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2010年1月14日 (木)

知人の訃報で思い出す「大磯カーニバル」

年賀状も主立った方から返事等もいただきました。
何人か返事が無くどうしたのかな? と思っているお一人、その気になる方の妹さんから寒中お見舞いが届きました。

その方は宿場まつりを始めた時から一生懸命に協力をしてくれて、今の宿場まつりの礎を共に築いてくれたお一人でした。当時、既に喜寿を迎えられていました。

それが、お亡くなりになる前の日まで近所を散歩されていて、お知らせをいただいた妹さんとも前日まで電話でお話をしていて、11月12日に急性心筋梗塞を発症してお亡くなりになったとのことです。

昔、私が幼少の頃大磯町では夏の風物詩「大磯カーニバル」が繰り広げられていました。
まだ、国府と合併する以前のイベントで私が5歳頃の話です。

戦後、大磯には東京で事業を行いながら居を大磯に構えていて、大磯町に色々な関わりを持っていた「東京会」? がありました。その「東京会」の存在感は大磯カーニバルに代表されます。

昭和29年8月15日発行 大磯町広報の記事を転載します。

7月31日から8月2日までの3日間、当町で初めて計画した「カーニバル」は晴天に恵まれ盛大に挙行された。1日の仮装行列は予想外の参加者がさつとうして、審査会場の小学校々庭はテンヤワンヤ、各団体、個人で趣向をこらした仮装は当日まで極秘?といった空気が全町に流れたのか31日までに役場への届出は5組そこそこで係をひやひやさせたが、当日いざ受付を開始すると、参加者は列をつくり徒歩だけで315名に及び、松本順台湾生蕃、あんこ、吉田首相等々、係は整理に汗だく。車輌12台の参加を併せて総勢450名の審査は、当日出席された審査委員、獅子文六氏、安田靫彦氏、太田正孝氏によって午後1時30分より開始された。
審査後、仮装行列は吉田首相私邸を訪問、鴫立沢前より立錐の余地もない程沿道をうめつくした観衆の前をねり歩き、午後4時10分照ケ崎海岸に到着、入賞者に賞品が授与されて呼物の仮装コンクールを閉じた。
又夜は花火大会、万燈船で海岸は賑い、後夜祭は灯籠流し、婦人会の大磯八景踊り等盛沢山な行事をおりまぜた大磯カーニバルは成功裡に終了した。

ー 以上ここまで当時の大磯町広報から転載 ー

このような事業を行っていた彼です。本当に粋な方でした。
大正も遠くになりにけり!
92歳で人生を全うした先輩に謹んでご冥福をお祈りいたします。

合掌!

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