2月のイベント情報

第90回大磯市 
    2月18日(日) 9:00 ~ 14:00
    ○会場:大磯港
  ★エントリーの受付期間は2月1日(木)~4日(日)です。

大磯の梅の名所を訪ね食事を楽しむ
      23日(金) 9:00 ~ 14:00
    ○旧吉田茂邸・地福寺他
  ★事前申込み制(詳しくはHPを参照下さい!)

2018年2月17日 (土)

もう少しでパワー全開に!

ここ一両日寒さが戻りましたが今日あたりの陽光は明らかに春を感じました。
大磯でも徐々に梅の開花が進んでいます。

23日に2月のイベント情報にも掲載してある「大磯の梅の名所を訪ね食事を楽しむ」事業を実施します。
その一つに島崎藤村の眠る「地福寺」さんもコースに入れさせていただいています。

ちょっとだけ開花も進み見頃が近くなってきました。

0217これからは梅を始め色々な花が彩りを添えてくれる季節です。
花の不思議さは、人を和ませてくれるパワーがあります。

花を見る事で、その不思議なパワーは、落ち込んでいる時はリフレッシュ効果、ストレスを感じている時にはリラックス効果があるのです。
たとえ忙しくても、花を観賞すると気持ちが落ち着いて、心が豊かになっていくのです。
それが、例え一輪の花であっても!

周りにこうした春の息吹を感じ始めると、私のエンジンも回り始めます。
もう少しすると全開になると思います。

羽生が連覇! 羽生に勝ち決勝に そして優勝、6段に!

今日の午後に立て続けにビッグニュースが入りました。

ピョンチャン五輪のフィギュアスケート男子フリーではショートプログラムでトップだった羽生結弦選手がフリーでも206.17点でトータル317.85点で、ソチ大会に続き連覇を飾りました。

見事に右足首故障からの復帰戦をオリンピックの晴れ舞台で、フィギュアスケート史上66年ぶりの連覇で飾りました。
そして、今日、獲得した金メダルが、冬季五輪の記念すべき1000個目の金メダルの記念までつきました。
銀メダルは宇野昌磨選手で日本人初のワンツーフィニッシュにテレビの前に釘付けになりました。

そして、もう一方の今日の羽生さんは、完全に引き立て役になってしまいました。

将棋の最年少プロである藤井聡太五段が史上最年少優勝を飾りました。

第11回朝日杯オープンが東京・有楽町朝日ホールで行われ、藤井五段は準決勝で公式戦初顔合わせとなる第一人者の羽生善治竜王を熱戦の末に撃破。
続く決勝でも広瀬章人八段に勝利しました。

中学生の棋戦優勝は初めてのこと。
最年少15歳6カ月での棋戦初優勝は1955年に、ひふみんこと、加藤一二三・元九段が達成した15歳10カ月の記録を63年ぶりに塗り替える記録です。

そして、今回の優勝で規定により段位が上がり、藤井五段は中学生初の六段に。
こちらも加藤九段の16歳3カ月を抜き、最年少記録となりました。

66年ぶり 63年ぶり
確かに記録は破られるためにあるのでしょうが、若手の台頭に心が躍る週末になりました。

2018年2月16日 (金)

息子の誕生日 世代間の挑戦?

息子の誕生日を家族で祝いました。
最近は大人の都合より、孫たちがテニス漬けの日々を送っているので予定が合いません。
まして週末の土・日になると試合の連戦。
今週は来週にテストが入るとかで部活がありません。

216息子に寄せる誕生日メッセージも内容が随分変わってきました。
今までは父親に対して感謝の言葉が多かったのに対して、中々挑戦的なメッセージが多く、これではまだまだ負けじと受けざるを得ない状況に、改めて子ども達の挑戦を受ける気持ちも強くなった30歳代最後の誕生日なったことでしょう。
それだけ孫たちも成長している証なのだと思います。

息子とはFB等のSNSの世界を通してもつながりがあります。
当然、フェースtoフェースとは別にこちらの方にも、誕生祝メッセージを入れます。

孫(子ども)達の挑戦的なメッセージを受けて「まだまだ、子供たちに負けないように頑張りますよ。そして、父上にもどんどん噛みついて行かせて下さいね。」とのリターンがありました。

60歳の還暦を迎えた機に、我が家の家庭内の権限を息子夫婦に渡しましたが、それでもまだまだ現役と認めてくれているようです。
息子が子ども達の挑戦を受けて、息子が改めて父親に噛みついてくれる姿勢、この環境に感謝します。
まだまだ老け込むわけにはいかない、息子の30歳代最後のバースデーでした。

2018年2月15日 (木)

羽生 Vs 藤井(将来のタイトル前哨戦?)

極寒と呼び声の高いピョンチャンオリンピック2018で、その寒さを吹き飛ばすような熱戦が繰り広げられています。
日本選手の若手も頑張っています。
スポーツ以外でもこの週末に「新たな伝説が生まれるかも?」とワクワクしそうな対戦があります。

昨年の竜王位を奪取して、永世竜王の称号の資格を得て「永世七冠」を達成。
囲碁で2回にわたって七冠を独占した井山裕太氏と共に国民栄誉賞を受賞した将棋の羽生善治竜王。

その、あらゆる栄冠を手にした「永世七冠」の竜王と、日の出の勢いの中学生棋士が盤上で火花を散らす。
これほど心躍る勝負は、これから先もそう簡単にはないでしょう!
これは、日頃から将棋に興味のない人でも関心を寄せる勝負です。

羽生善治竜王に挑む藤井聡太五段は、昨年7月に連勝が29で途絶えたものの、通算成績および2017年度の成績では勝率8割以上をキープしています。
17年度は、対局数・勝数・勝率・連勝の4部門で全棋士中1位を走っている。
羽生以来の史上2人目の4部門独占も視野に入ってきた将棋界のホープです。

非公式戦とは言え、羽生竜王とは2回対戦し1勝1敗の五分。
それだけに期待がかかるのでしょう!

中学生でプロデビューを果たした棋士である加藤一二三九段、谷川浩司九段、羽生竜王、渡辺明棋王の4人は、いずれも20歳までにタイトル挑戦を決めています。

藤井五段も20歳までにタイトル戦に出場して18歳6か月の史上最年少タイトル獲得の記録を塗り替えて欲しいと思います。
その道のりは当然ながら険しいことは藤井五段が一番わかっていることでしょう!
しかし、最終的にファンが期待するのは羽生 Vs 藤井のタイトル戦でしょう。
その日はいつ来るのだろうか。

【大磯今昔・大倉喜八郎4】(Vol.43)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【16.04.25】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
大倉喜八郎は、和歌を何首も詠じていましたが、「明けぬれば年も 九十と1里塚 まだつづくかも 老いの長旅」

前回で、公が80代で子が出来たお話をしましたが、実は1人ではなく3人もそれも男の子ばかり、彼の肉体的若さを証明する1番の事はこの事だと思います。

彼の基本的な考え方は、「無理をしない事」でした。
「食事でも酒でも女でも、自分の欲望したときに用うるのが長命の法である。」とよく皆様にお話していたとか?

向島の女性との間のお子で、大倉氏が80歳の時に、(大正5年)に長男、次男は8年、12年に三男がこの時は、87歳になっていたわけで、その中でも有名なのが次男の大倉雄二氏で、本妻の子である36歳違いの兄、大倉喜七郎の後ろ盾のもとで、学校を出、1流出版社に勤務し、定年後には大倉家にかかわる3冊の本を書き、その出版社から刊行しています。

東京経済大学が編集・出版した本で「稿本・大倉喜八郎年譜」によれば、公は結婚前にKという女性との間に、2男2女をもうけ、1男2女は幼くして亡くなったのですが、次男の米吉に大倉の分家が与えられて、そのお孫さんや曾孫さんによって、同家が今日まで引き継がれているのです。

明治23年から40年頃に大磯に別荘を持ち、その後小田原の板橋に別邸を構えのちに、割烹旅館「山月」になり、現在は閉鎖中。

彼が残した言葉をいくつか語り、公の終焉としたいと思います。
「金を金庫に封じて子孫に残すも、いたずらに怠慢の助とならん。」
「他人が10時間働くなら、自分は12時間働け、精神一倒何事不なりの心持を以ってすれば成功疑いなし」
「誰も引き受けないところに、商機はある。」
「89歳の時に赤石岳(3120M)に登る」

公のお墓は、東京の護国寺にあります。
写真は、お墓と、小田原の別邸です。今回も素晴らしい人を語れて幸せでした。

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次回もお楽しみに。

【大磯今昔・大倉喜八郎3】(Vol.42)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【16.04.18】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
大倉喜八郎氏のシリーズも今回で3回目です。

時代の先読みをする才覚は本当に凄い方です。
特に、明治20年代の躍進は凄いです。
政府の要人との繋がり(岩倉使節団での出会い)が次々と形に成りました。
その第1弾が、大久保利通からの依頼で「宮城集治監」(西南戦争における国事犯の収容の為の洋風刑務所)の建設です。
ここには、大磯に別莊を持たれた陸奥宗光公も収容されました。
(後に又、語りますね。)

明治12年、大成建設の前身になる「大倉組」、明治20年、巨大ゼネコン(藤田組と大倉組)の土木部門が合併した「有限責任日本土木会社」が設立され、それまでは土木に関しては確立されていなかったのに、大久保公の信頼を受け、その後は「鹿鳴館」、更に後世に残る建造物、帝国ホテル、東京電力、日本銀行、歌舞伎座、碓氷トンネル等々です。

0215_3_2その後、日清・日露戦争で三菱、三井が躊躇する危険で無理難題の仕事に対応し、莫大な利益を得ています。
さらに多くの事業を起業します。サッポロビール、アサヒビール、帝国劇場、ホテルオオクラ、東海パルプ、日清製油、大倉山ジャンプ場などの設立にも関わりました。

そして中国とのつながりも凄かったです。
又、晩年は社会貢献事業への寄付がまた、凄かった。
前回に学校へのお話をしましたが、東京だけでなく、大阪、朝鮮にも私財を投じて商業学校を設立明治44年には社会福祉法人「恩賜財団済生会」に当時で100万円(現在の100億円)、又集めた美術品を寄附し、日本初の私設美術館として公開、(来年修復工事を終えての公開が待たれます)大倉集古館です。

今の時代を生きる私には想像がつかないぐらいのお金が動きます。
調べれば、調べるほどお金が渦を巻いています。
でも、解った事が一つあります。
お金は、天下の回り物として使った方なんだと思います。
次回、最終回では80代で3人の男の子を設けたけた違いに元気な公のお話へと続きます。
写真は、先週撮ってきました、日本銀行の写真です。

2018年2月14日 (水)

もう一つ上の風景を見てみたい!

韓国で行われているピョンチャンオリンピック2018で日本はメダルラッシュに沸きました。

スノーボード男子ハーフパイプでは、ソチ五輪銀メダルの平野歩夢選手が連続銀メダルを獲得しました。
ソチ五輪では15歳2カ月の日本選手最年少記録で銀メダルを獲得しましたが、ソチと同じ技ではピョンチャンでは上位に進めないと、連続の4回転技を完成させました。

その彼も、昨年の3月の大会では転倒して左膝の靱帯損傷。
オリンピックを前に約3カ月の離脱を余儀なくされた上での今回の銀メダルです。
「ちょっと悔しさは残っているけれど・・・・・・?」と次回の北京大会での金メダルを夢見ているようなインタビューでした。

複合の個人ノーマルヒルでは、世界ランキング1位の渡部暁斗選手が2大会連続の銀メダルを獲得しました。
その彼のコメントも「メダルを取れてホッとしているのが半分、自分が目指しているところにたどり着けなかったという悔しさが半分だった。」

そして期待されたスピードスケート女子1000メートルのスピードスケート短距離のエースで、世界記録保持者の小平奈緒選手がトップと0秒26差の1分13秒82で、銀メダルを獲得しました。

同種目で1500メートルで銀メダリストとなった高木美帆選手も銅メダルを獲得して、今大会で自身2個目のメダルとなりました。
スピードスケート日本女子選手のダブル表彰台は史上初の快挙です。
素晴らしい活躍が繰り広げられています。

見ている、応援している方は、オリンピックでメダルを獲得するだけで身震いしますが、世界のトップ選手が目指すのは当然、表彰台の一番上です。

渡部暁斗選手は得意の複合の個人ラージヒルが。
小平奈緒選手は絶対的自信を持っているスピードスケート500メートルが。
高木美帆選手には今期世界記録を連発している女子団体追い抜きが。
3選手には次の競技で、もう一つ上の風景を見てもらいたいと思います。

こんなピョンチャンから届くニュースに触発されたわけではないでしょうが、事務所から戻ると孫たちが早々に夕食をすませジュニアのナイター練習に行きました。

今夜は昨年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)のソフトテニス競技で、16年・17年と同大会を連覇をした東京・文大杉並の優勝ペアが練習に来てくれるとのことで、中学2年生の孫を始め3人で色紙を持って行きました。

県の選抜チームの仲間入りにさせてもらっている孫にとっては、今ではどのような芸能人より憧れの人、選手でしょう!
中学生の内から週末になれば関東各県を始め愛知県の方まで遠征試合に出掛けることが出来るのは幸せだと思います。

どんなスポーツであろうと、身近で一番上の風景を見てきた人の話を聞いたり、プレーを見ることは周りの者がどんなに言葉を掛けるより刺激があります。

そして、色紙を大事そうに、興奮して帰ってきました。

凡人の我々が世界のトップの風景を見ることなど不可能です。
それでも、日々、いつもとちょっと違う上の風景を見てみたいという気持ちだけは忘れないようにしたいと思います。

【大磯今昔・大倉喜八郎2】(Vol.41)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
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【16.04.11】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
大倉喜八郎は、鉄砲商から身を立て明治維新後の軍事関係の需要を独占し、「大倉組」を中軸に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品、などを起業し、一大コンッエルンを形成しました。

前回で、政府の「岩倉使節団」が出立した半年後、大倉公も世界情勢の視察に出たお話をしましたが、帰国後、日本初の貿易商社「大倉商事」を設立し初の海外支店をロンドンに設けました。
後に、外国貿易を通じて外国の脅威を肌身に感じ、国を憂う熱意が後継者育成へとかりたてられたのでは?

私財を投じて、いくつかの学校を創立します。
その1校が、明治33年に私財50万円(現在の役1万倍)を投じ、公の還暦、と銀婚の節目に「大倉商業学校」を創立しました。後に、「大倉商業学校」は、大正8年に「大倉高等商業高校」に昇格し、東京高商(一橋大学)、神戸高商(神戸大学)、横浜高商(横浜国立大学)、小樽高商(小樽商科大学、と並び日本の五大高商と称されました。
現在、「大倉高等商業高校」は東京経済大学です。
まだまだ有りますが、今回は載せる写真で悩みました。

顔写真は著作権の事も有り、私はなるべく作られた建物とか住まわれていた町のお写真とか~、そして現地に赴いてと思い、今回は東京に向かいました。

0214_2「大倉集古館」は、今改修工事をしているのは知っていたのですが(2019年まで)、残念ですが今回は諦めて、昨年行ってまいりました所を思い出しました。

皆様は、ご存知でしょうか?日本橋、小伝馬町に「善行」、「喜八~きっぱ」と呼び合っていた、若くて夢を語っていた2人に出会って居た方が、この2人に救ってもらおうと、「安政の大獄」で、若くして処刑された人たちの供養の場所を作って欲しいと。国から、払い下げられていたこの地に、処刑場跡という事で、中々町としての整備もおぼつかず、悪いことばかりが重なっていたそうです。この地の整備の為のお金を快く引き受けてくれたのがこの2人です。

感謝を込めて「大安楽寺」と名付けました。
そちらに、お参りに伺い、住職にお話を聞く事が出来ました。
2人の布石となる物はないですかと、尋ねましたら、お2人の署名入りの書面は有りますが本堂の奥の金庫に入っているとの事、今回は急な訪問でしたので次回にとお約束をして今回は失礼しました。

お寺の向かいには、十思公園が有りそちらに、吉田松陰の石碑や、刑場跡の石組の写真も有りました。(念仏)
昨日、撮ってきた写真です。大倉さん、安田さん、のお慈悲に感謝。
因みに、本堂はコンクリートで、この工事は大成建設、セメントは浅野セメント、等々。

【大磯今昔・大倉喜八郎1】(Vol.40)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!

【16.04.04】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
今回は、明治23年から40年まで東小磯の寺内邸付近に土地を借り、別荘を構えました、大倉喜八郎を語ります。(敬称略)

明治の時代、八大財閥の一つで一代で財を成した方です。
天保3年(1832年)、越後の国(新潟県)新発田(しばた)の名主の三男として生まれました。
彼もまた初めて物語はもとより「あぶない、怖い、はったり?」をいち早く考え、実行した人です。
そして作った私財を、公共事業や社会事業に惜しみなく私財を投じた、日本の礎を築いた方です。

彼は、17歳の時江戸に出て一旗揚げようと決意した動機が(塾の学友の父が不合理な処罰を受けた事件~学友の父は藩の見付役に路上で出会った時、雨で道がぬかるんでいたので、下駄をはいたまま土下座をしたところ、それを咎められ閉門謹慎を命ぜられました)。

武士と平民の差別に憤慨し、江戸で大商人になり見返してやると決意をしたといわれています。
上京して鰹節店に奉公しますが、そのとき丁稚同士だった安田善次郎(彼は玩具店に勤務)とは、「善行」「喜八きっぱ」と呼び合う仲だったとか。

こののち10年後、明治維新の前の年独立して大倉鉄砲店開業、「死の商人」と言われた時期でもあります。戊辰戦争で軍需品の供給で富を築きますが、この5年後、商売は順調になると次のこととして、外国との貿易の不合理に疑問を持ち世界に視察に出ることを決心します。
政府が「岩倉使節団」を派遣してすぐの事です。
この続きは次回へ。
写真は、現在の東小磯の別邸跡の前の通りです。

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2018年2月13日 (火)

こんなところにも「高齢化社会」の問題が

キレる高齢者は本当に増えているのでしょうか?
こうしたニュースが日常的に流れてきます。
実際に「キレる高齢者」が増えているという実感を持っているのは、私だけではないと思います。

観光案内所には約2万人ほどの方が来館します。
電話での問い合わせも非常に多いです。
案内所に入ってくる方々でも「おはようございます」「こんにちは」と入ってくる方が少ないのも気になります。
それも、私より、はるか先輩と思われる方に多いのです。

案内所に詰めている職員も万能ではありません。
それでもマチナカのことについては、日常的に情報を共有しているのでかなり知っているつもりです。
そして、自分の分からないことについては、色々なインデックスを持ち、どちらかに問い合わせればそれなりの応えが出るだろうと問い合わせ先等の案内をしますが、「どうしてそんなことが分からないのか?」とお叱りを受けることもたびたびです。
年齢を経ると角が取れて人間が円くなり、いわゆる「好々爺」となるものと考えていました。

ところが一方では、人格者であった方が、年齢とともに困った人になっていくこともあるようです。
「性格の先鋭化」と呼ばれる現象がよく見られます。
若い頃の性格特性が、高齢になるにつれてますます目立ってくる現象のことです。
これも、若い頃には今の日本の礎を築いてきた自負が当然あるのだと思います。

「好々爺」が増える社会が望ましいのだろうと思いますが、現代社会はそうはいかない要因もたくさんあるようです。
その一つが、核家族化にもあると思います。
老後は一人ないし配偶者と二人での生活です。
孫に「じいちゃん」「ばあちゃん」と癒やされるのも、年に数回しかない高齢者も増えています。
運動機能も衰えます。行動範囲も狭まります。
社会からの見捨てられ感(?)も高まり、社会に対して攻撃的になったとしても不思議ではないのかも知れません。

そして、何より日本は未曾有の高齢化社会に突入しています。
人口における高齢者の割合が増えているのですから、こうした問題が増えるのも当然だと思うのが自然の考えであるのかも知れません。

すべての高齢者に当てはまるわけではないのですが、私はこのお仲間入りだけにはならないように注意をしたいと思う最近の窓口業務からの感想です。

«【大磯今昔・大隈重信7】(Vol.39)

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私と東海道との係わりの源です

西湘を拠点にして色々なプロジェクトを立ち上げて奮闘しています。そして私も遊ばされています。

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