は永久に不滅です」
格好良かったです。

昨日の大相撲では白鵬が負けました。
昭和の大横綱であった千代の富士関は一言「体力の限界」
涙ながらに語ったこの言葉に感動をしました。

しかしですね。この引き際の美学を考えるには前提条件があるはずです。
それには「自分の出処進退は自分で決めるべきだし、決められる」仮説が必要になります。
そして「功績等名を遂げた」人であり、現役で、現在でも立派にその往時のレベルを維持しているということが必要最低条件になるはずです。

こんな条件と照らし合わせたら「引き際の美学」を考えることがおこがましいようです。
自分には与えられた職務を一生懸命に実行していくことに意義がありそうです。
そして、私に一番必要なのは「健康」の二文字のようです。

2010年11月15日 (月)

「これが負けかと」言ってみたいですね?

白鵬が稀勢の里に敗れて63連勝で記録がストップしてしまいました。
土俵下の砂かぶり席まで突き飛ばされた白鵬は、首を傾げながら苦笑いし「これが負けかと思った」とする白鵬の姿が印象的でした。
これは大横綱であればこその名言だと思います。

プロの世界ですから連勝記録へのこだわりは相当のものがあったはずです。
大記録には白星6つ届きませんでしたが、まだまだ若い横綱です。
これからも心技体がますます円熟していくはずです。
また、明日から不滅の記録に向け、また一歩ずつ進んでいって欲しいものです。

スポーツの世界では不滅の連勝や無敗記録って信じられないような記録が沢山あることに驚かされます。
ウィキペディアにおもしろい記録が掲載してあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E7%84%A1%E6%95%97%E8%A8%98%E9%8C%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7

2010年11月14日 (日)

ファミリーテニスデー

息子たちが折角セットしてくれたファミリーテニスデー。
昨日から腰痛が再発して参戦できません。残念です。

息子や娘にはどう頑張ってももう敵いません。それくらいは自覚しています。
孫たちと遊びで出来ることを楽しみにしていたんですが・・・・・・。
健康でなくてはいけませんね!

息子は明日、泊まり勤務のためにボウリングのリーグ戦に参戦できません。
テニスの後にボウリング場に寄って先投げ。
そこで入ってきたニュースがパーフェクトゲームを達成したとのこと。
3Gシリーズでも780点越え。800シリーズも視野に入ってきました。
意気揚々と帰ってきました。
娘はお祝いにケーキを用意。孫たちもパパにお手紙。

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着実に父を越えようとする息子の成長と自分の腰の状態が反比例して悪くなることに嬉しいような悲しいような複雑な一日になりました。
後はオフシャルリーグ、トーナメントで300点ゲームを達成するかです。
時間の問題だと思います。
そして私の846点のシリーズも越えることも不可能ではない近頃の息子の安定したゲーム運びです。

2010年11月13日 (土)

最近の日本語は理解不能?

現在、横浜市でAPECアジア太平洋経済協力会議の首脳会議が開かれています。
そして、焦点となっていた中国の胡錦涛国家主席と菅総理大臣との両首脳の会談?が22分間行われました。今までの経緯と変わらない、両国の利益を拡大する「戦略的互恵関係」は重要だという認識で一致したそうです。

「戦略的互恵関係」って一体どのような内容なのでしょうか?
外務省の資料を見ると「日中両国がアジア及び世界に対して厳粛な責任を負うとの認識の下、アジア及び世界に共に貢献する中で、お互い利益を得て共通利益を拡大し、日中関係を発展させること」だそうです。

具体的には『「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明』の中で示されているのが
1.政治的相互信頼の増進
2.人的、文化的交流の促進及び国民の友好感情の増進
3.互恵協力の強化
4.アジア太平洋への貢献
5.グローバルな課題への貢献 だそうです。

最近の中国漁船による衝突事件が起きた尖閣諸島問題等を冷静に考えると、これは「戦略的互恵関係」とは言えないように感じます。
「戦略的中恵関係」ではないですかね?

海上保安庁の中国漁船衝突映像流出事件が大きな問題が生じています。
領海侵犯し公務執行妨害で逮捕されたにもかかわらず、中国船の船長の刑事責任も問えずに釈放された事件から派生した出来事です。

領海侵犯を犯したのが日本船の、今回と逆のケースであったら、日本船は間違いなく中国軍に撃沈されていたでしょうね。

刑事訴追前だから証拠になり得る映像の公開が出来なかったというのであれば、せめて中国首脳にこの映像を提供し事件の全容を認識してもらう事など出来なかったのかなと不思議に思います。
大きな外交のカードになったと思います。

これって本当に「戦略的互恵関係」と言えるのでしょうか?
私には「戦略的中恵関係」に写ります。

2010年11月12日 (金)

イベントから学ぶ

明日の土曜日に予定が入っていないのは9月以来です。
久しぶりに週末の金曜日が気持ちの上でもゆったりと過ごすことが出来ました。

夏から準備をしていた宿場まつりも終わってホットしたこともあります。
(次に向かって走り始めている事業もあるのですが、ゆっくり出来る時にはゆっくりしましょう!)

武田信玄の言葉に「われ 人を使うは 人を使うにあらず その業を使うなり」と「甲陽軍艦」の中で述べています。冷静に解釈をしてしまうと「自分にとっての部下の人格など、人間性などは関係なく、必要なのは、その人間の能力だけ」と言うことになってしまいます。

戦国時代に生きる武将にとってはこうした非常な一面を持つことも必要だったのでしょう。

信玄と言えば「人は城 人は石垣 人は壕」それに続いて「情けは味方 あだは敵なり」の言葉があります。
「情けは人のためならず」
本来の意味は、「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」というのが原義です。

ところがこの言葉を「情けをかけることは、結局はその人のためにならない」という意味で使われるケースが結構あります。

イベントを通して色々なことを学ばせてもらえます。
現在は平和な世の中です。
信玄のような非常な一面を除いて考えれば、一人一人の特技や能力の集合体の結集があるからこそ、楽しいイベントを実施できることは「真」です。
そして、一人一人が自分の時間を割いて、地域のために時間を貸してくれるから成り立ちます。
それも、大勢のスタッフが犠牲的精神だけではなく、自分の生き甲斐になると思い集まってくれるから、来てくれる人も楽しんでいただけるのだと思います。

こうした考え方は組織運営にも通用します。
目の前のイベントは手段。目的はこうしたところにあるのではとふっと考えます。

2010年11月11日 (木)

親業って講座を受ける時代? それも有料で?

最近は親業、つまり親としての役割を効果的に果たすための訓練を有料講座で受ける親が大変増えているとのニュースを聞きます。

自分の気持ちが子どもに伝わらない。
子どもの気持ちが理解が出来ない・・・・・・。
核家族化もこのような弊害を生んでいるんですかね?
この親業を講座で受けなければいけないほど家庭が崩壊しているのでしょうか?

子どもであろうと一人の人間です。
子どもが言うことを聞かない。当たり前です。ちょっとでも自我が芽生えれば親の言うことを聞かなくなるのは当たり前なんです。
それを、言うことを聞かなくなると「あなたのためを思っているから言うんです」
言うことを聞かすために交換条件を出していませんか?
「言うこと聞かないと○○してあげない!」とか。
多分、このようなコミュニケーションが横行しているんでしょうね!

これは親子関係を壊すコミュニケーションなのではと思います。

家庭は、社会の中で一番小さな共同体です。個人一人ひとりにとって一番大切な安住の場所です。
そして子どもが一番影響を受けるのは母親です。

子どもは赤ちゃんの時から親に抱かれて、親の温もりで育っています。
それを誰が知っているのか?
実は一番、子どもが自らの体で知っているはずです。
だから喋り方も似てきます。幼子にとっては親が教師です。

子供は親の愛情に敏感です。

親がこうした親業講座を受けて上手くいくとも思えません。

それより、人間は生きていく上で色々な不安や恐れ等も沢山あります。あるはずです。
逆に、将来の夢や身近に起きる明るい話題も沢山あるはずです。
それ等を、家族の中で受け止め合い、家族の中で暖かく支え合うことにより子どもは逞しく強く育つのではと思います。

子どもには「こうでなければならない」「自分の考える子どもの理想像」を強く持ちすぎると子育てに大きな不安を抱くはずです。
自分の子育てのイメージと違うからこうした親業の講座に頼るようになるのでしょう!

親は、嘘偽りのない自分の姿を子どもの前にさらけ出して、家庭の中のひとつひとつの事を親と子との会話をしていくことが大切だと思います。

2010年11月10日 (水)

曾我兄弟物語サミット

第2回曾我兄弟物語サミット実行委員会からパネルディスカッションのパネリストの招待を受けました。

曾我兄弟物語というと、すぐに思い浮かべるのが、源頼朝が富士の巻狩り行った際に、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が工藤祐経を父親の仇討ちをの出来事が、赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つであることで知られています。
時は建久4年5月28日(1193年)です。

曾我兄弟の仇討ちは、この出来事の後に『曾我物語』としてまとめられ、江戸時代になると能・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵などの題材に取り上げられ、民衆から大きな人気を得ています。

曾我兄弟に関する史跡は、伊豆から神奈川県西部、そしてお誘いを受けた富士山麓に分布しています。その中の関わりでお声が掛かったのだと思います。

曾我兄弟と大磯と言えば「虎御前」です。

1110_tora

「虎御前」は大磯の虎とも呼ばれ、「吾妻鑑」に詳しく記載されています。実在の人物です。
虎女は、成長するにつれて、容姿は花のごとく、色香はますます加わり、艶名は遠くまで聞こえていたようです。源朝廷の恩寵を受けて、鎌倉時代初期の大磯宿を代表する女性でした。
いや、むしろ関東を代表する女性であったと言った方が良いかも知れません。

虎女が十郎とそもそものなれそめは建久2年、ときに虎女が17歳、十郎は3つ違いの20歳の時でした。足かけ3年の短い縁でした。建久4年5月28日、曽我兄弟は富士野狩場で、父の仇工藤祐経を討って本懐をとげ、若き命を終わりました。

虎女は明け暮れて涙に沈みつつ、兄弟の菩提を弔い続けました。
それ故に5月28日には虎女の涙が、雨になって必ず降ってくると、言い伝えられて、これが広重の描いた「虎が雨」です。

1110_toragaame

虎さんの名誉のために追記します。
遊女と言うと男の性の対象とするイメージが先行し暗くマイナスなイメージを強く持ちます。
しかし、当時の遊女はむしろ知識人であり歌舞などの技芸を厳しく長者と言われる元締めのような存在の女性から躾けられ、時には教養も身につけた女性たちで、神聖な存在として巫女の代わりをするようなこともあったと言われています。

2010年11月 9日 (火)

大磯銘柄のお酒

私は全国的に余り知られていない町に旅するのを趣味の一つにしています。
人混みの多い都会に行くと、人に酔ってしまいます。
結果的に人の余り行かない、観光地化されていない所に行きます。
それの方が性分に合っているようです。

そうは言っても都会へは、年に数回は行きます。
いくら片田舎が好きだと行っても世のトレンドを観ておかないと乗り遅れてしまいます。

しかし、都会で人混みに酔うより、お酒に酔った方が気持ちがよ良いですよね。

数年前まで、このお酒(日本酒)が飲めませんでした。
地方に行き、食事をする時の飲み物はいつもビールが専門。
店主から、「ここで飲むビールも神奈川で飲むビールも同じ。ここには○○という美味しい地酒がありますよ。どうですか?」と奨められます。

飲みたかったのですが、飲めなかったんです。

それが、この歳になってようやく日本酒の味に目覚めました。
それからは、地方に旅する中で地酒を飲む楽しさが一つ加わりました。
(こんなコメントを書いていると何処かにふらっと出掛けたくなります)

私の住んでいる町には地酒はありません。
しかし、「大磯」にちなんだ銘柄で販売をしているお酒があります。
昨日の宿場まつりの内容でも触れましたが、今日はそれ等の詳細を紹介します。
是非、機会があったら味わって下さい。

 ○芦川酒店
      「特別純米酒大磯」
        湧水仕立ての辛口
         一升2200円、720ml 1260円
      「米焼酎湘南発祥の地大磯」
        やさしい口当たりでくせが少ない
         720ml 1260円
 ○青木酒店
      「浪漫大磯」
        すっきりとした淡麗辛口、
        固定ファンが多い
         一升2500円、720ml 1260円
      「東海道大磯宿」
        旨みのある辛口
         一升2646円、720ml 1260円
 ○吉川酒店
      「月京」(つきのみやこ)
        手作りの高品質原酒
         一升2800円、720ml 1330円
      「特別純米酒国府新宿」
        コクのあるまろやかな気品
         一升2500円、720ml 1250円
      「国府郷」
        すっきりとした辛口
         一升2180円、720ml 1050円
 ○地場屋ほっこり
      「大磯きぬひかり」
        地場の米を使った焼酎、キリッとした味わい
         720ml 1680円、180ml 480円
      「大磯紅あずま」
        地場の紅あずまを使った芋焼酎
         720ml 1580円
      「東海道大磯宿宿場の酒」
        キレの辛口
         300ml 480円
 ○めしや大磯港
      「めしや大磯港」
        キレのよい辛口、魚にはワインだけでない、
        日本酒も合います!!
         300ml 600円

店舗等の詳細は大磯町観光推進室「イソタビドットコム」をご覧下さい。
                                               ▼
        http://www.isotabi.com/2010sakemap.pdf

2010年11月 8日 (月)

第17回「大磯宿場まつり」写真集

さすがに疲れましたね。本音です。
今日は終日後片づけやお礼の挨拶回りです。
一日では回りきれません。

もう一日だけ「宿場まつり」の余韻に酔わせていただきます。

1108_kaijou_hitohito

     ▲
 このように大勢の方に会場に足を運んでいただきました

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     ▲
 この宿場神社のお賽銭が来年の運営費に?

1108_oiso_sake

     ▲
 大磯銘柄のお酒が勢揃いしました

1108_event_1

     ▲
 街道や舞台では色々なパフォーマンスが

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     ▲
 街道の至る所で津軽三味線を披露

1108_nankuru

     ▲
 三線のリズムに合わせてベリーダンスを即興で

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     ▲
 ますます磨きが掛かる「かんなぎ座」

1108_oiran

     ▲
 宿場まつりの花は「花魁道中」

1108_tabisyouzoku

     ▲
 このような装束で一日盛り上げてくれました

写真の一部は木原氏(大磯の風NEW)から提供いただきました。

2010年11月 7日 (日)

第17回「大磯宿場まつり」御礼

立冬の今日、絶好のイベント日和に恵まれました。
第17回「大磯宿場まつり」に町民や町外から大勢の方に会場に足を運んでいただきました。
ありがとうございました。

それぞれの衣裳で店(たな)を飾ってくれた街道市への参加者。
品川宿、川崎宿、神奈川宿、平塚宿、小田原宿、蒲原宿、由比宿、草津宿に地元の大磯宿を代表して参加して実施した諸国街道市を盛り上げていただいた各宿の皆様。

横浜笑道会を始め各団体に舞台や路上で楽しいパフォーマンスを見せてくれました。
大磯中学校の同窓生による「花魁道中」「実施している旧撰組の皆さん曰く、(老乱道中だと)」
いやいやとんでもない!大変楽しい道中を繰り広げてくれました。

旅装束競(たびしょうぞくくらべ)に参加してくれた「旅人倶楽部」の皆さん。

協賛をいただきました各企業の皆さんご協力ありがとうございました。
そして、こうしたイベントは地元、沿道の皆さんの協力がなければ実施できません。
スタッフの皆さん、お疲れ様でした。

第17回「大磯宿場まつり」に関わりをいただいた皆さんに感謝申し上げます。

※事務所にカメラを忘れてしまいました。
  写真をアップすることが出来ません。

2010年11月 6日 (土)

大磯宿場まつりの準備が出来ました

終日、明日開催される第17回「大磯宿場まつり」の準備です。
まず、雨の心配もなく絶好のイベント日和になると思います。
それだけに、スタッフの意気込みも上がります。

1106_jyunbi

街道の出店ブースも夕方には出来上がりました。
明日は、午前9時までに周辺の細かいところをチェックすれば完成です。

スタッフの皆さん、あと1日頑張って下さい。

2010年11月 5日 (金)

大磯宿場まつりのシンボル 大旗

今日は「大磯宿場まつり」のシンボルである大旗を立てました。
この幟旗が立つと2日後には「大磯宿場まつり」が始まります。

1105_big_flag

そしてイベントの内容は次のようなスケジュールになります。

1105_event_schedule

2010年11月 4日 (木)

事務局長の役目って?

連日お伝えしているように、宿場まつりの準備で追われています。この宿場まつりの事務局の責任者も兼務しています。もちろん忙しいからと言って本業の大磯町商工会の事務局長の仕事を疎かにする訳にはいきません。

General Secretary の仕事って何なのでしょうか?

この中間管理職の一般論は、上からは「何をやっているんだ?」と言われ、一方で下からも「何をやっているんだ?」と言われて、サンドウィッチの真ん中に挟まっている薄ぺらなハムのような存在になってしまうものです。
私が幸せなのは、この現象がないだけにストレスを溜め込めることがありません。
非常に恵まれています。

それでは、何も苦労がないのかというと、それはそれなりの苦労もしています。難しいのはボスへの報告や決済をもらう説明の難しさがあります。
私の立場で言えばこのボスへの報告にはかなりの神経を使います。
まして、大きなイベントを控えていれば、実行委員長への報告も同様なことが言えます。

ある面では全てをトップに報告することは楽です。
しかし、全ての内容を報告し、全ての判断をトップに仰いでいるのではミドルマネージャーは不必要になります。(私は不要になってしまいます)

そこで重要な自分の物差しを持つ必要が生じます。

○会わせるべき(入れるべき)人(情報)
○会わせた方が(入れた方が)がいい人(情報)
○会わせない方(入れない方)がいい人(情報)
○会わせるべきでない(入れるべきでない)人(情報)

この物差しを持っているつもりなのですが、結構、自分の情に流されてしまう弱い一面を持っているんです。そして、いつも何も考えないでいるより、出来ないまでも心の片隅にこうした考えを持っているだけでも違うか? と自分を慰めてしまうんです。
結局、自分に優しいんです。

2010年11月 3日 (水)

大磯宿場まつり準備が着々

30日に台風14号が関東地方に接近して作業を延期していた、大磯駅前等の幟旗等をスタッフで立てました。
駅前に幟旗が立つと、町民の方々も「宿場まつり」がやって来たと感じてくれます。
すっかり11月初頭の大磯の風物詩になりました。

1103_yokomaku

1103_oisostation

これも個性の豊かなスタッフの力の集結のお陰様です。

宿場まつりのスタッフは、それぞれの地域に戻れば区長等の公的な役職を持っている方、企業の代表者です。皆さん、宿場まつりに関わるのが楽しいからと集まってきています。

「マネジメント」という考え方は、ドラッカーが発明したものとされています。
私なりに要約すると、「目的を果たすために存在する」「自己実現を図る手段」「社会の問題について貢献する」それに時間軸をプラスして「資源を組織化することこそ、マネジメントに特有の機能である」
このようなことを言っています。

日本には、その後にあらゆるマネジメント手法が登場してきました。
その多くは、ハーバード・ビジネス・スクールに代表されるアメリカ発の手法です。
管理を技術化して、まして露骨に「おまえを管理しているぞ」と言った手法には大きな抵抗を感じます。
大企業では、いわゆるこうしたハーバード・システムで一定の成果を上げることも可能なのでしょう。

しかし、我々のようなこうした集団や私の組織では、情緒的部分が多分に残っているために、まだまだ「人生意気に感ずる人」の方が多いのです。

最終的には、やはりリーダー等や集まってくる一人一人の人徳であり、人望であり、人間的魅力の集合体です。
これは宿場まつり運営スタッフに限ったことではなく、会社にしろ、NPOにしろ、すべての組織とは、結局、人間の集まりです。

表現力がないので誤解を受けてはいけません。
私は、ドラッカー思考は大好きです。特に「従業員とはコストではなく資産である」という考え方です。
「人間尊重」思想には感銘しています。

2010年11月 2日 (火)

男の生き方の美学 竹中 半兵衛

竹中 重治は半兵衛の通称で知られた戦国時代を代表する軍師です。
豊臣秀吉から三顧の礼で迎い入れられ後に参謀として活躍し、黒田官兵衛とともに「二兵衛」と並び称された人物で知られています。

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     ▲
竹中 半兵衛(ウィキメディア・竹中重治像/禅幢寺所蔵から転載)

竹中 半兵衛の主君は斎藤龍興。斎藤龍興は蝮と呼ばれた斎藤道三の孫です。
龍興は酒色に溺れて政務を顧みようとせず、半兵衛を始め自分の意見と違う人物を遠ざけて、反対に耳に美味しい話を持ち込む重臣を集まれば、いずれはクーデターに近いものが起こります。
半兵衛は龍興の居城・稲葉山城(後の岐阜城)をわずか十数人の部下とともにわずか1日で奪取してしまい、龍興を放逐してしまいました。
この出来事があった後、織田信長は半兵衛が稲葉山城奪取を知ると、城を譲り渡すように要求したが、半兵衛は拒絶し、稲葉山城を龍興に返還してしまいました。

結果的には永禄10年(1567年)、織田信長の侵攻により斎藤氏は滅亡してしまいました。
織田信長は、どうしても竹中半兵衛を自分の家臣として登用したいと考え、木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉)に自分の家来になるように勧誘を命じ、秀吉は「三顧の礼」で半兵衛を誘いましたが、竹中半兵衛は、豊臣秀吉の天性の才能を見抜き、織田信長に直接仕えることは拒絶したが、豊臣秀吉の家臣となることを了承し、秀吉の天下取りに大きく貢献をしました。

半兵衛は体が弱く見た目は痩身で女性に見間違えられることも多々あったようです。出陣するときも静かに馬に乗っているだけだったといわれたいます。36年の短い人生を戦国の時代に駆け抜けました。

半兵衛の戦の仕方には陰険さをみじんに感じることがありません。そしてどことなく常に詩情が漂うところに魅力を感じます。
半兵衛の生き方には今でも通用する部分が沢山あります。だから魅力を感じるんです。

2010年11月 1日 (月)

デュアルシステム研修生受け入れの難しさ

久しぶりに研修生を受け入れました。
研修生も緊張するでしょうが私の方もそれ以上のプレッシャーを感じます。
事前に私の所に届くデータは名前と住所地だけ。かろうじて名前から判断して男性、女性かが分かる位の情報です。

年齢不詳、職歴も分からないのでとにかく面接してからでないと何も準備が出来ません。
本人の希望も当然あるでしょうし。

江戸時代の米沢藩主であった、名君として名高い上杉鷹山の言葉に「してみせて いってきかせて させてみる」があります。良い言葉だといつも思っています。

「してみせて」とは率先垂範は多くにリーダーがやります。私もその中の一人だと思います。
以外と難しいのが「いってきかせて」の部分です。説明をして納得して仕事をしてもらうことです。言い方を間違えれば「何故、俺がこんな新人がやるようなことをしなければいけないんだ?」と思われるケースもあるでしょう。
逆に、「この位のことは言い聞かせなくても分かっているはずだ!」と思ってしまうことも良くあるケースです。実はここが立場の違いでとんでもない行き違いを生じて先に大きな問題に発展させてしまうこともあります。
だから「いってきかせて」は疎かに出来ないんです。

「させてみる」一所懸命に仕事を完成した時には、愛情を持ったねぎらいの言葉を掛けることも忘れてはいけません。

一人一人の性格にあった指示出しがないと逆に捕らえられることもあります。

今回受け入れた研修生はイラストレーターやフォトショップ等を扱っていたようでWebデザイン等に大変興味を持っているようです。
そして、私の事務所ではJava など3D画像を表示するなど、様々なことが可能な技術、つまりイントラネットアプリケーションやその他の作業に使用することなど余り経験がありません。

どうしましょう? 今回は、私の方が教えてと乞うような主客転倒の研修会になりそうです。

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西湘を拠点にして色々なプロジェクトを立ち上げて奮闘しています。そして私も遊ばされています。

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