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2010年10月17日 (日)

四日市宿と桑名宿

四日市宿の日永の追分にまず行きました。追分とは道が二またに分かれるところで。ここの追分は京に向かう東海道と伊勢に向かう伊勢街道の分岐点にあたります。日永の追分は、四日市宿と石薬師宿の間に立つことから間の宿とよばれ、周辺には多くの旅籠や茶店などが並んでいました。浮世絵にも饅頭屋が描かれています。

この日永には江戸から100里の一里塚があります。ある筈なんです。一里塚は、1里毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)でしが、ついにこの一里塚後は見つかりませんでした。

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桑名に移動して多度大社に行きました。

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多度大社は五世紀の後半に雄略天皇の御代に御社殿が建てらたとされています。
境内には神馬がお遣えしており、春には上げ馬神事、秋には流鏑馬祭り、更には、神の使者である白馬が、人々に幸せを運んでくるという「白馬伝説」など、馬と関わりが深い神社です。特に春の上げ馬神事は迫力があります。急坂を駆け上がる馬の勇姿を一度は見たいと思います。

市内に戻り六華苑(ろっかえん)を見学しました。

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旧諸戸清六邸で国の重要文化財・名勝になっています。実業家二代目諸戸清六の新居として明治44年(1911年)着工し、大正2年(1913年)に竣工した邸宅は、洋館とそれに連なる和館、複数の蔵などの建造物と池泉回遊式日本庭園を持っている素晴らしいところです。

桑名と言えば七里の渡しです。
慶長6年(1601年)に江戸と京都を結ぶ東海道が制定され、桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は、海路7里の渡船と定められました。宮までの所要時間は3~4時間掛かったと言われていますが、潮の干満にもよりコースは違い時間も一定ではなかったようです。
東海道宿駅制度が制定されたその年に本多忠勝により築城されたのが桑名城です。城跡には現存建造物はなく、石垣、堀が残るのみで、現在は桑名城址九華公園として整備されています。

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もう一つ、桑名と言えば忘れてはいけないのが「桑名のハマグリ」です。徳川家康を初め歴代将軍に献上するのが慣例になっている、この地の名物「焼き蛤」は東海道膝栗毛でも紹介され、三重県の特産品として全国にその名が知られています。それを食べない訳にはいきません。
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皆さんに蛤を堪能していただきました。

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