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2010年1月

2010年1月31日 (日)

3市2町親善ボウリング大会

平塚市・秦野市・茅ヶ崎市・寒川町と大磯町の3市2町のボウリング協会で定期的に親善大会を行っています。

毎年、その年の初めが大磯町からスタートします。
今日も84名の選手に参加をいただきました。

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レーンコンディションが早い(オイルが多い)上に長く(43フィート位)オイルが入っているのでボールが曲がりません。曲がらないだけではなくボールが滑ります。

皆さん、大変苦労していましたが怪我もなく、楽しんでいただけて良かったです。
(実は半分の選手は思う様にスコアが上がらずフラストレーションが逆に溜まったのかも知れません。)

○ストライクアングルは?
 → 読めていた。自信あった。

○3通りのスペアアングルは?
 → 読めていた。自信あった。

○その結果、ハイスコアをたたき出せた!
 → 結果は惨め?

○それでは単に腕が悪いだけじゃないか? う~ん。ごもっともだ。

最後に大磯町ボウリング協会井上会長がお土産を持参してお見えになりました。
そのお土産を井上会長に抽選を行ってもらい、抽選に当たった選手は「井上のさつまあげ」を嬉しそうに持って帰りました。

次回は平塚でお会いしましょう。

2010年1月30日 (土)

大磯初めて物語り(その3)

今日の話題は「落花生です」
落花生の話題になるとお隣の二宮町とかぶる面があります。

私の晩酌の肴に欠かすことの出来ない「落花生」は大磯で初めて栽培をされたんですね。
最近では落花生と言えば千葉県、茨城県産が有名で大磯町民でも大磯が落花生栽培発祥の地であることを知る人も少なくなってしまいました。寂しい限りです。

小学校の教科書「わたくしたちの大磯」(大磯町教育委員会編)に「まちにつくした人々」として、とりあげられていましたが? あっ!今でも「わたくしたちの大磯」って社会科の副読本として使用しているのかな?

いずれにしても落花生栽培発祥の地は今では名前だけをとどめるだけになつてしまいました。

今日の主役は相州国府村(現大磯・寺坂)の渡邊慶次郎です。
天保12年12月12日生まれの渡邊慶次郎は明治4(1871)年2月30歳の時、横浜に出かけ、苦心の末に種を手に入れ大磯に持って帰ってきましたが、栽培方法も分からず失敗もかなり繰り返したようです。

しかし、努力はどこかで誰かが救いの神の手を差し伸べてくれるんですね。

時を経て皇室への献上品として神奈川県は落花生が指定されました。
皇室献上品として指定を受けた渡邊家では不浄のものがあってはならないと、作業は衣冠束帯で行い、神主により祭事を執り行い、高台の土地を耕し、更に竹矢来で囲み、収穫した落花生は一粒一粒選別し、宮内庁にお届け献上されたそうです。宮内庁御大典大礼使からは受領書と銀杯が下賜されました。

その後は広く大磯で栽培されて秦野や二宮でも落花生が栽培されるようになり、明治9年頃には千葉県にも渡っていったようです。

大磯はわが国における落花生栽培発祥の地であり、渡邊慶次郎は落花生栽培の先駆者なのです。

「神奈川県中郡勢誌」と「大磯の今昔五」(鈴木昇著)を参照しました。

また、二宮町商工会、椎野修平事務局長のブログで「落花生のルーツは二宮町」として1月12日で紹介をしています。併せてこちらも参考にして下さい。

2010年1月29日 (金)

SASUKE STORE 鎌倉&ドン秋谷店

今日は私の健康診断です。
ちょっと血圧高し、その他血液検査等の数値は全く問題なし。
胃カメラでポリープ2個発見。病理検査に回してもらいましたが、多分問題はないでしょう との所見でした。

午後からは休みを取ってカミさんと鎌倉へ三浦野菜と鎌倉野菜の直売所を見に行ってきました。

SASUKE STORE 鎌倉は三浦半島で採れた旬の野菜や、近海で獲れた鮮魚をオーナー自らが市場から競りで仕入れているお店です。それだけに野菜もお魚も新鮮です。

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今、世の中は旬という言葉が死語になりつつあります。
保存する技術や温室を含めて栽培技術が格段に進歩した結果、色々な野菜や魚が一年中店頭に並んでいます。ある面では不自然です。

本来は野菜や魚等からも季節を感じることが出来たはずですよね。
今日は久しぶりに、旬を味わえる幸せを感じました。

鎌倉野菜の直売所も見て来ました。

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ちょっと足を伸ばして横須賀市、立石駐車場にあるドン秋谷店にぶらっと寄って来ました。メニューにアイスクリームグラタン? アイスクリームのグラタン。オーダーする前に

もう一度確かめました。あのアイスクリームのグラタンですか? 店員がニコッと笑ってそうです。

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思わず食べてきました。
本当にグラタン風の中にアイスクリームが入っていました。
そしてアイスクリームの他に季節のフルーツも一杯。

普段、ケーキ等を食べたことが余りありませんが、このアイスクリームグラタンは美味しくいただいてきました。

2010年1月28日 (木)

大磯初めて物語り(その2)

今日の初めて物語はサフランです。
ヨーロッパでは紀元前から香料・染料として利用されていたそうです。
古代ギリシアではサフランの黄色が王族だけが使うことを許されるというロイヤルカラーとされた時代もあったほど珍重されていたサフランです。

このサフランの栽培が今日の大磯初めて物語り(その2)です。

以下の解説は「参考文献 大磯町史民族調査報告書 三」を抜粋しています。

相模国中郡國府村でサフランを初めて栽培した家がある。
辰五郎は弘化元年(1844)にサフランを薬用として栽培、商品化に成功した。
明治19年知人に託して5円でサフランの球根5個を欧州から購入したのが始まりだという。植え付け後3年目に3輪の花が咲いたので、めしべを陰干しにして見本と比べ確かにサフランであると確信を持つ。
その後、添田家ではかなり大規模に栽培するに至り、開花すると一面が紫色に染まりすばらしい景色だったという。当時は花が咲くと国府や二宮の小学校の全校生徒が見学に来たという。その時の記念品として配ったセキヒツが今も残っている。
松本順は毎日のように訪れ、伊藤博文は夫人と二人で「おじいさんいる」と声をかけながら来られたという。当時、大磯に別荘を構えていた政財界人も度々訪れている。
添田家では、宮中にも献上し数々の礼状が残されている。明治38年、昭和天皇が2歳の時に鍋島侯爵のところへ来られた際、お忍びで寄られたこともあった。いずれも対応は辰五郎夫妻だけで、他の者は近づけなかったという。
明治後期から大正中期にかけて、国府地域のみならず、西小磯、大磯、平塚方面でもサフランを栽培する家が増え、農事に少なからず影響を与えた。

以上ここまで「参考文献 大磯町史民族調査報告書 三」から

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その後、辰五郎の栽培した球根が大分県竹田市へ伝わり、今や同地はサフランの名産地になっています。現在、日本国内の約8~9割が同地で生産されているそうです。

「大磯宿場まつり」では、数年前からこのサフランが大磯で初めて栽培されたことのPRを行い、サフランの効能・効果として、イライラや不眠などの更年期障害や女性病、喘息等の鎮静効果や香味料として食品に利用出来ること。サフランを使ったレシピ等を案内しながら球根を配布しています。
着実にサフランのファンが増えてきています。

そして、宿場まつりでこの事業を中心になっているのが竹田市から嫁いできた方だと言うことに縁を感じます。

2010年1月27日 (水)

日本風景街道関東交流会

国土交通省が提唱する「日本風景街道」
大磯はこの事業を歴史街道「ぶらり大磯」(Slow Life In OISO)として事業を展開しています。

大磯駅前に降り立つと駅前にある地場屋ほっこりさんの上に設置してある看板は、この事業のイメージ看板です。

大磯駅前のイメージ看板

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看板に描かれているイラストの中には皆さんが良くご存じの方がいます。

一番左の馬に乗った武士。
歌舞伎でお馴染みの曽我物語の一こまです。
曽我物語と言えば五郎の恋人、大磯の虎(おおいそのとら)は、「虎が雨」涙雨として背景に使っています。
正座しているお坊さんは西行法師をイメージしています。
ダンスをしているのは伊藤博文。その隣の女性は、大磯が日本で初めての海水浴場として栄えた時の大磯町のポスターです。
その隣は吉田茂。
Slow Life In OISO のサーフボードを持つのは白州次郎。
こうした大磯の歴史を継承してもらいたいと子どもに繋いでいます。
少年がサッカーに興じています。湘南ベルマーレも今春からJ1に昇格出来ました。

大磯の歴史街道「ぶらり大磯」は関東地方協議会では17番目。全国では100番目の登録ルートです。

本日、の交流会で後輩が出来ました。

「ロングビーチ 癒しの九十九里街道」が18番目のルートとして登録証が授与されました。

「ロングビーチ 癒しの九十九里街道」を囲んで

        ▼

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日本風景街道 関東の17風景街道は下のURLを

        ▼
http://www.ktr.mlit.go.jp/kanto-fukei/13route/fuukei_oct/

会議後に他のルートの方と懇談が終わった頃には、さいたま新都心もすっかり更けていました。

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2010年1月26日 (火)

大磯初めて物語り(その1)

まず今日は演歌からいきましょう。
添田 唖蝉坊をご存じでしょうか?
大磯の農家の出で、四男一女の三番目の子として生まれた演歌師です。

明治20年代頃は、明治政府が廃藩置県、地租改正、学制、徴兵令、殖産興業などの政策に重点を置いている時代で自由民権運動も盛んに行われていた時代です。川上音二郎で有名な「オッペケペ」の壮士芝居もこの時代です。

唖蝉坊が書いたと言われている演歌に「壇ノ浦」(愉快節)、「白虎隊」(欣舞節)、「西洋熱」(愉快節)などで、1892年(明治25年)の作だそうです。これ以降「ノンキ節」、「ゲンコツ節」、「チャクライ節」、「新法界節」、「新トンヤレ節」と続き、1930年(昭和5年)に「生活戦線異状あり」で引退するまでに182曲を残しました。

1960年代に高石ともや、高田渡ら初期の日本のフォークシンガーが好んで彼の作品を唄い、日本のフォークソングの原形として広まりました。
正にこの当時です。添田 唖蝉坊を知ったのは。そして唖蝉坊が大磯町出身とは驚きました。それまで知りませんでした。

毎年、秋に「大磯宿場まつり」が行われます。
その会場に流れるのは唖蝉坊の歌をBGMとして使用しています。

壇ノ浦(明治24年)・ストライキ節(明治33年)・四季の唄(明治28年)・ラッパ節(明治38年)・ああ金の世(明治39年)・増税節(明治40年)・あきらめ節(明治39年)・都節(大正2年)・まっくろ節(大正3年)・ブラブラ節(大正6年)・新わからない節(大正9年)・のんき節(大正7年)・虱(しらみ)の旅(大正8年)・金々節(大正14年)・・・・・・etc。

大磯町出身の添田 唖蝉坊の唄を聞きながら「大磯宿場まつり」を楽しむのも、ちょっと視点が変わって良いかも知れません。

2010年1月25日 (月)

旧東海道整備活用等検討委員会

東海道が整備された江戸時代は「街道の道幅は二間から三・四間(3.6㍍~7.2㍍)、並木敷地の幅は9尺(2.7㍍)程度を一つの目安にしていたようです。

大磯町には旧東海道松並木と呼ばれる道路が二カ所あります。
一カ所は現在でも国道一号線として使用されています。
(箱根駅伝で選手がここを通過すると必ず紹介される場所です)
もう一カ所は現在、町道でこの標題の検討委員会の場所です。

そして、この当時のほぼ規格通りに残っているのが山王町の旧東海道松並木敷です。

当時の東海道は江戸と京を往来する人が大勢利用していました。街道の両脇に設けられた植樹帯が旅人の休憩場所にもなりました。樹が植栽されていれば、夏には日陰を作って旅人の暑さ対策にもなったでしょう。

民間が中心になっている委員会ですからハード整備等については限界があります。

しかし、年度末の最終委員会までに

旧東海道に電柱、電線、がなかったら?
石畳になったら?
石畳に沿って遊歩道がついたら?
ごみステーションをデザイン化したら 美観は?
育てている松をどこに移植したら?
一里塚を復元したら?

これ等をビュジアル化しようと思います。
そして、こうしたものをたたき台にして、将来、本格的な整備計画の構想が出来るときに活かしてもらえればと思います。

先日も会議で掛川宿に行きましたが松並木が綺麗になっていました。
その先の舞阪・新居・御油・土山の各宿も松の植栽に力を入れています。
品川宿では都会ど真ん中にありながらマンション等の建設でスペースが出来ると東海道各宿から松の提供を受けて植栽をしています。

大磯宿の松も品川宿に2005年に嫁入りをしています。

第12回大磯宿場まつりで松の贈呈式
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品川宿での植樹式
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東海道は人のネットワークだけではなく、このように松を通しての交流も盛んに行われているんです。だから魅力があるんです。

2010年1月24日 (日)

大磯に関係する政財界人

昨日は大河ドラマに関連して三菱財閥の始祖である岩崎弥太郎についてコメントを書きました。
大磯町には8人の宰相が住みました。これも過去にコメントを書きました。

それでは大磯にどれほどの政財界人が別荘を持ったのか?
私の手帖に書いてある人物の一部を列挙してみます。
(この手帖に転載する時に出所を書くのを忘れてしまいました。何の本から抜粋したんだろうか?)

松本 順 … 初代軍医総監で海水浴場創立者。
山縣有朋 … 元帥で2回首相になる。
      作庭名人で別荘の名は小淘庵。
吉田健三 … 吉田茂の養父。
橋本綱常 … 大正天皇主治医。日赤病院を建てた人。
島津忠寛 … 旧佐土原藩主。
高木兼寛 … 海軍軍医総監で慈恵医大前身を設立。
孫 通陽 … 日本ボーイスカウト創設者。
有村国彦 … 第五銀行頭取。
後藤象二郎 … 明治の功臣。長女早苗は岩崎弥之助夫人。
樺山資紀 … 海軍大将。初代台湾総監。
      孫の正子は白州次郎の妻。
浅野総一郎 … 浅野セメント、浅野造船所創設者。
大倉喜八郎 … 大倉財閥創設者。
     現東京経済大学の前身である大倉商業学校の創立者。
森村市太郎 … 貿易商。第一相互生命・冨士製紙等の創立者。
岩崎弥之助 … 三菱財閥の二代目。
西  周 … 日本最初の哲学者。
陸奥宗光 … 外務大臣。
伊藤博文 … 首相を4回。大磯は本邸。「滄浪閣」
徳川茂承 … 旧紀州藩主。
鍋島直大 … 旧佐賀藩主。

他にも、大隈重信・西園寺公望・加藤高明・原敬・寺内正毅・三井高棟・安田善次郎・住友寛一 等々 まだまだ書ききれません。

一人一人の実績を調べていくとすぐに夜が明けてしまいそうです。

2010年1月23日 (土)

大河ドラマと岩崎弥太郎

NHK大河ドラマで放映中の『龍馬伝』では坂本龍馬の同郷、土佐国の出身である岩崎弥太郎(弥太郎役:香川照之) も登場しています。

地毛浪人の出身とは言え貧しさの代表を上回る様な描かれ方をしていますよね。

いずれにしてその貧しさの中から、日本を代表する実業家で、三菱財閥を創り上げて明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物の一人として成り上がったことには相違ありません。

その岩崎弥太郎が大磯に縁があることに非常に親しみを覚えます。

第二次世界大戦後の1948年に、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜先生が、連合軍に取り上げられていた岩崎家の旧宅を募金を集めて買い戻し、そこを利用し孤児のための孤児院として設立されたのがエリザベスサンダースホームです。

このエリザベスサンダースホームをモデルとして、当時大磯で執筆活動をされていた小説家、劇作家、演出家として活躍していた獅子文六も「やっさもっさ」で同ホームのことを紹介をしています。

岩崎弥太郎の娘婿から加藤高明及び幣原喜重郎の2人の内閣総理大臣を輩出しています。財閥創業者から2人も首相を輩出している例は他の財閥にはないそうです。

(8月25日の Blog で8人の総理大臣が住んだ町で記述)加藤高明その内の8人総理大臣の中の1人です。

『龍馬伝』はあくまで坂本龍馬が主役の大河ドラマです。この先、岩崎弥太郎がどのように描かれるのか分かりません。

しかし私が半世紀前に通学していた大磯小学校のグランドはこの岩崎家から譲り受けた運動場だと聞いています。

子どもの頃にこの運動場を「リョウイン広場」と呼んでいました。
「菱陰広場」に何故「菱」の字があるのを知ったのは、ずっと先、大人になってからです。
三菱(岩崎家)のお陰のグランドと言う意味です。

大磯小学校のことに触れましたので序(つい)でに関連した内容を。
明治32年「伊藤博文公より金五〇〇円寄贈されこれを全児童に分け郵便貯金として貯蓄心の涵養をはかる。」という記載が同校80年誌(昭和28年)に載っています。

こうした歴史をきちんと継承していかなければと思います。
こんな大磯を一度ぶらり散策をしてみませんか?

2010年1月22日 (金)

職員の健康診断

毎年1回、職員の健康診断があります。この健康診断は労働衛生安全法で義務づけられた一般健康診断ですから最低限の健康診断です。従ってこれで重大な疾患が見つかるとは思えませんので、最終的には自身の健康管理については自身で気をつけるしかありません。

むしろ私が心配するのは、一般健康診断で発見出来ない病気、心の疲労、病です。

仕事に夢中になりすぎて疲労が蓄積される、配置転換等をした時に業務内容が変わった時、家族の不幸や家庭での環境に変化があった時、何より職場の人間関係からくるストレスなど心の病になる要因を挙げたら沢山あります。あるはずです。

それだけに小集団の職場は、個人に負荷がかからない程度に職員個人の環境も共有していくことが非常に大切だと思っています。

職員個人の環境も共有しているからこそ、プライベートの出来事であっても助け合いの気持ちが働くのだと思います。

誕生日や結婚記念日等、奥さん(ご主人)の誕生日を職員全員で祝って上げることもこうしたことに起因しています。祝って上げると言ってもプレゼント等をあげることではありません。言葉を掛けて上げることが大切なんです。

だから、職場のメンタルヘルスについては気を遣います。

仕事の偏り、不快な職場環境などのストレス要因が発生しない様に心掛け、職場で聞く友人関係や家族関係でおきる個人の悩みなどは、みんなで相談できるような雰囲気作りを日頃からお互いに心掛けることの出来る、こんな職場が出来れば良いなと思っています。

少なくとも私が明るく振る舞わなければいけないんです。
そんなことをしたら私のストレスが溜まってしまう?
楽天家の私は私で、全てを楽しんでしまうところがあるのでストレスが余り溜まらないんです。

自然流で生きることをモットーにしていますので。

いずれにしても、今日で私以外の職員の健康診断が終わりました。

2010年1月21日 (木)

平塚観光フェスティバル&商工会等合同新年会

ふるさと再発見
~今年もぶらり・・・“観光と味”大集合!~

平塚市観光協会主催事業ですが、今年は広域連携により大磯町や二宮町の観光の紹介・物産展、観光協会の会員紹介コーナーなどを加えて実施しています。

大磯町商工会でも友月堂やパンの蔵が物産で出展、大磯町観光協会が大磯のPRを行っています。

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平塚にお越しの際は一度立ち寄ってみて下さい。

◆期 間:平成22年1月21日(木)~26日(火)
     午前10時~午後6時30分(最終日は午後3時まで)
◆会 場:ひらつか市民プラザ

  詳細は ▼

   http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/kankou/festival.htm

夕方からは大磯町商工会・(社)平塚法人会大磯支部・(社)平塚青色申告会大磯支部、三団体合同新年会です。

大勢の方に参加をいただきました。

三団体を代表して挨拶する重田商工会長

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景気が良くなること、皆さんの健康を祝して乾杯

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河野・勝又代議士を始め大磯町長等行政・地方議会をリードする方達を迎えての合同新年会です。何とかこの経済状況を上昇気流に乗せる政策を講じて欲しいと願います。

どうしても湿っぽい話題が多くなってしまいます。
鳩山首相の問題は国税庁が。そして小澤民主党幹事長の問題は検察庁がそれぞれ詳細に調べてくれることを望み、国会は粛々と経済状況の立て直し、雇用関係の課題を解決するために大いに論議をしていただきたい望みます。

その上で予算委員会とは別に特別委員会等で問題点は糾弾して欲しいと願います。

2010年1月20日 (水)

大磯港みなとまちづくり協議会

今日は大寒でした。
沖縄地方は早くも夏日を記録したそうです。湘南地方も20度近くまで気温が上昇しました。このまま暖かくなると嬉しいんですが・・・・・・。
しかし、それでは農作物には大きな迷惑でしょう。梅が咲くのを忘れていきなり桜が咲くのも困りますね。
今、しばらくは寒さを辛抱することにしましょう!

今日は大磯港みなとまちづくり協議会の会議がありました。
この大磯港から見える景色、雰囲気を大切にしたいものです。

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現在、県と町で大磯港活性化整備計画に基づいて港湾管理施設の整備が進められています。
大磯港をもっと魅力ある空間にするためにはどのようにしたら良いのか?

この一環で2月に「大磯港活性化方策について」協議会主催の講演会を開催します。

港に関心のある方のご参加をお待ちしましています。

◆日 時:平成22年2月7日(日)13:30~15:00
◆場 所:聖ステパノ学園講堂「海の見えるホール」
◆講 師:国土交通省関東地方整備局
     京浜港湾事務所長 大津 光孝氏
◆参加費:無料
◆問合せ先:大磯町役場建設課 みなと国県道推進室
      0463-61-5719

次の話題は大磯港みなとまちづくり協議会の直接行うイベントではありませんが12月22日に「相模湾における海上交通による新たな観光資源開発事業」について、昨日、神奈川県で記者発表がありましたので、再掲します。

相模湾の早春を愉しむクルーズを実施します。

大磯港に関しては、「大磯~真鶴」間を結ぶ『相模湾早春クルーズ』が実施されます。

このクルーズでは壮麗な富士を眺めるクルージングで、宿場町や著名人の別荘地として栄えた「大磯」と、一足早い春が感じられる「真鶴」を結びます。大磯・真鶴の各ボランティアガイドの案内による"まちあるき"や、相模湾の旬の地魚を楽しむランチも楽しめます。

問い合わせ・申し込み等の詳細については次のURLを参照下さい。
   ▼
http://www.pref.kanagawa.jp/press/1001/042/index.html

2010年1月19日 (火)

「みんな違ってみんないい」これが教育の神髄?

学校法人国際学園の宮澤会長とお会いしました。
久しぶりに教育の核心に触れたようで気持ちの良い一日でした。

星槎グループは「不登校」「軽度発達障害」などの生徒を対象に「関わり合い」を中心にしている学園です。そして「人を排除しない」「人を認める」「仲間をつくる」この三つを柱にしています。

同氏は私と同じ1949年生まれ。
どうもこの世代は、体制に向かい、そして、その壁が高くなればなるほど、それを乗り越える時の喜びを得たいが為に、今を楽しむ傾向にあるらしいです。

今までの常識を覆すような学校教育を目指したら常に文部科学省とガチンコ勝負だったんだろうと容易に推測されます。

しかし、時の経過と共に宮澤氏の行っている教育がディファクトリースタンダードに、つまり常識になってしまった一面もあります。

常識を覆すと言っても特別な教育を行っている訳ではありません。

「不登校」「軽度発達障害」の生徒を中心に受け入れているので誤解を生んでいることもあると思います。

基本は「生徒も人」受け入れてる「教師も人」そのお互いの立場で、「人」としてどのように「生きる」のか? それを「当たり前に」実践しているだけなんです。「生きる」ことは大変です。「生きる」ためには「工夫」が必要です。

教師が黒板に向かって生徒に授業を行うのはあくまで知識を教えることです。その先にある「疑問」を持って、どうしたら良いのか? といった「知恵」「生き方」の座問答を子どもたちと一緒に考えてあげることが欠落しているんだと思います。

学校は「教育環境の創造」であり、そして「自己の心を顧み」「心を耕す場所文化」だとおっしゃっていました。

子ども教育を学校だけに求めすぎている点を反省しなければいけないと思います。
家庭においても学校任せではなくこのような教育を併せて行っていかなければ子どもは育ちません。

星槎国際高等学校創立10周年記念の冊子をいただいてきました。
その冊子に孔子の「論語」についてかなりのページを割いています。

「論語」は宗教ではない。神、仏を中心にしているのではなく、人がどう生きれば良い方向に行くにかのという話です。この五則(仁・義・礼・知・信)が大切だと。

今一度、こうした道徳教育を見直す必要があるんだろう痛感します。

(注)以上の内容は宮澤氏の話から私が個人的に受けた感想です。

2010年1月18日 (月)

歴史街道「ぶらり大磯」(Slow Life In OISO)意見交換会

古くは宿場町として栄え、明治期には政財界人の多くの方が居を構えた大磯町ですが、近年は都市化の波に押されて歴史的な資産も失われつつあり衰退の傾向にあります。こうした中でも往時の面影を残す旧東海道を会場に「自然資産を活かしたまちづくり」の一環とした「宿場まつり」の開催や、東海道松並木に水仙を植栽するなど「花」を生かした整備を行うなど、積極的な地域づくり活動を町全体として取り組んでいます。

現在大磯町には地域活動に取り組む組織が多くあります。この事業を通して組織間の連携を一層強めながら、この大磯の良好な景観を「守り・育てる」ことを理念に地域資源を活用したまちづくり、みちづくり活動を継続的に実践し、大磯町全体をぶらりと散策できる癒しの空間とした地域活性化を推進することを目的にこの事業を推進しています。

今日は国土交通省横浜国道事務所の所長以下5名と本会のこの事業を推進する企画部会で大磯町の課題等について意見交換をしました。

旧東海道の松並木。「滄浪閣」を初めとする別荘地跡、8人の宰相が住んだ住居等、自然が豊かな状況、今後の大磯町の核になるだろうと考えている大磯港等の現地を見ていただきました。

○景観 ○観光 ○住んで良し、訪れて良し

このようなことが柱になるのかなと思います。
そしてこうした事業を実践するのには
○地域が大好き
○その中で自らやりたいことがある
そして、それが自らの意志で事業に参画出来れば最高だと思います。

お陰様で私どもの会は、商工会の会員以外の方が事業に参画してくれるサポーターが大勢いることは大変有り難いことなんです。これは誇れることだと思います。

一方では、大きな投資をして大磯に住んだのは、この静かな、落ち着いた環境が気に入って求め、終の棲家にしたのですから、外から余り大勢の人が入り込んでこられるのは困るんです。この様に考える方が多いのも事実です。アンケート等の結果を見るとこの傾向が更に良く分かります。

だから一口にまちづくりと言っても難しいんです。

そうすると、大磯町が未来永劫大磯町を目指すのか? あるいは周辺の力を借りながら大磯地区と言った考え方を目指し、この良き環境を残していくのかという選択肢も出てきます。

そろそろ合併等について真剣に考える時期に来ているのかなと思います。

2010年1月17日 (日)

阪神大震災 15年

6434人の犠牲者が出た阪神大震災から15年が経過しました。
改めて被災によりお亡くなりになった方のご冥福を祈ります。

神戸市も被災後の転入者や出生者が36%を越えたそうです。
そうした意味でこのような大きな出来事を次世代に継承していくことが今後の課題なのかなと思います。
しかし、日本は過去の歴史的事実を比較的継承している国だと思います。
神戸市も風化させずに立派に継承していくと確信しています。

この被災によって被災前に「見えなかったこと」が「見える様になった」ことを言い伝えていくことが大切だと思います。
ある自動車部品メーカーは被災にあってわずか2ヶ月で前年の売上を確保したと言います。近所の方が事務机や事務用品を提供してくれたそうです。
親会社も資金的な支援もしてくれたそうです。普段から揺るぎない信頼関係があり「必要なものを」「必要なだけ」「必要なとき」に必要な様に誠心誠意に応えている部品工場だったんでしょうね。

ある方はこの被災を契機に自分の出来る範囲でのボランティア活動を一生懸命にやる方も増えたとも聞いています。

倒壊した住宅から被災者が助け出された8割は近隣住民が助け出し、消防、警察、自衛隊による救助は2割程度だったそうです。

近所の底力とも言うべきコミュニティーがあった結果でしょう。
地震列島の日本は各国から比べると防災に対する備えはかなり意識は高いと思います。

(我が家の防災意識は? 結して高いとは言えませんね)

2004年のスマトラ沖地震によるインド洋大津波の被災の際にインドネシア政府は国の地震等の災害に対し、耐震化住宅の促進政策はもちろんのこと、むしろ、日本人の近所の底力的な考えをむしろ参考にしたいと言っていた政府首脳の方もいる位ですから、日本人のもつ良きコミュニティーを大切にしていくべきです。

日本国民は肝心な時にはこうした力を発揮するのですから。

だから、国や公職(特に議員バッジを付けていらっしゃる方)にある方は国民を裏切ってはいけないんです。
そう、言い切れますか?
何か、このところ、国民を忘れているニュースが余りにも多すぎりのですが?

2010年1月16日 (土)

第3回 東海道検定

掛川宿で歴史の道東海道宿駅会議の役員会兼東海道検定委員会が開催されて第3回目になります東海道検定の日程等の詳細が正式に決まりました。

第3回東海道検定

1.検定実施日 平成22年3月14日(日)
2.検定方法  四択法・100問
3.合格者呼称 東海道マイスター
4.合 格 点 70点
6.検定時間  2時間 
           14:00 ~ 16:00
7.検定会場  
 ①東京神奈川地区(大崎ゲートシティホール) 
  東京都品川区大崎1-11-1
  大崎駅下車・南口改札 徒歩1分
 ②静岡地区(静岡グランシップ10階)
  静岡市駿河区池田79-4
  東海道本線・東静岡駅下車 徒歩3分
 ③愛知・三重地区(名城大学天白キャンパス)
  名古屋市天白区塩釜口1-501
  地下鉄・鶴舞線 塩釜口駅下車 徒歩8分
 ④関西地区(滋賀(財)滋賀県教育会館)
  大津市梅林1-4-15
  JR大津駅前
8.検 定 料 1名¥4,000(不受験返納なし)

※ その他申込み方法、詳細については下記URLをご参照下さい。

 http://www.tokaido.or.jp/kentei-1.html

東海道の宿駅制度は1601年に徳川家康により「東海道」が誕生しました。
日本橋(江戸)から三条大橋(京都)に至る宿駅は、53箇所でいわゆる東海道五十三次です。京都から延長して大坂に至る大坂街道(京街道)の宿場4箇所を加えて東海道は五十七次だとも言われています。

この東海道検定を主催している歴史の道東海道宿駅会議は「京街道」(又は大坂街道)の伏見、淀、枚方、守口宿を加えた、東海道五十七次説を採って活動をしています。

従って東海道=53次と思い込んでいると意外なところに落とし穴がありますよ。
大坂街道(京街道)の出題があると対応できなくなります。

東海道は広重の浮世絵が53次ですし、この印象が余りにも強いのと、大津~大坂間を上方の人々が好んで「京街道」と呼んでいたために伏見、淀、枚方、守口宿が東海道であることの認識が薄れてしまったのでしょうね。

また、京都から大坂に向かう街道は「大坂街道」と呼んだり、この区間は街道より淀川の水運が非常に発達していたので余計に存在感が薄くなっているのかも知れません。

いずれにしても、今年はライフワークの一つに東海道マイスターを目指してみませんか?

2010年1月15日 (金)

大磯の左義長(Part Ⅱ)

明日は大磯の国指定重要無形民俗文化財の左義長があります。
私は「歴史の道東海道宿駅会議」の会議で終日、掛川宿です。
多分、左義長の時間までには帰ってくることが出来ないと思います。

無病息災を祈願するお団子は子ども達に焼いてもらっておきます。

天気は良さそうなので皆さんも是非この伝統ある国指定重要無形民俗文化財の左義長を一度はご覧になって下さい。

文豪、島崎藤村先生はこの左義長をご覧になって、この魅力に取り憑かれて大磯を終の棲家にしたと伺っています。

お団子を作る時間等がない方は大磯町観光協会が大磯駅前で竹付きのお団子を販売しますのでご利用下さい。

お団子の販売が終了すると、同じ場所で大磯のお土産を同じく駅前で販売もしますので併せてご利用下さい。

車でご来場する方は大磯港の県営駐車場をご利用下さい。
そして、サイトが作られる場所は海岸です。点灯はおおよそ午後7時頃です。

非常に寒いです。防寒対策を万全にしてお越し下さい。
無病息災を祈りに来て、帰ってから風邪でもひかれたら洒落になりませんから。

写真は(社)大磯町観光協会から転載

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2010年1月14日 (木)

知人の訃報で思い出す「大磯カーニバル」

年賀状も主立った方から返事等もいただきました。
何人か返事が無くどうしたのかな? と思っているお一人、その気になる方の妹さんから寒中お見舞いが届きました。

その方は宿場まつりを始めた時から一生懸命に協力をしてくれて、今の宿場まつりの礎を共に築いてくれたお一人でした。当時、既に喜寿を迎えられていました。

それが、お亡くなりになる前の日まで近所を散歩されていて、お知らせをいただいた妹さんとも前日まで電話でお話をしていて、11月12日に急性心筋梗塞を発症してお亡くなりになったとのことです。

昔、私が幼少の頃大磯町では夏の風物詩「大磯カーニバル」が繰り広げられていました。
まだ、国府と合併する以前のイベントで私が5歳頃の話です。

戦後、大磯には東京で事業を行いながら居を大磯に構えていて、大磯町に色々な関わりを持っていた「東京会」? がありました。その「東京会」の存在感は大磯カーニバルに代表されます。

昭和29年8月15日発行 大磯町広報の記事を転載します。

7月31日から8月2日までの3日間、当町で初めて計画した「カーニバル」は晴天に恵まれ盛大に挙行された。1日の仮装行列は予想外の参加者がさつとうして、審査会場の小学校々庭はテンヤワンヤ、各団体、個人で趣向をこらした仮装は当日まで極秘?といった空気が全町に流れたのか31日までに役場への届出は5組そこそこで係をひやひやさせたが、当日いざ受付を開始すると、参加者は列をつくり徒歩だけで315名に及び、松本順台湾生蕃、あんこ、吉田首相等々、係は整理に汗だく。車輌12台の参加を併せて総勢450名の審査は、当日出席された審査委員、獅子文六氏、安田靫彦氏、太田正孝氏によって午後1時30分より開始された。
審査後、仮装行列は吉田首相私邸を訪問、鴫立沢前より立錐の余地もない程沿道をうめつくした観衆の前をねり歩き、午後4時10分照ケ崎海岸に到着、入賞者に賞品が授与されて呼物の仮装コンクールを閉じた。
又夜は花火大会、万燈船で海岸は賑い、後夜祭は灯籠流し、婦人会の大磯八景踊り等盛沢山な行事をおりまぜた大磯カーニバルは成功裡に終了した。

ー 以上ここまで当時の大磯町広報から転載 ー

このような事業を行っていた彼です。本当に粋な方でした。
大正も遠くになりにけり!
92歳で人生を全うした先輩に謹んでご冥福をお祈りいたします。

合掌!

2010年1月13日 (水)

安田善次郞 別荘(安田不動産大磯寮)

県連の職員人事管理員会と理事会が本会で開催されました。
折角、県下各地から大磯での会議に出席するために来ていただいたので、会議後に旧安田財閥の創始者である安田善次郞翁の別荘を観ていただきました。

この別荘は浅野総一郎邸を譲り受けて別荘として使用していた建物です。
浅野は安田とは同郷(富山県)の出身で安田善次郎や渋沢栄一の協力により、第一次世界大戦の特需を受け一代で浅野セメント(後の日本セメント、現在の太平洋セメント)や浅野造船所(後の日本鋼管、現JFEエンジニアリング)など多数の会社を設立し浅野財閥を築いた実業家です。

安田善次郞翁は安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立し損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)を次々と設立し、金融財閥としての基礎を築いた明治期の実業家です。

大正10年9月28日にこの大磯別荘において刺殺されるまで大磯の地をこよなく愛し、良くこの別荘を利用していたようです。

屋敷内には主屋、経堂、持仏堂の外に大磯でアトリエを持ち活動していた日本画家の大家、安田 靫彦(ゆきひこ)設計による法隆寺聖霊院厨子を模した唐破風平唐門などがあります。
また、国の重要美術品に認定された『嘉元三年(1305年)』銘の石造・十三重塔があります。

建物は純和風住宅の平屋建で想像しているよりはるかに質素です。
政治家の別荘の方が豪華です。

唐破風平唐門

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玄関

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茶室内

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持仏堂&石造・十三重塔

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経堂

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今でも東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂等は安田善次郎の寄贈によるもので残っていますが、この様な慈善活動に翁の人柄が忍ばれ、また別荘からその様子が伺われます。

「五十、六十はなたれ小僧 男盛りは八、九十」とは安田翁の言葉です。
この言葉を信じましょう。
私は、まだまだはなたれ小僧だ。男盛りはこれからだ!

2010年1月12日 (火)

衣食足りて礼節を知る

中国の春秋時代、宰相 管仲が著書「 管子 ( かんし ) 」で「衣食足りて礼節を知る」と表している言葉です。
生活に経済的に余裕ができ、豊かであってこそ人々は初めて礼儀や節度をわきまえられるようになる。このような意味でしょう。

管仲がどのような状況でこの様な格言を表したのか分かりません。

私が思うに、衣食が足らなかった頃、むしろ貧乏と言われていた時の方が遙かに礼儀や思いやりがあったように感じます。

「貧乏」確かに響きが良い言葉ではありませんよね。
貧「まずしい」「足りない、少ない」
乏「とぼしい、足りない」
何が足りないのでしょう? お金でしょうか? 物欲でしょうか?

しかし、逆に物が無いと、ある物を工夫して知恵が生まれます。
食卓に人数分のおかずが並んでいなければ分け合って食べてきました。
そうやって、日本人は譲り合いや人への思いやりを培ってきたはずです。
少なくとも私はそのように育てられました。

それがいつしか身の回りに物が溢れ出すようになりました。日本国民総中流社会と言われるようになってから、この国も少しずつ歯車が狂い始めたようです。

本当に「衣食足りて礼節を知る」 知ったんでしょうか?
私には「衣食足りて心が貧乏」になったようにしか思えません。

ただ、この貧乏化の要因の一つがデフレにあることが気になるんです。
中小企業者、小規模事業者にとってデフレは脅威です。
いや、サラリーマンにも脅威なんです。

デフレの勝ち組は現金や預金を大きく保有する富裕層にとっては好機到来です。
何せ、物価が下がります。株式(ここ数日値上がりしていますね。これだから日本だけでは解決出来ないことが多い複雑な要素があるんですよね)や不動産を安く買うことも可能になります。

いずれにしてもデフレは企業努力だけでは解決できない問題であることには違いありません。ここは速やかにデフレ脱却の道筋をつけていただきたいと願います。

本日で年始早々の第一ラウンド、年末調整指導会が終わりました。
小規模事業者の内容の一部分を見させていただき、このようなことを痛切に感じました。

2010年1月11日 (月)

桜を植える会(記念植樹)

大磯運動公園にカワズザクラ13本を植樹しました。
昨年は17本を植樹しましたので30本になりました。

この事業は大磯町商工会が国土交通省の提唱する「日本風景街道」事業を受けて、『歴史街道「ぶらり大磯」(Sloe Life In OISO)』の事業として推進しています。そして大磯運動公園の指定管理を受けている(財)神奈川県公園協会や大磯ロータリークラブ、大磯ルネッサンス03、大磯ガーデニング倶楽部等と協働で行っています。

この事業は広く町民に記念植樹を公募しています。
記念植樹ですので●年結婚記念・子どもの七五三記念・町民になった記念にと・・・・・・。応募した動機はそれぞれですが、自分たちの植樹したサクラですからきっと愛着を持ってくれると思います。斜面が桜の園になれば春には「お花見」も出来る様になります。

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息子夫婦達も応募しました。
今年は結婚十周年。そして長女が小学校に入学をします。
きっとそのような想いを込めた記念植樹だと思います。

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サクラを植樹した場所からは相模湾を見渡せます。
将来的にゆっくりと座れるベンチなども欲しくなります。
いずれ、そのベンチも「マイベンチ」として公募し設置が出来ればと夢は膨らんでいきます。

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行政もお金のない時代です。
発想、企画を我々が行い、そのスペースを活用そして利用いただく。
全てを行政がお金の執行も含めて行う時代は終わりました。
これからはこのようなネーミングスポンサー的な考え方をどんどん導入し、町民にも参加してもらっていくべきです。

今日は成人の日でもあります。

国民の祝日に関する法律(祝日法)では「大人になったことを自覚し、自らから生き抜こうとする青年を祝い励ます」ことを趣旨としています。

新成人を迎えた青年を励ますということは、日本が良い「国家」であるためには国民自身が共に成長をしていく必要があります。「子どもから大人になった自覚を持って欲しい」と願って「成人の日」を祝日とした、先輩たちの想いを知ることが、成人を迎える第一歩なのではないでしょうか。

午後からばぁばの父の命日ですので、平塚の薬師寺へお墓参りです。
境内では梅が早くも咲いていて二人を迎えてくれました。

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一歩一歩、着実に春がやって来るようです!

2010年1月10日 (日)

消防出初式&大磯駅前ISO市

大磯町消防出初式が大磯運動公園で行われました。
出初式の起源も江戸時代にあるんですよね。
江戸時代から明治時代にかけては1月4日に行なわれていたそうですが、現代では1月6日に開催されるところが多いようです。

江戸時代の町民による消防組織である町火消が制度化されたのは、ご存じ南町奉行の大岡忠相の主導によるものです。

当時は江戸の町を20~30町ごとに分けて1組とし、隅田川から西を担当する「いろは組」47組(のちに1組増加して「いろは四十八組」となる)と、東の本所・深川を担当する16組の火消組合が設けらました。

我が町の江戸時代の町火消に当たる町民組織は11分団あります。
昔は地元にいる方、自営業者を中心に分団員で構成されていました。
不急の時には地元で仕事をしている人の方がどうしても現場に早く到着出来るとして、自営業者等が中心になって組織されました。が、昨今の自営業者の高齢化や後継者不足もあり、現在では積極的に勤め人も団員にしていますがそれでも欠員が生じる分団もあるそうです。

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町民の安全の一翼を町民が自ら担うという考え方を大切にしたいと思います。
その為には、町民一人一人の生活が安定している、将来の希望が展望できることが重要です。そのことを国政を司る方、地方の為政者は肝に銘じて欲しいと思います。

正月早々から事業がブッキングです。

本年最初のISO市が同時刻に大磯駅前で行われました。
正月の消費が一息つき、早々の市であること、そして朝はまだ寒いし、人出はいまいちの状況です。
しかし、陽が高くなると共にお客様も足を運んでくれました。

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年末から新年に掛けてのこの「ISO市」は我慢の時かも知れませんが、めげずに継続していくことも大切だと思います。
来月の14日に開催します。

2010年1月 9日 (土)

大磯の左義長(国指定の重要無形民俗文化財)

今年の左義長は1月16日です。
大磯の左義長は前年の12月8日の一番息子から始まります。
私の子どもの頃は、この日に瓢箪のような形をした石に縄を付けて、町内の独身男性のいるお宅の玄関先で「一番息子・・・・・・・・・・・・。」言葉は忘れました。
要は○○さんに、良いお嫁さんが来るように と言った内容の口上を子ども達で述べてお小遣いをもらった記憶があります。

そして年が明けた11日には長老と松買い(山に松を取りに行く)をして13日(以前は14日に左義長を実施していました)まで御仮籠(おかりこ)を作ります。この御仮籠は松と各家庭で門松を立てていた笹等を利用して作ります。御仮籠の番をするのは子ども達です。当時は御仮籠の中に七輪を持ち込みお餅やみかんを食べながら、かるたやトランプなどの遊びをして夜通しで過ごしたものです。

町民は七所詣り(ななとこまいり)といって子ども達の籠もる七箇所の道祖神、御仮籠を拝んで回ります。当然、お賽銭が上がります。このお賽銭の分配も子ども達のリーダーが年齢によって分配します。上級生には多く、下級生には少なく。縦社会が歴然と生きていました。
これが正月のお年玉にもなりました。

そして、いつしかこの様な風習は無くなりました。

14日の朝には海岸にサイト立てをして夕方に火が入ります。サイトが燃えさかる頃、青年達がふんどし一つで冬の海に入っていきます。
海に入った青年たちと陸側の子どもたちとの間で、豊漁を祈念するヤンナゴッコという綱引きが行われます。

こうした伝統行事を継承していくことは色々な面で苦労があります。
資金面もその一つです。何より人的な確保をすることが一番大変なんです。

従って毎年14日に実施していた左義長も今や、14日以後の土曜日に実施されるようになりました。

写真は全て大磯町のHPから利用しました。

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2010年1月 8日 (金)

石田梅岩と『都鄙(とひ)問答』『倹約斉家論』

9月21日の Blog で近江商人のことを書きました。
近江商人の行商は旅先の人々の信頼を得ることが何より大切であったために「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の「三方よし」にありました。

何かの本で
「事業に行き詰まったら石田梅岩の教えを請いなさい」
「事業で成功したければ石田梅岩を知らなければいけません」
大阪商人に関する本だったと思います。

倹約斉家論の序のところで「倹約」の話が出てきます。
「倹約は「けち」とは違う。自分を大切に思うなら人も同じだ。」

自分の欲のために出し惜しみをすることは「倹約」とは言わない。
「世界のために、3ついるものを
 2つですむようすることを倹約という。私欲ほど世に害を与え
 るものはない。このことを知らないでする倹約は皆吝(ケチ) 
 に至り、害をなすこと甚だしい」

(政治家に聞かせてあげたいですね)

「倹約とは」
適材適所に適宜有効に活用する」ことだそうです。

江戸時代の元禄バブルが弾けて八代将軍吉宗の享保の改革までデフレ政策が実施されました。
その時代に現れたのが石田梅岩です。それだけに大いに参考になると思います。

この『都鄙(とひ)問答』『倹約斉家論』は企業経営に今でも充分に、いや、こういう時代だからこそ通用する経営思想だと思います。

「人民が国家の基礎である。その基礎が堅固であるならば国家は太平である」とも言えると言っています。

こう、言い切れる社会が実現出来れば嬉しいですね。
そうすれば年間3万人を越える、自らの命を落とす人も少なくなると思います。

2010年1月 7日 (木)

七草がゆですね

今日で「松の内」も終わりです。
事務所は2箇所で年末調整指導会を行いました。
結構忙しい日々が年明けから続いています。

「松の内」が終わる。そうすると七草粥ですね。私は1月7日の朝食は大嫌いでした。幼少の頃は。
「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」お粥そのものが嫌いだった上に、このような葉っぱらしき草しか入っていないお粥に悪戦苦闘したことを思い出します。

平安時代からこの習慣はあったようですね。
清少納言の「枕草子」には、”七日の若菜、六日、人の持て来……”という一文があります。

正月料理(お酒?)のご馳走で弱った胃を休めるためにと覚えています。
昔は冬場に野菜が今ほど出回っていませんでした。
野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もあったようです。

また、歳神様に供えてから家族で食べると万病を払うともされていました。

新年の初めに一年の無病息災を願い、また新年を無事に迎えられたことへの感謝を込めていただく素晴らしい習慣だと思います。

無くして欲しくない習慣ですね。

と言いつつ、珈琲だけで済ます私の朝には余り関係がありません。
しかし、いただいたつもりで感謝はします。

未だにお粥そのものが苦手なのが本音です。

2010年1月 6日 (水)

畳の目ほど陽が伸びてきた

この時期は事務所をどんなに早く出ても、外はもう真っ暗です。
ずいぶん長い時間仕事をしたんだ、っと思ってもまだ5時前です。

冬至あたりには16:30頃だった日の入りも今日あたりは16:45頃です。
たかが15分程度の時間差ですが感覚的には随分陽が伸びてきた様に感じます。

「畳の目ほど陽が伸びてきました」
昔の方は風情のある表現をしますよね。
冬至の頃に表現をする言葉ですが、私には多少でも陽が伸びたと実感出来るこの時期が嬉しいんです。
着実に、ちょとずつですが陽が伸びています。

今月の23日過ぎには17時を廻っての日の入りになります。

日の出と共に行動を開始し、そして日の入りに合わせて行動を休止し静かにもの思いに耽る。また静かに読書をするも良し。そんな自然に逆らわないで生活できればどんなに幸せかと、ふっと思います。

現実は?
今週は年末調整指導会を行っています。従って昼間に出来なかった仕事がどうしても夜に押してきます。

今夜も、また長い夜を有効に使うこととしましょう! 

2010年1月 5日 (火)

「ブルジュ・ハリファ」と「横浜ランドマークタワー」

横浜ランドマークタワーは私が前職場の神奈川県商工会連合会に勤務していた頃、1990年に着工され1993年に完成した高さ296.3㍍のオフィスビルです。

着工されて以来、桜木町を利用していた私は、毎日毎日少しずつビルが空に伸びていき、天気の悪い日には雲の中に入ってしまう工事の状況を見ながらその高さに驚いていました。そしてあの最上階のクレーンは最後にどのように撤去するんだろうといったごく素朴な疑問を持って毎日、その工事を眺めていました

現在でも日本一高い超高層ビルです。それでも世界では第53位(2009年8月時点)の高さだそうです。

「横浜ランドマークタワー」
写真は Googlle から転載しました。

Photo

それがアラブ首長国連邦のドバイで4日夜(日本時間5日未明)、高さ世界一の超高層ビルの開業を祝う式典が行われ、未公表だった高さについては「828メートル」と発表されました。

ドバイ政府系の不動産開発会社が2004年に着工。総工費は周辺の商業施設も含め約200億ドル(1兆8600億円)で、オフィスのほかホテル(160室)や住居(1044戸)も入り施設の90%は売却済みとされています。
しかし、昨年11月のドバイショックの後遺症も残る中、入居料はピーク時の半値程度に下落しているそうです。地元では世界一のタワー効果で景気に弾みをつけたい考えだそうですが、不動産価格の大幅下落で見通しは結して明るくないそうです。

「ブルジュ・ハリファ」
写真は Googlle から転載しました。

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それにしても、これまで世界一だった台湾の「台北101」(508メートル)や、建設中の「東京スカイツリー」(634メートル)、東京タワー(333メートル)をいずれも大きく上回る桁違いの高さにただ唖然とするばかりです。

横浜ランドマークタワーにいた時にさして大きくもない地震に遭遇したことがあります。
免震装置のしっかりした同タワーはゆらり、ゆらりと揺れて船に乗っているような気分になったことを覚えています。

地震の時などは一体このタワーはどのような揺れ方をするんでしょうかね?

2010年1月 4日 (月)

さあー、仕事始めです!

お正月も終わった。もっとゆっくりとしていたい気分です。しかし世の中には働きたいと思っても、その働き口すら見つからない方もいる、そんな状況を考えたらゆっくりとしていたいなどと甘えてはいられません。

大磯町の新年賀詞交歓会に出席をしました。

Photo

町の公職等に携わっている主立った方に新年の挨拶が出来ました。
それにしても明るい話題がありません。どうも暗い方の話題ばかりになってしまいます。

元日の神奈川新聞に12月に「相模湾における海上交通による観光資源開発事業」大磯~真鶴トライアルに関連する記事が一面に掲載されていました。

そして、この事業の詳細が決まっているかのような報道でもあったので、私の所にも詳細を教えて欲しいとの問い合わせも入っています。

湘南地域県政総合センターに新年の挨拶に行った際に、この問題についての詳細を聞かせていただきました。
しかし、現在、調整中で募集等もまだ行っていないとのことです。

先行して11月に実施したツアーについては下記のURLを参考にして下さい。

http://www.pref.kanagawa.jp/press/0910/057/index.html

世間は新しい年を迎えまだまだお屠蘇気分も残っています。私の組織は年度末の第4コーナーを回り、直線コースに入る寸前の最終四半期です。

まだ、鞭を入れるには早いですが、ここは体調を整えて年度末に向けて、残りの事業に邁進していくことにします。

夜は息子と初投げに行って来ました。
レベルが高く上位に絡むことはお互いに出来ませんでしたが二人共アップゲーム(3Gで600点)出来たので納得です。これも明日からの仕事にプラスになります。
アップ出来ると言うことはそれだけ身体の状況が良くなっているという証です。

2010年1月 3日 (日)

手作りの「すごろく」新年会

おもちゃの少ない我が家は遊びのゲームまでが手作りです。
娘たちと子ども達がてんでに色つけ等をして手作りすごろくが完成しました。

ばぁばやじぃじも参戦しました。
すごろく上に点在する電車等は各自の駒です。

ばぁばの「江ノ電」はどんどん先に行きますが、じぃじの「金太郎」は中々前に進みません。
皆に飴を配って、好きなおやつもらえる、ここで一曲「アンパンマン」「チューリップ」等の歌を歌う、カメラに向かってポーズ etc 一回休みになり、飛ばされて泣き出す孫たち。泣いたとおもったらパパ達の歌に大受け。

親の恐怖は、アイスクリームをすごろく終了後に食べるための「カンパのご協力枠」。
どうにか皆の協力でアイスクリームの購入資金は確保出来た様子です。

皆で創った「すごろく」です
Photo

こうしたゲームを通して子ども達にルールを教える、アナログ的な教育、それも家族全員で行うことに意義があると思います。

ゲームが終わった後はお待ちかねのお年玉の交換です。
我が家では子どもや大人にもお年玉を上げます。
息子や娘には「句」を添えて。(句らしき俳句を)

だって、お年玉は、元来、御歳神様へ鏡餅をお供えして、御歳神様の魂が込められた鏡餅をいただく。これを「おとしだま」と呼んでいたものが今の「お年玉」になったと言われています。

そうだとすれば、お年玉は子ども達だけのものではなく、むしろ大人にもあげる必要があるんです。だから、我が家のお年玉の金額は二の次です。

世間で言われるような お年玉の相場=(年齢÷2)×1,000円 より遙かに低いんです。

体調を崩してスタートした2010年の新春ですが、この2日間、久しぶりに家族とゆっくり過ごすことが出来ました。

さあー 明日から仕事始めだ!

2010年1月 2日 (土)

娘の実家で新年会です

毎年2日は娘の実家の新年会にお呼ばれに一家総出でお出掛けです。
何せ娘夫婦も呼ばれるので都合11人です。

実家には孫たちの「じぃじ」や「ばぁば」に「大じぃじ」と「大ばぁば」も健在です。
「大じぃじ」は加齢と共にちょっと子ども帰りが始まっているとのことです。しかし、ひ孫たちが来ると一時はしゃんとするんだそうです。これが血の繋がりだと思います。

普段は静かな家の中が娘の孫たちを入れると5人です。
年齢が6・4・4・2・2歳の集団ですからちょっとした保育園です。
この賑やかさが「大じぃじ」の元気の源のようです。

私たちの育った頃は子どもの声を聞いて安心したとさんざん親たちから聞かされました。
それがいつ頃から子どもの声が騒音になってしまったんでしょう?

これでは若い夫婦が伸び伸びとした子育てが出来るわけがありません。
結して「子育て支援金」では子どもは育ちません。財政的援助を否定している訳ではありません。
今一度、子どもが日本国の財産であるとするならば「家庭」「学校」「地域」で育てることを「子育て支援金」以上に訴えていくべきだと痛感します。

子どもは親の言うことを中々聞かない。今に始まったことではありません。
だから、一歩距離を置いて客観的に物事を見ることの出来る「おじさん」「おばさん」の存在が必要だったんです。

介護の世界でも同様なことが言えるのではないでしょうか?
介護施設等の充実は必要だと思います。
中には家庭で介護を本当にしたいと思っている方も大勢います。
介護保険のお世話にならないで懸命に「おじいちゃん」「おばあちゃん」のお世話をしている方も沢山いらっしゃいます。
こういう方にもスポットをあててあげて欲しいと思います。

介護保険料を払っているんだから公の施設で面倒を見てくれるのは当たり前だ。
むしろ損だなどと考える方もいます。

もっと、もっと社会が助け合う仕組み作りに力を入れるべきです。
不満を国や社会に向けていくことが一番楽なことかも知れません。自分に非が及んでくることのない考え方ですから。

「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズにはこうした思いが込められているんでしょうか・・・・・・。
2010年を期待しましょう!

2010年1月 1日 (金)

モーツアルト奏でる部屋の元旦かな

静かな2010年の幕開けのようです。
快晴でガラス越しの日差しが小春日和のようです。
長閑でうとうとと眠りを誘ってくれます。
そして部屋にはクラッシックが静かに流れています。

このロケーションであれば最高の正月です!

これをベッドの中でうつらうつらと聞いているんですから様になりません。
「一年間を健康で・・・・・・。」元旦から反古にしています。

今年はスタートが遅れそうですが、焦ったって仕方がない。
ここは身体が休養を要求しているんでしょうから受け止めることにします。

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西湘を拠点にして色々なプロジェクトを立ち上げて奮闘しています。そして私も遊ばされています。

きれいな水と美しい緑を、再生し、育み、守るために活動しています

NPOな人 椎野修平ブログ