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2010年1月26日 (火)

大磯初めて物語り(その1)

まず今日は演歌からいきましょう。
添田 唖蝉坊をご存じでしょうか?
大磯の農家の出で、四男一女の三番目の子として生まれた演歌師です。

明治20年代頃は、明治政府が廃藩置県、地租改正、学制、徴兵令、殖産興業などの政策に重点を置いている時代で自由民権運動も盛んに行われていた時代です。川上音二郎で有名な「オッペケペ」の壮士芝居もこの時代です。

唖蝉坊が書いたと言われている演歌に「壇ノ浦」(愉快節)、「白虎隊」(欣舞節)、「西洋熱」(愉快節)などで、1892年(明治25年)の作だそうです。これ以降「ノンキ節」、「ゲンコツ節」、「チャクライ節」、「新法界節」、「新トンヤレ節」と続き、1930年(昭和5年)に「生活戦線異状あり」で引退するまでに182曲を残しました。

1960年代に高石ともや、高田渡ら初期の日本のフォークシンガーが好んで彼の作品を唄い、日本のフォークソングの原形として広まりました。
正にこの当時です。添田 唖蝉坊を知ったのは。そして唖蝉坊が大磯町出身とは驚きました。それまで知りませんでした。

毎年、秋に「大磯宿場まつり」が行われます。
その会場に流れるのは唖蝉坊の歌をBGMとして使用しています。

壇ノ浦(明治24年)・ストライキ節(明治33年)・四季の唄(明治28年)・ラッパ節(明治38年)・ああ金の世(明治39年)・増税節(明治40年)・あきらめ節(明治39年)・都節(大正2年)・まっくろ節(大正3年)・ブラブラ節(大正6年)・新わからない節(大正9年)・のんき節(大正7年)・虱(しらみ)の旅(大正8年)・金々節(大正14年)・・・・・・etc。

大磯町出身の添田 唖蝉坊の唄を聞きながら「大磯宿場まつり」を楽しむのも、ちょっと視点が変わって良いかも知れません。

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