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2010年10月31日 (日)

分を持って生きる難しさ

人間は自分の置かれた現状に足をおいて「出来ること」を「精一杯にやる」と言うは易し、中々難しい一面を持っています。調子に乗れば分を越えて、何か自分自身が偉くなったような錯覚を覚え、傲慢さを伴った行動をとることも間々あるものです。(気をつけなければ)

日柳 燕石(くさなぎ えんせき)は讃岐国仲多度郡榎井村(現・香川県仲多度郡琴平町)の出身の志士です。

豪農で育った燕石は、幼いときから儒学の勉強に励み、若い頃には既に「四書五経」を読破していたと言われています。

反面、任侠の世界で千人を超える郷党浮浪の徒たちの首領となり、博徒の親分としても知られていた人物です。
賭博場で銭箱の背にもたれ掛かって頼山陽が書いた「日本外史」を読み耽っている光景にはおかしさを感じます。しかし、それが様になっていたそうですから不思議な人物です。

そんな光景が「讃岐に日柳という勤王の博徒」がいると全国に知られるようになり、我々が良く知っている幕末を走り抜けた多くの志士が日柳を訪ねたそうです。
日柳を訪ねた志士は、長州の吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄端・伊藤俊介(博文)、土佐の中岡慎太郎や越後の長谷川正傑らがいたと言われています。

普通の人間真理からすればここで「いい気になり」「人に接する態度が一変する」つまり分を忘れてしまうのが普通だと思います。
自らを訪ねてきてくれた志士より自分の方が勝っているような考え方より、彼等を補完するのが自分の役目だとおもったのでしょう。

そう思っていても、中々こうした生き方が出来ないんです。
ついつい「俺が俺が」って?

慶応元年(1865年)には、高杉晋作が追われて榎井村に燕石を頼って亡命したのをかくまい、そして逃亡させたことから4年のあいだ獄に幽せられたりもしました。

4年後に出獄し、その後には赦免の朝命に接して京都に上って、桂小五郎(木戸 孝允)と共に西国地方に周旋させたのですから幕末の不思議な志士の一人で魅力のある人物なんです。

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