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2010年10月 4日 (月)

あって良いファジー&あってはならないファジー

あいまいな値を扱う理論に米カリフォルニア大学のL. A. ザデー教授が提唱した「ファジー集合論(fuzzy sets)」があります。
このファジーを英単語辞書で引いてみると「毛羽立った、ぼやけた、ほぐれた。」と言う意味が出てきます。要するに境界や境目がはっきりしていない状態のことを言うようです。

私はここでファジー理論など論ずる気持ちはありません。

しかし、世の中にはファジー(あえて曖昧さと表記させていただきます。)もあって良い場合とファジーであってはいけない部分があると思うんです。

人の考え方は百人百色です。千差万別です。議論を重ねて意見が割れれば、参加している人数分の考え方があります。当たり前だと思います。
ケースバイケースによってはファジー的な要素も加味して先送りした方が良い場合もあります。
結論を出す必要がある時には、「多数決」も一方法でしょう。
逆に少数の意見の方が勝っていると感じれば、そちらの意見を採用することもあると思います。その時には最終的に判断が出来る人の判断で決定をすれば良いのです。

人とのつきあいの中には、このファジーさをとても大切にしたい時があります。
私の好きな詩に吉野弘氏作「祝婚歌」があります。

全て引用してはまずかな?
                   
 二人が睦まじくいるためには
 愚かでいるほうがいい
 立派すぎないほうがいい
 立派すぎることは
 長持ちしないことだと気付いているほうがいい
 完璧をめざさないほうがいい
 完璧なんて不自然なことだと
 うそぶいているほうがいい
 二人のうちどちらかが
 ふざけているほうがいい
 ずっこけているほうがいい
 互いに非難することがあっても
 非難できる資格が自分にあったかどうか
 あとで
 疑わしくなるほうがいい
 正しいことを言うときは
 少しひかえめにするほうがいい
 正しいことを言うときは
 相手を傷つけやすいものだと
 気付いているほうがいい
 立派でありたいとか
 正しくありたいとかいう
 無理な緊張には
 色目を使わず
 ゆったり ゆたかに
 光りを浴びているほうがいい
 健康で 風に吹かれながら
 生きていることのなつかしさに
 ふと 胸が熱くなる
 そんな日があってもいい
 そして
 なぜ胸が熱くなるのか
 黙っていても
 二人にはわかるのであってほしい

何かこの様な気持ちを忘れ去っているような気がします。

しかし、一方ではファジーで対応してもらっては困る事案も最近は多くあり過ぎます。
特に永田町やどこかの地検等には毅然とした対応を取っていただきたいと思います。

そして私たちが、吉野氏の書き下ろした詩を心底から味わうことの出来る社会を創造していただきたいと痛感します。

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