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2010年2月

2010年2月28日 (日)

チリ地震の余波 静かな大磯です

1960年(昭和35年)5月22日のチリ地震が発生し、三陸海岸を中心に大津波に襲われて大きな被害が出ました。

その日は学校から帰って午後からいつものように自宅近所の空き地の木の上に小屋を造る遊びに夢中になっていました。空き地の前にあるスーパーから空き箱をもらって木の股になっている部分を荒縄を土台代わりのして秘密の基地を作っている最中です。

そんな遊びに夢中になっている最中に「海の水がなくなっちゃった?」との情報に遊びを中断して海に駆けつけました。数十メートルも水が引けて渚が大きく広がった光景を不思議そうに見ていたものです。(半世紀も前の出来事です。時間的にタイムラグがあるかも知れません。)

現在のように防災無線等がある時代ではありません。海に近づくことが危険だ、そんなこと知る由もない時代です。目の前の現象がチリ地震の影響により発生していることを分かっている人の方が少なかったと思います。

その後に三陸地方の大きな被害を知り津波の怖さを知ったものです。

現在の所、全国各地で大きな被害が出ていないのが幸いです。
逆に、情報網が発達しすぎているので、何だ、この程度か?、この程度でこんな大規模な避難をする必要があるか? という論議が出るかも知れません。

しかし、これが備えあれば憂いなしと言う実践でしょう。

大磯でも普段は防災訓練の時にしか見ることの出来ない海岸の門扉が全て閉ざされました。これは訓練ではありません。

西湘バイパスの入り口もこの様に封鎖されました。

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西湘バイパスも下りが全面通行止めになりました。
国道一号線が大渋滞です。
東海道線も昼前から運転を見合わせました。
大磯駅のホームには一人も乗客の姿を見ることが出来ません。

人影のない大磯駅です。

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そんな中、我が家の前の「あんず」は7分咲きになって2月の最後の日曜日を日本中が津波騒ぎで振り回されていること知ってか知らずか、いつものペースで春が一歩近づいたことを感じたらしく誇らしげに咲き始めています。

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2010年2月27日 (土)

大磯運動公園のカワズサクラ

ここ数日は春を思わせるような陽気でした。
大磯運動公園に昨年と今年の2年間連続で記念植樹をした「カワズサクラ」と「オオシマサクラ」に開花状況を見に行ってきました。

今年、息子夫婦が記念で植樹した木には蕾がいくつかついていました。
私たちが昨年に植樹をした「カワズサクラ」には数輪、可憐な花が咲いていました。

私たちが記念植樹した「カワズサクラ」です。

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いずれにしても幼木から植樹をしているので、木一杯に花をつけるまでには、まだまだ年数がかかりそうです。

なんで桜は人気があるんでしょうかね。             
咲く前から今年の花見時期を気にしている方も大勢います。今年はいつ頃咲くんだろうと、人は、開花を待ち焦がれて咲いた時のイメージを膨らませて待っています。
日本は新年と、この4月は節目の時期です。卒業・入学・入社のスタート月でもあります。その新しい門出を満開の「染井吉野」が祝ってくれるので特に印象が強く残るんでしょうね。

千本桜は華やかです。しかし、静かに、名も知れぬ所に佇む一本桜には、どことなく威厳があり魅せられます。

大磯運動公園の南斜面の菜の花は今年はちょっと失敗したようです。
一面に咲きませんでした。

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いずれにしても「花」を育てるのは「子育て」と同様に難しいです。

2010年2月26日 (金)

やっぱり凄かった、キム・ヨナ選手!

浅田真央選手はキム・ヨナ選手が完成度の高い演技、それも世界歴代最高を更新する演技後のプレッシャーの中で3回転半を二つ決めたことは凄いと思います。

試合後に涙を見せていましたが、自己ベストの得点を得ての敗退です。ここは素直に相手の演技力を称えるしかないと思います。

二人とも同い年です。良いライバルを得たと思います。お互いの技術を認め合いながら、

ますます成長していくと思います。
金メダルのも相当する価値ある銀メダルです。

安藤・鈴木選手もメダルにこそ届きませんでしたが見ている人に感動を与えてくれる演技が出来たと思います。

地元カナダのジョアニー・ロシェットの天国のお母さんに捧げる銅メダルに。
3回転―2回転―2回転、2回転半―3回転など、11回のジャンプを決め、総合した技術点では銀メダルの浅田真央をもしのぐ評価を得た長洲未来のメダルまであと一歩の4位に食い込んだ16歳の底力に。

今日一日、無限の可能性を秘めた若い力から感動を得ました。

2010年2月25日 (木)

フィギュア女子、最後に輝くのは?

バンクーバー五輪も3月1日の閉会まで、残すところあと4日間です。
後半の話題が明日のフィギュア女子のメダル争いですね。

SP2位から逆転優勝を狙う浅田真央選手とSP首位の金妍児(キム・ヨナ)選手の金メダル争いには世界中が注目しています。

浅田真央は2度跳ぶトリプルアクセルで。
キム・ヨナは2連続3回転ジャンプで金メダルを目指します。

フィギュアスケートの採点は各種目毎に技術点、構成点、ディダクションを算出し、それらを合計した総合得点によって勝敗が決定します。

しかし、我々素人が見ていると連続ジャンプが決まった、ちょっとバランスを崩した程度の判断は出来ますがそれ以外は全く分からないというのが実感です。だから世界レベルと言えるんでしょうね。

浅田選手のフリーで使用するラフマニノフ(ロシア)の「鐘」とキム・ヨナ選手が使用するのは、ガーシュイン(アメリカ)の「ピアノ協奏曲・へ調」は共に有名なピアノ曲です。音楽に関心のある方はこのピアノ曲の競演にも興味を感じているようです。

私自身は100分の1秒でも早くゴールラインに入る。1点でも多く得点が入った方が勝ちと言うスポーツの方が基本的にはシンプルで分かりやすく好きですが、これだけ騒がれるといやが上にも関心を引きますし、やはり浅田真央選手に頑張ってもらいたいなと思います。

安藤美姫選手も4位につけて頑張っています。鈴木明子選手も健闘しています。
それぞれが悔いのない演技をして素敵な笑顔で競技を終了して欲しいと願うだけです。

最後はやっぱり私も日本人だ!「がんばれ!ニッポン」

2010年2月24日 (水)

どこかで春が? 春が目の前です!

どこかで春が
大正12年(1923年)3月 作詞 百田宗治

どこかで「春」が 生れてる
どこかで水が ながれ出す・・・・・・・・。

今日の陽気で、どこかで春が間違いなく新たに一つ芽吹き、また一歩近づいたはずです。

2月に入ってからは至る所で紅梅が咲き始めました。
カワズサクラも咲き始めました。

昨年に大磯運動公園に植栽した幼木のカワズ桜にも「数輪の花がほころび始めたよ」との知らせを受けました。早速週末に確認しなければ!

日本水仙は大部咲き始めてきましたが、私たちが手を入れている、「旧滄浪閣」前、東海道(国道1号線)の55,000球の水仙もぴょんぴょんと芽が出てきました。
3月中旬過ぎが楽しみです。

通勤途上で見つけた藤色の小花が綺麗でした。「おおいぬふぐり」でした。
「ほとけのざ」も真ん中の赤色に存在感がありました。

たんぽぽと土筆はまだ見ていないな。
先日食べた「菜の花」「タラの芽」の天ぷらは美味しかったな!
春キャベツも美味しいです。

私の部屋の前にある「あんずの木」の芽も大部赤みを帯びてきました。
朝になるとその新芽を食べに「メジロ」がたくさんやって来て美味しそうに食べています。

至る所で春を感じさせてくれます。
おひな様も春を感じさせますね。

今日あたりは、天気が良いのに箱根山、伊豆・房総半島や丹沢の山々がどことなく霞んで見えます。

う~ん。春ですね。

しかし、何と言っても毎日毎日、数字を追いかける確定申告が春を目の前に感じる私の歳時記かも知れません。

2010年2月23日 (火)

企画部会の目指す「まちづくり」

大磯町の中で様々な花木の庭をめぐり、大磯の歴史、風土を訪ねながら散策ができたらとても楽しいのでは、との思いから

“花”は住民と来訪者を元気にしてくれる
“花”と共に大磯の歴史が楽しめる
“花”で大磯の新しい文化が始まる

この様なキーワードで2006年から始めた「おおいそオープンガーデン」も今年で5年目を迎えます。
しかし、この事業を推進するにも大変な苦労があります。
普段、閑静な住宅街をイベントの開催により大勢の方が訪れると、参加をしていない住民にとっては大きな迷惑行為になります。これを調整するのが大変なんです。

今夜の会議で「おおいそフラワーフェスタ2010」の概要を決めました。
4月17日(土)~ 18日(日)の2日間
5月22日(土)~ 23日(日)の2日間のオープンガーデンを始めとする「森の中のコンサート」や「コンテナガーデン教室」等の多彩な事業を繰り広げます。

詳細が決まり次第にインフォメーションをしますのでご期待下さい。

また、この企画部会の大きな事業推進の中で歴史街道「ぶらり大磯」の事業があります。
大磯に存在する資産を最大限に活用していこうと考えています。その一つに旧東海道の活用があります。旧東海道ですから電柱や電線がない方が良いです。だから電柱や電線を除いたイメージを作ってみました。

ビュジアル化してみるとこの様に変わるもです。
こんな風景が出来上がったら。将来の方向性が見えて来ました。
この様なイメージを目指して次年度以降、あらゆる方面に提案出来るようにしていきたいと考えています。

現在の旧東海道です
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電柱や電線を除き石畳風にするとこの様なイメージに
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2010年2月22日 (月)

第5回湘南国際マラソン大会実行委員会

今日は2並びの珍しい日ですね。
平成22年2月22日、22時22分。
ちょっと過ぎてしまいました。

同大会の大会要項等の概要が決まりました。

5回目を迎えた本大会も次第に広がりを見せつつある一方で課題も多く抱えています。
運営資金のほとんどを参加費とスポンサー収入でやり繰りするこの大会の良いところは税金を投入していないことだと思います。その代わりに行政や市民、町民や私どもの商工会・商工会議所等も全面的にバックアップしています。

私はイベント等のあり方はこれが基本だと思います。

ただ、ボランティアといいつつ全くの無報酬(弁当代等は出ますが)と言うことに、今後の本大会を実施する上で、本当に無償のボランティア頼りだけで良いのかと言う疑問を持っています。

応援サポーターとしてのボランティアという概念だけであればそれはそれで良いと思います。
その変わり無償ボランティアは実行委員会から強い拘束を受けずに、それがボランティア自身の自発性に基づく行動であるために実行委員会が強制してボランティアを動かすことは難しくなります。そして無償ボランティア活動に参加する者は、どうしても職場や家庭などで緊急の用件が発生した際はそちらを優先するようになります。当たり前です。その為には会社組織とは異なるマネジメント手法が必要となるはずです。

ボランティアは「素人集団」だというイメージがあるかもしれません。
しかし、この様に大きなスポーツイベント等を実施するには医師や法律家など高度に専門的な技能を持つ人を実行委員会に入れないと大変な一面もあるはずです。こうしたプロフェッショナル・ボランティアを上手に活用する必要性があると思います。

今後の課題だと思っています。

毎年、湘南国際マラソン大会は秋に開催されていますが、今秋の11月13日・14日で第18回APEC首脳会議が横浜市で開催されます。その関連で警備の関係上1月に開催することになりました。いずれにしても、詳細については記者発表後になりますが

○第5回湘南国際マラソン大会
 2011年1月に開催されることになりました。

2010年2月21日 (日)

大磯町観光推進会議設置準備会

土曜日の Blog アップが一日遅れました。
夕方から標題の会議があり終了後に出席者と懇談を深めた結果、久しぶりに心地よい酔いがまわり、睡魔に襲われてパソコンの前に座ることが出来ませんでした。

意気の通じる仲間と地上がりの魚を肴に盃を酌み交わせば話は先に進みます。
後は実際に行動に移すことが出来るのかです。行動に移すと行っても参加している組織が単独で実行するのではなく、他の会の応援があれば弾みがつきます。それが例え直接的な応援でなくとも精神的な面で支えてくれることに意義があります。

小さな町の仕掛けは些細なことに気を遣います。

何を目的に行おうとしているかより、誰が?何処の組織が?で善し悪しを判断する傾向にあります。困ったものです。

内容については未定稿の部分もあり詳細の記述が出来ない面もありますが、観光推進室がプラットホーム的な役割を果たそうという気概は一歩前進です。次年度を楽しみにしましょう。

ひな祭りですね?
今日は子ども達のひな人形を出したようです。

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2010年2月20日 (土)

曽我梅林のコンサート

3万5000本の白梅が咲き1月30日(土)~2月28日(日)の期間で「第40回小田原梅まつりが開催されています。

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期間中のイベントの一環で「梅の里ジュニアコーラス」が曽我梅林の中の特設会場で合唱を披露することになり「大磯フレッシュコール」も一緒に参加させていただきました。

孫たちも参加するので久しぶりに曽我梅林に行ってきました。大勢の人で賑わっていました。

梅の香りに包まれ、澄み渡った青空の下で、日頃の練習成果を発表が出来るなんって素敵なことです。保護者は皆、子ども達を連れて来ますが、実に じぃじ、ばぁば 達の応援が多いか?。私たちもその中の一組なんですが、自分の子ども達がかつてイベントに参加する時と違って、孫を見る時の目は自然体で見守ることが出来るから不思議です。

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指導をしてくれている大塚先生親子に、いつもこの様な機会を作っていただき感謝です。
それにしても大塚先生の我々を教えている時の厳しさはどこへいったのでしょうかね?
良く、あれだけ分からず屋の子ども達をじっと見守ることが出来るか?
見ている方が「早く」とか「静かに」「先生を見て」と言葉を掛けてあげたくなるようです。

青空の下での合唱は難しいと思います。声が澄み切った青空に全て吸収されてしまいますし。だから今日の出来映えは二の次です。
子ども達が大勢の観衆の前で、日頃の練習成果を精一杯に発表が出来ることに意義があるんです。

そんな一生懸命さは通じるんです。
「アンコール!」「アンコール!」まで飛び出し、アンコールまで考えていなかった大塚先生はびっくりです。
最後は観衆も含めて子ども達全員で「世界がひとつになるまで」を合唱して無事にステージを終了しました。

「世界がひとつになるまで」の最終節歌詞

世界がひとつになるまで
ずっと手をつないでいよう
ときめきは宝物いつでも
愛が明日を守るから
愛が明日を守るから

我々は子ども達に、この様な世界、社会の実現に向けて頑張らなければいけなんです。

2010年2月19日 (金)

事務局長連絡会

事務局長会議の他に商工会が関連する委託団体等の団体があると事務局長が兼務になります。従って標題の様な連絡会に出席するケースもかなりあります。

今日は神奈川県民共済等他2団体の事務連絡会議で箱根グリーンハイツに行ってきました。昨日の雪も大部残っていて、さすがにこの時期の箱根は寒いです。

裏の駐車場には昨日の雪が残っていました。

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帰ってくる時に、車の室外温度を見ると1度。
更によく見ると1度の前に - が付いていました。
寒いはずです。

商工会は会員の経営全般に関する相談を受けて一緒に解決の方法を考えていきます。
時代の変化と共に相談の内容は多岐にわたり一人の力では解決出来ない問題も多くあります。その際には外部スタッフの専門家の協力も得て一緒に考えていきます。

従業員の福利厚生に関する相談もかなりあります。

商工会が独自で行っている会員福祉共済事業や貯蓄共済事業もあります。
その他に神奈川県民共済や神奈川福祉振興財団等の商品も扱い、会員のニーズに合わせた相談も行っています。

昨年の保険法が改正されました。そして本年4月1日に施行されます。この保険法の施行に伴い取扱いの方法が若干変わってきます。改正前の保険法は商法による保険規定等の定めがあり「共済は商法では対象外」だったのが全面的な法律の見直しにより施工後の保険法では「共済も適用対象」になりました。契約に関しては保険会社も共済も保険法の適用を受けて事業に関する法律は保険会社は「保険業法」県民共済の場合は「生活協同組合法」に保険法施行後には変わります。

現在、確定申告指導会の真っ直中。税法は毎年何かしらの改正があります。日々、法律等が変わっていくと大変なのですが、昔は大きな法律や制度の改正があると喜んだものです。

一番先に覚えることにより人より優位に立てると思い一生懸命、少しでも先ににマスターをしようと頑張りました。
今でもこの気持ちを忘れないように気持ちはあるんですが・・・・・・。
本当に記憶力が悪くなりました。情けないです!

特に横文字の新語が頭に残りません。英語は好きだったのにな?

2010年2月18日 (木)

らしさ、独自性の創造?

らしさと独自性って? 一体どのようなことなのでしょうかね?

独自性を創造するために、今までにないことをやろうとすると必ず障害が出てきます。
一人一人の個性を活かしポテンシャルを高めようとすることが、より以上に必要になってきます。それが出来れば理想です。
しかし、ここが一番難しいところです。

この問題には絶対的な正解はありません。マンネリ化を防ぐためには改善の努力しかありません。商工会の様なルーティングワークが中心の組織では自分自身で創意工夫を加えなければなりません。

2009年8月31日の Blog で「継続は力なり」についてイベントを例に取りコメントをしました。ルーティングワークでも同じことが言えます。

表面的な組織の効率化を目指すのであれば明確な担当別の業務分担を決めた分業型も効果があるかも知れません。

しかし、それでは大磯町商工会らしさ、独自性を創造するのは不可能です。

仕事の掛け合わせがあるからこそ、他の会と違った独自性を見いだすことが可能になるんです。まだまだ特色のある独自性があるなど言えるほどの会でもありません。
そのように言い切ってみたいですが・・・・・・。

組織に働く者は、私を始めとしてわがままな集団です。またそれが人間なんです。
だから色々な仕事が出来るという裏返しでもあります。
私はわがままな人間だとだと思っていますから、多少は、人のわがままを受け入れる気持ちを持ち合わせているつもりです。

自分のやりたい仕事を最初は気持ち良くやっていても、いつしか好きな仕事でも追われる様になってくると次第に「隣の芝生が青く」見え始めてきます。

だから、日頃から「無用の用」とか仕事を離れての「歳時記」「自然現象」に気持ちを向ける作業が必要になってきます。
仕事をやってやっているから「させてもらっている」という初心を忘れてもいけないんです。

大磯町商工会らしい商工会の創造が出来れば良いな!と思いつつ「日々是好日」で頑張っています。

こうして、組織はもがいて個人的な努力を精一杯しても日本国はちっとも良くなりません。日本国の未来が開け、展望することが出来て初めて組織にも自然と明るさも見えてきて本当の「らしさ」の創造が出来るのだと思います。

珍しい雪景色です

これから出勤です。

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2010年2月17日 (水)

一人のライフセーバーの成長

大磯には大変恵まれた浜辺があります。
私の様に大磯に生まれ育った人間には目の前に大きな海原があり、砂浜が広がっていることにごく普通の風景と思っていました。

小さい頃から、海に出れば潮の満ち引きや潮の流れによって海に出ればどのようになるかを自然の内に覚え、また古老からは自然の怖さを嫌と言うほど教えられたものです。

大磯の恵まれたこの海浜を金額ベースに置き換えたら一体どれ程の価値があるんだろうと疑問に思い、神戸の人工海岸を見に行ったりもしました。当時(35年ほど前)40数億円を掛けた人工海岸を見て、大磯の海浜価値は大変なものだと実感したことがつい昨日の様に思い出されます。

その大磯の砂浜を使用して神奈川県ライフセービング選手権大会を実施する予定なんですと青年が訪ねてきました。その青年との出逢いは、彼がまだ学生だった頃に大磯の海水浴場にライフセービングという制度をようやく導入し始めた頃からの付き合いです。

大学を卒業後にこのライフセーバーの経験を活かし、スポーツイベントにおける救護事業部や各種イベントでのAEDを用いた救助をサポートする事業部としての講習・研修事業部を小さいながらも立ち上げて立派に会社経営をしています。

そんな彼が、この春に大磯海岸を使用して神奈川県ライフセービング選手権大会を開催する予定なんですと打合せに見えました。

力を貸さない訳にはいきません。

ライフセービングってまだまだ馴染みが薄いかも知れません。
私も理解していない点があるので神奈川県ライフセービング連盟のHPから引用させていただきます。

1年間に海やプールで命を落としたり行方不明になる方は1,300から1,4000人(1,400?)にものぼります。海水浴をはじめ釣やサーフィン、磯遊び等様々なケースがありますが、多くは楽しいレジャーの中での残念な事故です。(注 (1,400?)は私が挿入)

これはちょとした不注意や油断によって引き起こされている場合が多いのです。遊泳者がもう少し水の安全について知識があったら。救助員がそばにいてすばやく救助をしてたら...

助けられる命はまだまだあるはずです。

ライフセービングはこれらの水辺での悲しい事故をなくすことを目標に行われている活動です。海岸等の関し・救助活動の他、水の安全に関する教育活動、ライフセーバーの技術向上のための競技会等、「水辺の事故ゼロ」を目指して全国各地で活動を行っています。

ここまで神奈川県ライフセービング連盟のHPの引用

2月1日の Blog で大磯の海水浴場のことに触れました。
安全な海水浴場として毎年、開設出来る陰にはこのような若者を中心にしたライフセーバーが支えていることを忘れてはいけないと思います。感謝です!

これからも活躍して下さい。そして会社の経営も良い波に乗れることを陰ながら祈っています。

2010年2月16日 (火)

毎日 Blog を続けられるのか?

毎日同じことを繰り返すことが如何に難しいかを痛感しています。
確定申告指導会が始まった今月は仕事の内容が毎日単調になるからなおさらです。

電卓を片手に数字と毎日にらめっこの状態が続きます。
どうしたら早く出来るかという多少の工夫はあるものの基本的にはルールに沿っての作業が中心です。

Blog も半年近く経ってくると話題が次第に少なくなってきます。
きっとここで書くことの出来ない理由を探し始めると Blog も中断またはお休みモードに入ってしまうんでしょうね。

しかし、生かし続けてもらっている間は何かしらの話題が見つかるものです。
見つけます。将来のことを考えればいくらでも話題は見つかります。
60年も生きてきているんですから過去を回想して今に活かす話題も見つかります。

未来ばかり見ていると目の前の仕事が疎かになる落とし穴があります。

一つの例が、夏の暑い最中に草取りをやっていると全体を見渡すと、え~っ!ここを全部やらなければいけないと思うと気が滅入ってしまいます。
その時には目に入る部分の草を地道に少しずつ取っていくしかありません。

仕事でも同じことが言えます。
だからこそ毎日毎日の積み重ねが大切であり、そうした努力がこれから先の大事な仕事につながるんだと思い書き続けます。

2010年2月15日 (月)

オリンピックの想い出

第21回冬季オリンピックが開会して4日目を迎えています。
日本選手も善戦をしていますが中々メダルまで届きません。
見ている方は勝手に批評をしていますが世界の中で戦い、入賞するのは至難の技。ましてメダルまでは本当に遠い道のりだと思います。

オリンピックというと私には東京オリンピックが一番印象に残っています。
中学3年生でした。東京オリンピック当時は。
そして特に1964年10月21日は忘れられません。
マラソンで"裸足の英雄"エチオピアのアベベがローマ大会に続き世界最高記録で2連覇した日です。

このマラソン大会が行われている時は確か音楽の時間でした。

詰め襟(学生服・今や死語?)と言うのは便利な時もあるんです。
トランジスターラジオを机の下に置き、イヤホーンを服の中に通して耳に入れ、手のひらで隠しているとラジオを聞いているのも分からないんですよね。

って思っているのは自分だけ。

実況を聞いていると、お~い! マラソンはどうなっている?と先生の声が。
何人かが同じような行為を行っていたのでしょう。

お前たち自分たちだけで楽しむな!
ラジオを前に持ってこい、と言ってラジオをピアノの上に置いてクラス全員で視聴したのを覚えています。
先生も粋な計らいが出来る余裕があったんだとつくづく思います。
私はこうした余裕も教育の一つだと思うんですがね。
 
今、この様なことが行われたら・・・・・・? 

2010年2月14日 (日)

神奈川県個人選手権ボウリング大会

今日は終日神奈川県個人選手権のボウリング大会に息子と参加してきました。

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ボウリングの競技人口は結して増えていないんですが最近の大会はレベルが非常に高いです。確かにレーンがウッドレーンからプラスチックに、ボールの素材も昔から比べものにならない位反発力があるには違いがありません。リストを補強する道具も格段にシンポしています。

それにしても息子も私も6Gでアップゲーム(アベレージ200)をしても勝負になりません。アベレージ230程度を打たないと勝負になりません。アマチュアの大会なんですがね?

まー、週一ボウラーとしてはアベレージ200を打って来たんですから納得することにします。

今日はバレンタインデーですね。
家に帰ってきてから孫たちから、じぃじ バレンタインデーだよと手作りのクッキーをもらいました。ばぁば に教わりながら一生懸命に作ったようです。
そして、娘からも ばぁば と一緒にと チョコレートを。

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歳ですね。
こういういただきものをすると感激が先に立って食べるのがもったいなくなってしまいます。
でも。折角のいただきモノですから美味しくいただきます。
ご馳走様!

2010年2月13日 (土)

「みんなで語り合おう私たちの湘南」&「大磯港のレストラン」

湘南地域県民討論交流集会運営実行委員会が主催する集会が大磯プリンスホテルで行われ参加してきました。

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今月の8日に湘南の発祥の地は大磯です。しかし、現在では『「湘南」は相模湾に面した地域一帯を指すようになり、相模湾に面する地域で「湘南」を共有する様になっています。』とコメントをしました。正に今日の標題の集会はその考えの通りです。

この集会は平塚市・藤沢市・茅ヶ崎市・秦野市・伊勢原市・寒川町・二宮町に大磯町の広域で開催する集会です。

その中で「湘南」「観光」がテーマになっているんです。大磯町が湘南発祥の地だといくら力んでも「湘南」を大磯町が独占するような時代ではありません。先日もコメントした様に大磯町はあくまで大磯なんです。このことに誇りを持って踏襲した方が良いと思います。

本日の基調講演をいただいた電通総研の四元さんが地域ブランド作りは「よそ者」「若者」「馬鹿者」が必要だと指摘をしていました。その通りだと思います。私は最後の「馬鹿者」の一人です。大磯に縁のある安田善次郎の「五十、六十はなたれ小僧 男盛りは八、九十」の言葉を借りれば私も「若者?」う~ん。これはさすがに無理があるか?
「よそ者」これだけは該当しません。生まれ育って今日の60年間を大磯で過ごしているんですから。しかし、昔からのしがらみや慣習を余り気にしない私には余り関係のないことです。「よそ者」と言われる、今まで客観的に大磯を見て、大磯の良さを感じてくれている方、大磯を気に入って住む様になった方の意見を尊重すれば良い訳ですから問題はありません。

この三要素は合っていると思います。

この集会が終わって4月頃を目途にオープン予定の大磯港内におけるレストランの事業概要説明会のために会館に戻りました。

大磯における主立った方にお集まりをいただき事業の説明会を実施しました。
大磯産の地上がりの魚と大磯産の野菜をベースにしたレストランになる予定です。

朝、定置で揚がった魚を提供します。漁がなかったら?
その時にはお休みかも知れません。今から楽しみにしています。

詳細を検討しなければいけないところは沢山あります。続報を楽しみにして、この春の大磯港にご期待下さい。

2010年2月12日 (金)

受け月

今夜は月齢からすると三日月なんです。
残念ながら曇天のために三日月を見ることが出来ません。
この三日月のことを「受け月」とも呼ぶらしいです。

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直木賞作家伊集院静の書いた「受け月」に書いてあります。
「受け月」その短編小説の一節に「受け月に祈ると皿に水が溜まるように願いが叶う」という話が出てきます。

登場する主人公の一人、野球の老監督は殴りもするし、選手を罵倒するなど厳しい監督で有名でした。家族など顧みずに野球に没頭してきました。孫娘の夫が心臓病を患って入院をします。自分の妻や孫娘が神社にお参りに行く姿を見て「祈った時点で負けている」と強がりを言うものの、預かったお守りを胸にしめて最後の試合に臨みます。

試合後に今までのことを思い出しながら帰途につき、橋の上から見る川面に「三日月」が浮かんでいます。ふっと妻が言っていた三日月、これが受け月か? 今まで、祈ったことなどなかった人が初めて孫娘の夫の回復や人のために祈ります。

満月は満月でじっとお月さんに見つめられている様な気がします。
自分の心を写している様な気もします。
満月は不思議な力も持っています。

だから秋の満月の様に暫し鑑賞の対象になるんでしょうね。

そして、三日月が受け月として「受け月に祈ると皿に水が溜まるように願いが叶う」とは風情があります。日本的な考え方でもあると思います。

大事なことは、自然界の現象を見て美しいとか感動する心を持てることだと思います。

昨年の大河ドラマの直江兼続の兜の前立ては「愛」で話題を呼びました。
伊達政宗の兜の前立には大きな三日月があしらわれていました。
政宗は受け月の意味を知っていたのでしょうか?

だから政宗は戦国時代に願を掛けながらこの三日月が功を奏し豊臣秀吉を始めとする徳川家康・秀忠・家光の時の為政者、四代に使えることが出来たのでしょうかね?(これは洒落です)

2010年2月11日 (木)

待望のランドセルです

孫にランドセルは じぃじ が買って上げると約束をしていました。
朝から家族全員でランドセルの買い物に行きました。

兵士の背嚢のオランダ語での呼び名である「ランセル」(ransel)がなまって「ランドセル」になったと言われるこのランドセル。今年は長女のランドセルです。来年は次女です。再来年は娘の長男と、そして、え~と・・・・・・。
とにかく5年続けてランドセルを買い続けるんです。

ランドセルを背負ったひー(長女)です

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息子が小学生時代に使用していたランドセルを記念にミニチュアにしたものです。

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ばぁばとは日常的に買い物に行きますが じぃじ が一緒に行くことは滅多にありません。それで、喜んで一緒に行ってくれることに幸せを感じます。

孫たちに じぃじ はどのように映っているのでしょうか?

パソコンに向かって仕事をしている。
煙草を吸いながらソファーで本を読んでいる。
デスク回りを雑巾がけしている。
車を洗車している。
そうでなければ、タマを抱いて寝ている。
こんなイメージだと思います。

それでも存在感を持っている姿に映る様にしてくれているのは ばぁば のお陰です。

朝のスキンシップが じぃじ と孫たちをつなげているのかもしれません。
ひーちゃん 「おはよう」「おはようございます」
のんちゃん 「おはよう」「おはようございます」
まーちゃん 「おはよう」「おはようございます」
と一人ずつ抱き上げ一人ずつこの様な短い会話を交わしています。

そして ばぁば を先頭に孫がお弁当、カバンを持って玄関で「いってらっしゃい」と送ってくれます。息子の出勤は子ども達が寝ている時間なのでこの触れ合いが出来なくて可愛そうです。その分、じぃじ が良い思いをしています。

家族の絆が薄れていると感じる今様です。
それだけに我が家では、この当たり前の様な日常風景を大切にしていきたいと思っています。

2010年2月10日 (水)

地福寺の梅と島崎藤村

地福寺の梅が見頃になっているんだろうな?
まして昨日の様な春爛漫を感じさせる様な陽気だったので一気に蕾もほころんだのでは?
しかし、確定申告指導会やその他の会議、打合せ等で事務所から近い所にある地福寺に行くことが出来ません。

地福寺の梅の写真を大磯町観光推進室からいただきました。

う~ん、本当に見頃のようです

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地福寺の梅の開花状況です

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ここ地福寺には文豪島崎藤村が永眠しています。

高校生の時に大好きな詩でした(若菜集・初恋の一節です)

 まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の
 花ある君と思ひけり

島崎藤村は長野県馬籠村(現岐阜県中津川市)で生まれました。その後は東京に出て教師になり、1899年(明治32年)、小諸義塾の教師として長野県小諸町(現小諸市)に赴任し6年を小諸で過ごしました。その間に小諸を中心とした千曲川一帯をみごとに描写した写生文「千曲川のスケッチ」を発表し、その後は詩から離れて1906年(明治39年)に発表した「破戒」によって小説家としての地位を確立しました。その後は歴史小説「夜明け前」の大作等を始め数多くの作品を発表してきました。そして日本ペンクラブの設立にも力を入れて初代会長に就任しています。

小諸に赴任した年に冬子と結婚しました。
1910年(明治43年)妻冬子は末娘を出産後に産後の肥立ちが悪くこの世を去ってしまいます。妻の死去をきっかけに、この後は前述の若菜集からは想像もつかないような女性関係が続きます。1918年(大正7年)に「新生」を発表し、この関係を清算しようとしたようです。

藤村の生活に安定期が訪れたのは、1928年(昭和3年)に静子さんと再婚してからです。

(静子さんだけさんづけ? 若い頃、静子さんとは着物談義をした経緯があります。藤村から送られた帯や着物も沢山見せていただきました。地福寺は私の家の菩提寺でもあります。だから地福寺に行くと藤村より先に自然と静子さんの墓前に先に手を合わせてしまうんです。)

この生活の安定が藤村の生涯の代表作「夜明け前」につながったのだと思います。

1941年(昭和16年)藤村は大磯の左義長を見にきて大磯を終の棲家にしました。
1943年(昭和18年)「東方の門」の連載中に同年8月22日に脳溢血のため自宅で「涼しい風だね」と言う言葉を残して亡くなりました。

島崎藤村については姪、こま子との過ち等を通じて好き嫌いのある文豪かも知れません。
しかし藤村を介して大磯町は中津川市と小諸市とは文学姉妹都市として今でも交流を行っています。

梅が綺麗に咲き、梅の香りに包まれた地福寺を訪ねて見ませんか?
そして明治・大正・昭和を駆け抜けた文豪・藤村を偲んでみて下さい。

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藤村の居宅です(大磯町HPより借用)

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2010年2月 9日 (火)

臨時会長会議

標題の会議に会長の代理で出席してきました。
本日の議題は一点。
神奈川県も財政不足に苦慮しています。
本日、神奈川県の平成22年度予算の概要について松沢知事が記者発表をしました。
(多分したはずです)

1200億円を越える歳入不足が生じれば我々の様な補助団体にも大きな影響が出ます。
当たり前です。そして世の中の厳しい流れからすると受け止めなければいけないと思います。しかし私にはそう思いつつ、理解すると同時に職員の生活も考えて上げることも大きな仕事です。

社会の閉塞感が漂うほど私たちの組織、商工会は平常時より忙しく業務の内容も広範囲になってきます。補助金が少なくなれば収入を増やすことを考えれば良いんです。適正なサービスの対価を収入にすることを考えればよい訳ですから。それを可能にするのはただ単に人より優れた程度の知識では駄目なんです。自分が頑張って仕事をやっていると自己満足しても対価を払うことにより解決してしまう程度の仕事をやっているのであれば給料の安くつく人間に入れ変えれば解決します。

それが出来なければ給与を言われるままに下げれば事は解決します。
それで良いのか? と言うことです。

それでは余りにも情けないではないですか。
そのためにはアフター5を大切にして、個人の資質、スキルを向上させるしか方法はないんです。私は横並びは嫌いです。だから職員にも、この考え方を理解をしてもらい頑張ることにします。

それが出来なければ組織を去れば良いんです。

それにしても、補助金の減は前述の様に理解はします。が、収入の不足分は収益を上げて自分たちで稼ぎなさいと明確な方向性を先に打ち出して欲しいですね。

そうしないと補助金の収入は減る。収益を上げてはダメ。何かちぐはぐの様な気がしてなりません。

2010年2月 8日 (月)

大磯初めて物語り(その5)

江戸時代に小田原の崇雪が大磯の鴫立庵にある標石に「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えた言葉を記録したことにより大磯が湘南発祥の地であると称しています。
湘南ということばが記録として残る最も古いものがこの標石なのです。
鴫立庵にあるこの碑はレプリカで、本物は大磯町郷土資料館にあります。

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湘南の由来は中国の湖南省南部地域の地名であり、そこが非常に風光明媚な場所でこの大磯の地が似ていることから来ています。

そして湘南発祥の地であると言われている大磯ではありますが、現在の「湘南」から受けるイメージはどのようなものが「湘南」なのでしょうね?

昨今は「海・太陽・若者」などを舞台にした映画やドラマが湘南のイメージとして放映されるなど大磯の現在の状況とはちょっと離れている様な気もします。個人的には。

確かに明治期の「湘南」のイメージは、山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域に限られていたと考えられます。それが、その当時に別荘文化を享受したきた大磯と合致していると思います。

近世になって湘南を売り出してくれたのは何と言っても徳富蘆花の「湘南雑筆」を含む「自然と人生」でしょう。そして戦後に入り、この湘南を最もイメージづけたのは、現東京都知事石原慎太郎氏の短編小説「太陽の季節」だと思っています。その作品は石原裕次郎のデビュー作でもあります。

続いて「海・太陽・若者」にサウンドをプラスさせて登場した「若大将」こと加山雄三。
続いてそのイメージを受け継いだのが、同じ茅ヶ崎出身のサザンオールスターズの桑田佳祐でしょう。

このように確かに当初は相模川以西に限定されたのが「湘南」なのでしょう。しかし、時を経ていつしか「湘南」は相模湾に面した地域一帯を指すようになり、相模湾に面する地域で「湘南」を共有する様になっています。
私はそれは非常に良いことだと思っています。

大磯町は湘南の大磯ではなく、あくまで大磯町なんです。
でも「湘南」発祥の地が大磯町であることは忘れないで下さい。

2010年2月 7日 (日)

大磯港みなとまちづくり協議会講演会

国土交通省関東地方整備局京浜港湾事務所の大津光孝所長を招いて「大磯港の活性化方策について」ご講演をいただきました。

会場は聖ステパノ学園「海の見えるホール」です。

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「海の見えるホール」は大磯駅前(本当に前です)の小高い丘の上にあります。今日の様に空気が澄んでいるとステージから相模湾、大磯の町中を見渡すことが出来ます。

ステージと後方の景色です。

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大磯港の課題は町民のイメージと港の役割を果たす役目が合致していないことです。
大磯港は商港の一面を持ち合わせていてコンクリート骨材受入港としても重要な役割を果たしています。年間40万トン前後の砂利を日本各地から移入をして藤沢市より県西部にこの砂利を供給している現実があります。そして砂利や廃土砂等を年間25万トン前後移出している商港です。

これを解決するには沖縄の普天間問題と同じ考え方が必要になります。
県西部に砂利等を供給する代わりの港をどこが引き受けてくれるかです。

当面は、この現実を呑み込んで次の考えられる方策を考えるしかありません。
港周辺の大きく広がった砂浜の具体的な活用の案も多く示されました。
出来ることを一つずつ実行していけば良いと思います。この辺は民間でも出来ることがありそうです。

葉山港・湘南港・真鶴港と大磯港を活用しあって「相模湾4港クルージング構想」が動き始めました。
当然、「海の駅」構想も出てきます。

「海の駅」の認定を受けるためには必要最低限の要件を満たさなければなりません。
○一時保留施設(ビジターバース)
○トイレ
○情報提供のための施設
このレベルの整備であればそう遠くない、近未来的に可能なのではないかと思います。

平成22年度は堤防で安心して釣りが出来るスペースの整備も進むようです。

一歩一歩ですが歩み始めています。

だから、今から準備をしておかなければこともあるんです。
これが重要なんです。

「海の見えるホール」は私の Blog にも再三、登場します。

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エリザベスサンダースホームも同一敷地内にあります。この「海の見えるホール」に隣接しているのが、戦後の混血孤児教育に情熱の半生を掛けた澤田美喜先生の収集した殉教者の歴史を語る貴重な資料収集した澤田美喜記念館があります。建物の2階が教会で、1階にはマリア像、踏み絵他沢山の隠れキリシタンに関する資料が展示してあります。

土曜、日曜、月曜、祝日、年末年始*その他臨時休館もあります。そして見学は要予約ですのでご注意を。

2010年2月 6日 (土)

叔母の七七日忌

昨年の暮れに急逝された叔母の七七日忌で金龍寺に行きました。
金龍寺の境内の蝋梅とカワズ桜が迎えてくれました。

花の好きな、春を感じることの出来る時期に七七日忌の法要と納骨が出来て良かったです。

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死者の霊は死後七日ごと二七日、三七日・・・そして、七七日(四十九日)に冥土の裁判を受け、四十九日に最後の審判が下され故人の死後の行き場所が決まる重要な日と言われています。だから七日ごとの供養を大切にするんだそうです。

今日、これで叔母さんも新仏になる準備が全て整いました。
明日からは叔父さんと久しぶりに会い、積もり積もった話を沢山して下さい。
話が尽きないと思います。楽しみですね!

私がパソコンで作業をしているとパソコンの上でタマがいつもこの様にくつろいでいます。

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孫たちが帰ってきて下に降りる時に足を捻ったようです。洗濯物の上から逆さまに落ちてきました。その後は足が痛いのか元の場所に戻ってきましたが妙に温和しくなりました。大丈夫か?

猫が捻挫?お前猫だろう。猫だったたら、もう少ししっかりしろよ!これで二度目の捻挫だよ!しかし、何事もなかった様に再びすやすやと眠っています。

昨日の続き(吉田の名台詞)

昨日の最後の方で吉田茂のユニークな逸話や皮肉な名台詞の一部を紹介しました。

昨日も五百旗頭(いおきべ)先生か柴田先生のどちらかが吉田茂の健康法は「人を食っているからだ」と話していました。

このフレーズどこで聞いたっけ?と気になっていましたが思い出しました。

戸川猪佐武『小説吉田茂』の「あとがき」に、訪問をされた方が、米寿を過ぎてもなお、かくしゃくとしている吉田茂に感心して「何か健康の秘密はあるのでしょうか?」と尋ねると、「それはあるよ。だいたい君たちとは食い物が違う」「それは君、人を食っているのさ」と笑ったそうです。

その笑顔が浮かぶようです。最高のジョークですよね。

2010年2月 5日 (金)

「吉田茂と大磯の歴史的魅力を考える」シンポジウム

午前中、確定申告指導会で3社の確定申告をまとめて標題のシンポジウムに出掛けました。
私が東京に出掛ける時にはご覧の様に多くの会員が確定申告指導に来館していました。

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吉田茂元首相
1967年(昭和42年)
10月20日 大磯の私邸で永眠。89歳でした。
10月31日 戦後唯一の国葬が執り行われました。

高校3年生の時でした。中間試験の真っ直中で執り行われた吉田茂元首相の国葬。当時としてはまだ珍しかったテレビで中継がありました。私邸を出棺し10分足らずで自宅の前を通ります。
テレビの中継に併せてその様子を見に出たことを良く覚えています。

本日の基調講演をいただいた五百旗頭(いおきべ)眞 防衛大学校長。
この防衛大学校を築いたのも吉田茂です。
当時の野党から「自衛隊の存在は違憲ではないのか」「自衛隊は軍隊となんら変わらない」と追及されても吉田は「自衛隊は戦力なき軍隊である」とさらりと答弁しました。
ユーモリストとしての一面があって、公私に渡りユニークな逸話や皮肉な名台詞を沢山残しています。

松沢神奈川県知事、パネルディスカッションのコーディネーター國學院大學准教授の柴田紳一先生も共通していたのは、日本の教育は近代史を疎かにしている。「歴史を知らない民族は滅びる」と。松沢知事は高校生の日本史を必修科目にしたそうです。

旧吉田茂邸の再建は、戦後の繁栄を享受している我々の生きた学びの場として活用したいと言うことで一致していたようです。子どもたちに歴史を継承していくことは大切です。

是非実現をして欲しいと思います。

Photo

ユニークな逸話や皮肉な名台詞の一部です。

○「秘書官は務まりませんが、総理なら務まります」
○居留守をして「本人がいないと言っているのだから、それ以上確かな事はないだろう」
○「GHQ (General Head Quarters) というが、実は “Go Home Quickly” の略語だ」
○宮中園遊会で昭和天皇から「大磯は暖かいだろうね」と声を掛けられ「はい、大磯は暖かいのですが、私の懐は寒うございます」

極めつきは
○心筋梗塞を発症し、この時に駆けつけた甥の武見太郎(医師会会長)の顔を見て
 吉田「ご臨終に間に合いましたね」
 武見「まだ、生きたいんですか?」
 吉田「このだらしのない世の中が心配で死ねるか」

吉田茂が生きていたら今の国会の状況を見てどのようなユーモアのある発言をするんでしょうかね?
是非、聞いてみたいものです!

2010年2月 4日 (木)

町長と語る集い&「企画部会」

今夜は「町長と語る集い」に併せて企画部会を開催しました。

町長も大磯町の政を司る代表として悩むところも沢山あります。
商工会も現下の経済状況に山積する課題は沢山あります。

立場が違っても大なり小なり課題、悩みはあります。

今夜はお互いに構えることもなく本音の意見交換が出来たと思います。
町長も将来に対する夢の一端を語ってくれました。

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私たちの会も現在検討している上で今後行政の協力を得られなければ形にならない事業も数多くあります。
その内容をここで発表出来ればどれほど楽しいか?と思います。
今夜は少子高齢化、大磯港の活用、観光、地産地消の考え方を主に話し合いましたが、町長と大磯町商工会と目指す方向性で一致しました。

何か、新聞報道の様で申し訳ないですが、徐々に詳細を書くことが出来れば一歩ずつ前進していると言うことです。

今夜は乞うご期待として余韻を残しておきます。

2010年2月 3日 (水)

春の訪れですね!

今日から確定申告指導会の開始です。
2月15日までの早期提出に向けて大勢の方が会館にお見えになります。
そして確定申告指導会は3月15日まで断続的に続きます。

この事業が始まると年度末が近いなあー。未消化の事業があると焦り始めます。

そして、今日は節分。明日は立春です。
季節的にも春が目の前にやって来たなとも感じる頃です。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)を見て知りました。
節分の日付は現在は毎年2月3日であるが、これは1985年から2024年ごろまでに限ったことであり、常にそうではないとのこと。

そして節分は、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで年4回あるとのこと。節分とは「季節を分ける」ことをも意味しているからだそうです。江戸時代以降は立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多くなってきたと。

節分の行事は本来、宮中での年中行事であったもので、鬼を払う悪霊ばらい行事は平安時代頃から行われていたそうです。近代になり庶民に採り入れられたころから私たちの良く知っている「鬼は外、福は内」の豆まきになっています。

今朝、女性職員が鬼の面と豆を持参してくれました。
帰り際に事務所でも「鬼は外、福は内」とやりました。外を歩く女子高生が「くすっと?」
忙しい、余裕のない世の中だからこそ、この様な歳時記を大切にしたいと思います。

廊下のお豆です。明日の掃除が大変です。

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豆を撒き、豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。昔はこの大豆が大嫌いで年齢が加わっていくことに恐怖を感じました。
また、自分の年の数の1つ多く食べると体が丈夫になると言われ、嫌いな上に更にもう一粒。
とんでもないと拒否をし続けたので小学生の頃は身体が弱かったのかな?

高校生の頃には苦手を克服してからは、お陰様で現在では滅多に風邪等も引かず健康に過ごしています。

それでも最近は食べ出がありますね?

そして、今夜、我が家には可愛い鬼が現れました。

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2010年2月 2日 (火)

Rome was not built in a day

今日は大磯町の監査がありました。
町の監査委員のご指摘内容も良く分かります。
逆の立場だったらと言うことを考えれば余計です。

昨日から会長と色々な協議をしてきました。
ケースバイケースによっては見せてはいけない内容等は一切無い訳ですから全てをオープンにして見ていただこう、と言うことで一致していました。
私どもの会の素晴らしいところ(自分の会をこの様に表現するのはおかしいかも知れません?)は常に相手側の立場に立って、逆の立場であったらどのように考えるだろうかという視点を持っていることだと思います。

監査委員にも私どもの会の事業の多さ、多様性をご理解いただいたようです。

指摘の内容も昨日会長と協議をした内容とほとんど同様、想定の範囲の内容でした。
だったら最初からそのようにしておけよ!って言われそうですが、中々こうした機会がないと思いつかない点もあると言うことです。だから第三者の監査等は必要なんです。
少なくとも私はそのように解釈しています。

しかし、基本は我々の仕事が商工業者に視点を置いて業務を行っていることが町にも理解されるとの裏返しでもあります。
そして、日頃から目指す方向性を共有している結果だと思います。

私どもの会は貴重な税金の一部をお預かりして事業を行っている団体なのですから。

Rome was not built in a day
こつこつと地道な努力を続けることの大切さを感じる一日でした。

2010年2月 1日 (月)

大磯初めて物語り(その4)

暖かい大磯で今夜は粉雪が舞っています。
その寒い中で今日の話題は海水浴場とは?ちょっとイメージが違うかも知れません。

日本最初の海水浴場。それが大磯海水浴場です。明治18年、当時の初代軍医総監であった松本順先生によって日本最初の海水浴場として開設されました。

当時の賑わいです。禱龍館と海水浴場

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松本先生は明治10年頃から大磯・照ヶ崎海岸が海水浴場として適していると強く推奨していたようです。それから10年近く経ってようやく開設が実現しました。

いつの世も初めて事を起こそうとすると大変な労力がかかるものです。

町営プールの横に「松本先生謝恩碑」があります。
題字は時の総理大臣の犬養毅によって書かれました。

大磯の海水浴場が保養地として発展したのは明治20年7月11日に大磯駅が開業したのも大きな役割を果たしているんでしょうね。

大磯駅の開業に伴い禱龍館を始めとする海水浴客向けの旅館が多く建設されました。

明治30年代には伊藤博文、山県有朋、陸奥宗光らの政治的領袖や、三井・三菱といった財閥関係者などの財界の重鎮がこぞって大磯に拠点を求め、また別荘等を構えました。当時、大磯には160を越える別荘があったそうです。
そして尾上菊五郎、中村吉右衛門、片岡仁左衛門といった歌舞伎俳優なども大磯に足を運んだようです。

上の禱龍館と海水浴場には分かりにくいですが大勢の歌舞伎役者等の名前が見えます。

そして、明治41年には、日本新聞社が実施した避暑地百選の全国投票で、第二位の軽井沢に大差を付け、大磯が最高得点を獲得、見事第1位にも輝きました。
「海内第一避暑地」の碑は大磯駅前にあります。

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海水浴場はそ時代の流れとと共に現在では夏の代表的なレジャーへと成長を遂げましたが大磯町ではちょっと海水浴場としては時代に乗り遅れたようです。

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