5月・6月のイベント情報

旧安田善次郎邸さつきと邸内見学(事前申込)
    5月27日(日) 9:30 ~ 14:30
       ○旧安田善次郎邸
 
第69回大磯白キス投釣大会
    6月10日(日)7:30 ~ 12:00
       ○大磯こゆるぎ海岸
 
第94回大磯市
      17日(日) 9:00 ~ 14:00
       ○会場:大磯港
  ★エントリーの受付期間は6月1日(金)~4日(月)です。

2018年5月23日 (水)

加害者と被害者が同居(?)の記者会見

モリカケ問題で紛糾する国会。
セクハラで揺れる地方議会の首長。
スポーツの世界ではあり得ないようなアメリカンフットボールの日大と関学大の定期戦での出来事。
 
昨日のアメリカンフットボールにおいて大学の日本代表にも選出されるなど将来を嘱望された大学3年生、宮川選手の勇気ある記者会見に感動しました。
 
はっきり言って20歳の宮川選手は加害者には違いないですが、一方で日大アメフットボール部の被害者なのかなとも思えます。
 
最近の不祥事の釈明で日本語にならないような説明に慣らされていた者にとっては、昨日の宮川選手の記者会見は加害者として顔や名前を日本全国に知られ可愛そうであったかもしれません。
 
しかし「ケガをさせてしまった。指示はされたが僕がやったこと。人のせいではない。僕がやったことは事実。」との自らの責任を表明する繰り返しの記者会見で、当時の状況を語ったことで世間の納得も得られたはずです。
今後の人生にとってはプラスに働くと思いたいですね!
 
一方、日本大学広報部のコメントは「反則タックルは、あくまで選手と監督らとの意思疎通がうまくいかずに起こったプレーである」と主張しています。
 
国会も地方も同じようなコメントが繰り返されています!

2018年5月22日 (火)

【大磯今昔・澤田美喜12】(Vol.79)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.12.26】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
今年最後の澤田美喜になります。
 
前回からの引き続きのお話に入ります。
美喜に関わる3人の女性のお話でした。
 
パール・S・バック(小説家)で、「大地」この作品でノーベル文学賞を受賞、中国人とアメリカ人を両親に持つ混血児でした。日本と米国との懸け橋になり、ホームの子供達の里親探しのお手伝いや、日本での講演活動や本の売り上げを、ホームに寄付して下さいました。
 
2人目は、ジョセフィン・ベーカー(黒いビィーナスの異名を取り、歌手でありエンターテイナー)、アメリカでの人種差別を受けその事から、フランスに渡り、フランス国籍を取得、素晴らしい活躍で、ヨーロッパ貴族の称号を持つ初めてのアフリカ系アメリカ女性です。外交官夫人の頃の美喜とパリで出会った縁から、ホームの子供2人の里親になったり、日本での公演活動、全てをホームに寄付して下さいました。
 
3人目の方は、メンデルソン・メンデルゼン(日本名福沢せい)、両親が国際結婚第1号と言われていて、父は英国人で、明治5年日本で初めて蒸気機関車が走った当時の機関技師で、という事は彼女は混血児の最初の人?
 

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その彼女が、75歳から無報酬で毎日お弁当を持って、エリザベス・サンダース・ホームに通い、混血児を心から愛育していました。
彼女は「私も混血児だわ。あたしが自分で進んで混血になったのではないように、この不幸な子供たちも何の罪があってこの世に生まれたというのだろう。あたしは良い父と母に恵まれたけど、この子たちは父にも母にも顧みられなくて、、、」と、涙をこぼして良く世話をした。13年間の長い間続きました。
 
実は、彼女とのエピソードというか、彼女がホームを辞めるきっかけになった事件が有ります、その対応に美喜の信念を感じました。
美喜は、子供達がある年齢に達すると、お金の使い方を教えるために、今のお金で100円ぐらいだと思います、子供達に渡し文具店で、どんなものが買えるかの勉強をさせていました。
 
決して沢山の物、好きな物を買えるほどの金額では有りません。
我慢も教えたかったのです、世の中に出たら何でも手に入るわけではない事も、教えたかったのです。
ある時、子供の一人がメンドルソンに、「おばあちゃん、買い物のお金が足りないの」と訴えました。
それではと、その子にお金を渡してしまいました。事件は、その子ではなく別の子が欲しいものをポケットに入れてしまったのです。(万引きです)、でもその子にはその自覚は無かった、美喜は激しく怒りました、その結果その子をおまわりさんの前に連れて行きました。
悪いことをするとどうなるのか、彼女はそれを徹底的に教えたかった。
でも、メンデルソンはそこまでしなくてもと、抗議しました、その翌日からホームに来ることを差し止められました。
子供のために何をなすべきか、とても、厳しい美喜でした。
(この事は、獅子文六書、アンデルソンに記に掲載されてます。)では、又来年もよろしくお願いします。
美喜の写真と大磯町名誉町民の称号写真、当時のホームの写真、今回で澤田美喜さんを終了します。

2018年5月20日 (日)

第93回大磯市

空だけ見れば五月晴れの絶好のイベント日和でした。
しかし、昨日までの暑かった陽気から一転して北からの冷たい風が流れ込んで、日差しが強いのにひんやりとするなんと表現をして良いのか迷う日でした。
 
出店者の方々も強風に悩まされてターフや商品が飛ばされないようにするのが大変でした。
それでも4,500人ほどのご来場をいただきました。
今月は足柄上郡開成町の「あじさいちゃん」の来磯を受けて「いそべぇ&あおみ」がホスト役を務めてくれました。
来月は開成町で行われる「あじさいまつり」に「あおみ」が訪問することになっています。

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2018年5月19日 (土)

湘南ベルマーレホームタウンデー

昨年まで大磯町と二宮町の2町でホームタウンデーが設定されていましたが、今年から中郡に加えて足柄上郡も加わり賑やかなホームタウンデーになりました。
 
昼間の試合で横浜F・マリノスがV・ファーレン長崎に快勝してベルマーレはキックオフ前、降格圏の16位に沈んでいました。
今夜の対戦相手はジュビロ磐田。
今日の一戦後はワールドカップ等のスケジュールが入るのでJ1は2ヶ月ほどの休みに入ります。
それだけに少しでも順位を上げて、再開後の試合に向けて調整を図っていきたいところです。
 
それはアウエーのジュビロ磐田も同じです。
ファンは有り難いものです。
ホームのベルマーレのスタンドが埋まるのは当然としてもアウエースタンドもほとんど満席の状況でした。
 
前半から攻め込んだのは磐田。
一時はベルマーレも防戦一方でしたが、後半の終了間近に野田選手が放ったシュートがゴールポストに跳ね返されて前半は0-0で折り返しますが後半に期待がつながるシュートでした。

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ハーフタイムに「いそべぇ&あおみ」も応援に登場。
そして中﨑町長も勝利を期待して応援メッセージを贈りました。
 
その効果があったかどうか分かりませんが、前半ポストに跳ね返された野田選手でしたが、岡本選手のシュートがバーに当たり跳ね返ったボールを頭で押し込み待望の1点。
この勝ち点で明日の試合結果待ちになりますが、今夜の段階で順位を暫定ながら11位まで上がりました。
 
「いそべぇ&あおみ」とサポータも、応援の甲斐があった試合に満足して Shonan BMW スタジアム平塚を後にすることが出来ました。

2018年5月18日 (金)

【大磯今昔・澤田美喜11】(Vol.78)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.12.19】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。
澤田美喜さんも終盤に入ってきました。
 
ここからは、(敬称略)でいきます。
今日は、美喜と関わった3人の女性の事を書こうと思います。
彼女からすると、こっちの人よと、言われるかもしれませんが、それが、投稿者の特権ですね。
 
前回、サンダース・ホームの冠命になった、エリザベス・サンダース女史のお話もしましたが、美喜が外交官夫人として世界各国を廻った時に作られた人脈は、その後のホーム設立にどれだけ尽力をしていただい事か?
 
その第1人者が、ジョセフィーン・ベーカーです。
美喜と出会ったのは昭和の10年頃のパリです。
その頃から彼女は貧しく苦しんでる人に手を差し伸べる素晴らしい人でした。しかし、アメリカは黒人に対する人種差別の激しい時代で、パリで成功をおさめ、アメリカに凱旋公演するはずが、就いた港からホテルに至るまで彼女を人と扱う事はしなかった。
それを目の当たりにした美喜は、怒りが抑えきれず怒鳴りかけたその時、彼女は叫びました「貴方達のその白い皮膚の下には黒い心がある。そして、私の黒い皮膚の下にはまっ白い心がある。」後に、美喜が書いた本のタイトルになりました。
その時に、美喜が彼女にした好意に対して、彼女は報いるかのように、日本で行われる舞台公演の収入は全てサンダースホームへ寄贈されました。
その時のお金を基にホームの子供達の宿舎が作られました、今も記念館下の階段の横に碇石が残っています。

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2人目は、作家のパールバックです。
彼女は、中国とアメリカの混血児です。
彼女との出会いは、或るホームの子供の父親への事がきっかけで、アメリカでの出会いが始まり、彼女にはホームの子供のアメリカでの受け入れ先を紹介してもらったり、日本での本の売り上げ収入や、公演での収入もホームに寄贈していただき、彼女の寄付で作られた宿舎の碇石も同じように記念館の下にあります。
 
3人目の方は、もしかしたら書かないでと思っていらっしゃる方かなあ~?
この方は、大磯に在住されて70歳過ぎてから13年間手弁当を持って、サンダース・ホームの子供達のお世話をした、メンデルソン(日本名福沢せい)です。
獅子文六も書かれています「アンデルさんの記」のモデルになった方です。
ご両親が国際結婚第1号で、人前結婚として初めての方の子供さん、混血だという事から、彼女は自分は両親から望まれて生まれたけれど、ホームの子供達は世間から冷たく扱われているその子供達に少しでも愛情を注ぎたいとボランティアでお手伝いをした方です。
紙面が長くなりました、この続きは、次回に。
写真は、記念館下の入り口正面にある、美喜顕彰碑、レリーフ、3まいめは正面左側の人がメンデルソンさんです。

2018年5月17日 (木)

【大磯今昔・澤田美喜10】(Vol.77)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.12.12】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
澤田美喜について語ります。
 
ご縁とは不思議なもので、丁度澤田美喜を語らせて頂くこの時期に澤田美喜記念館のお手伝いに今月から週に1回、4時間ほどですが伺わせて頂いています。
 
新たな発見が有り、とても身の引き締まる思いです。
今年は特に、新聞各社(朝日新聞、東京新聞、カトリック新聞他)が、記念館の展示物「キリシタン鍔」を取り上げています。
是非、ご来館ください。
 
大磯駅前のあの敷地内には、実は3つの建物が点在しています。
エリザベス・サンダースホーム、聖ステパノ学園初等部、中等部、澤田美喜記念館。
「海の見えるホール」~聖ステパノ学園の講堂、礼拝堂(子供達、学生達が礼拝に使います)
 
エリザベス・サンダースホーム、聖ステパノ学園は美喜生存中に設立されたものです。
美喜自身が事業を推進することが大事で、名を残すことはしなかったのです。
 
エリザベス・サンダースホームの命名は、三井の養育係を約40年なさった方が1度も母国(イギリス)に戻ることなく亡くなられた、エリザベス・サンダース女史のお名前を冠に、その方のご寄付をホーム設立の祖とさせて頂いたので、この様に命名されました。
 
聖ステパノ学園はホームの子供達が就学年齢に達した時、子供達が肌の色や差別で苦しむのではと、町立の小学校ではなく、新たに小学校を設立しました。
その名前は、美喜の三男が太平洋戦争で20歳で亡くなった晃の洗礼名がステパノでした。
そしてその名前を冠にして聖ステパノ学園としました。
 
澤田美喜記念館は、美喜が亡くなった後、美喜を尊敬・崇拝する皆さんが何とか名前を残したいと、命名されました。

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今回の写真は、現在は建物としては3代目になります、エリザベス・サンダースホームの玄関です。
2枚目は、平成2年に今上天皇・美智子妃殿下が聖ステパノ学園を訪問された時のお写真です。
3枚目は、ノアの方舟をイメージして作られました、澤田美喜記念館です。
4枚目は、横浜の外人墓地に有ります、エリザベス・サンダース女史のお墓です。
毎年、エリザベス・サンダースホームの子供達はお墓参りに伺ってるそうです。

【大磯今昔・澤田美喜9】(Vol.76)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.12.05】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
澤田美喜について語ります。
 
今回彼女について語るについて、今迄色々な本も読みました。
関係各位の方達にもお会いしました。
全く真逆な事が書かれてる本も有りました。
何故かと、考えると美喜自身が書いた本、子供達(サンダースホームに入所していた子供達)から見た、ママちゃまを語っている本、又、働いていらした職員の方達が語った本、それを同じ目線で見ては当然違います。
 
前々回でも少しお話ししましたが、ホームにいる子供たちはここで暮らしている間は、ママちゃまをはじめ職員の方達がお世話をし、守ってくれます。
でもホームで一生過ごすわけにはいきません。
中学で巣立つもの。
高校まで行けた子供達、でももっと前に、養子に出る子供達も沢山いました。
美喜が育てた子供たちは30年間の間に、約2000人の子供達がいました。
皆が皆、幸せな人生を送れるように、美喜はどれだけ心を痛めた事か、それでも想像もしない不遇な死を遂げてしまった、その中の1人に付いて少しお話したいと思います。
 
澤田美喜記念館の初代館長をされていた、鯛茂先生からもお話をお聞きした方ですが、面高直子著「ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ」という本の主人公です。
アメリカに養子に行った、後田義明(スティーブ・ヨシアキ・フラハティ)は、ベトナム戦争で戦死された方です。

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養子先で有りますアメリカで、とても幸せな人生を送っていましたが、未だ見ぬ母への思いは立ちきれずしかし、養子先のファミリーに迷惑を掛けたくない思いから、軍隊(当時はベトナム戦争でした)に入隊する事を思い立ちます。
何故かというと、2つ有ったと思います、1つは、市民権を得る事(今迄は、アメリカ人でもなく又、日本人でもなかった)、3ヶ月軍隊を終えるとR&R(リラックス&レクリエション)で、1週間の休みがもらえ、東京へ行くことが出来るのです。
後2日でその日を迎える朝に狙撃され亡くなりました。
日本に行き実母の消息を訪ねようと入隊したのに、実母はいろいろな事情から既にアメリカで暮らしていました。彼が亡くなったことを知らされた美喜は、大粒の涙を流して床に崩れ落ちたそうです。
ホームの創設以来、どんな時も気丈に振る舞ってきた澤田が、初めて人前で見せた涙だったと、語ってます。
 
今でも、色々な人生を引きずりながら懸命に生きている方達、前に美喜さんのお墓参りに鳥取に行った時、墓守を為さっている湯浅さんという方にお会いしましたが、ホーム出身でお墓が持てない方がいたら、面倒を見て欲しいと、鯛さんに頼まれていると、湯浅さんがおっしゃっていました。(涙)
 
今回は、写真を選ぶのが難しいです。
美喜さん鳥取のお墓、その入り口の案内石碑は大磯の老舗和菓子店「新杵」の先代の御主人が書いた物です。

2018年5月16日 (水)

旧安田善次郎邸庭園のさつきと邸内見学

さつきの花咲く、旧安田善次郎邸のお庭の見学。
木々の新緑とあでやかなさつきの花咲く日本庭園の散策と邸内見学で大磯の別荘文化に親しみ、邸内にてお抹茶をいただきながら、明治を駆け抜けた安田善次郎翁の人なりを知る機会にしていただければと思います。

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コースにより若干の空きがございます。
申込期日が迫っていますのでオンラインからの申込みを推薦します。
【開催日】
     ○5月27日(日)
【受付】
     ○Aコース  9:30
     ○Bコース 10:30
     ○Cコース 11:30
     ○Dコース 12:30
     ○Eコース 13:30
【集合場所】
     ○旧安田善次郎邸
【募集定員】
     ○180名
【参加費】
     ○1,500円(お抹茶、ガイド料、保険料込み)
【受付期間】
     ○5月22日(火)まで
【オンライン申し込み】
     https://oiso-tourist-info.wixsite.com/events/entry
【往復はがき申し込み方法は下記URL記載】
     http://www.oiso-kankou.or.jp/entry.html?id=44058

2018年5月15日 (火)

NPO歴史の道東海道宿駅会議in袋井宿

NPO歴史の道東海道宿駅会議の平成30年度通常総会で袋井宿に出向きました。
今日の会場は袋井「和(やわらぎ)の湯」です。
 
ここは「和とらふぐ研究所」を併設しています。
独特な旨味と食感をもつ貴重な高級魚「とらふぐ」を和の湯自慢の 温泉を利用して養殖を行い、安価な値段でお客様に広く提供し、ゆくゆくは和の湯の名物料理、袋井市の名物料理に仕立て上げようと研究を続けています。

0515

フグには毒が有ることは常識ですが、「養殖フグには毒がない」と言われることが有ります。(?)
しかし、実際には養殖フグに毒は「ないかも知れないけど、あるかも知れない」というのが最近の学説です。
やっぱりおっかないよ!
 
でもフグにはもともと毒はないそうです。
毒蛇やハチなどのように体内で毒を作って備えているわけではないのです。
 
フグ毒を産み出すのは海洋細菌なのだそうです。
広い海には色々な微生物がいます。
毒素を作る細菌(ビブリオ菌)が食物連鎖の中で濃縮されフグが食べて体内に蓄積されることによって毒を持つようになると。
 
「温泉とらふぐ」は温泉を利用した完全閉鎖循環養殖のため、海水は一切進入しない。
また、職員が管理する人口飼料で育てているため、「温泉とらふぐ」は毒の元になるものを経口摂取しませんので、内臓に毒を持たない無毒なフグとなる訳です。とのことです!
従って海水を利用していないので水造りに一番苦労しているそうです。
 
そして、お味は?
美味しかった!車で行ったのでひたすら食べるのみ?
と言っても小食の私ではすぐに満腹状態に。満足でした。
そして肝心の定時総会ですが提案された議事は全て原案通り承認されました。

2018年5月14日 (月)

【大磯今昔・澤田美喜9】(Vol.76)

○大磯町観光協会副会長、通称「あこちゃん」のシリーズです。
 最初から通してお読みになる方は、左のカテゴリー「大磯今昔」をお読み下さい!
  まだまだ掲載を予定しているシリーズがたくさんあります。
 なるべく読みやすいように一人、一日で完結するようにアップしていきます。
 
【16.11.28】掲載文
「大磯今昔」のあこちゃんです。(敬称略)
澤田美喜のシリーズです。
 
最近のNHKの、朝ドラを見ると、当然のように時代背景から、戦前戦後の苦労話を乗り越えて、現在の名声が有るお話が多く取り上げられています。現在放映の「べっぴん」もそうですね。
 
私は、それを見るにつけ、当時の女性たちの生き方に興味を惹かれると共に、辛い時代をどう乗り越えたか、澤田美喜の目から見た当時を振り返りたいと思います。
 
美喜が書いた著書に「母と子の絆」エリザベス・サンダースホームの30年という本が有ります。
その中の1節に、

0514

(私は「母」について、特に世間の人々に対して話したいことがある。私の知る限りの母は、その1人1人が数回の空襲を受けていた。1回ごとに家族はバラバラになって、生死のほども解らず、食べ物も無く職もなく、あのレンガとガラスの破片に埋もれた町をさまよっていた女性達であった。~、日本人のすべてが空襲を受けたわけではなく、爆撃にも有っていない人たちもいたはずです。彼らは、この着の身着のままの女性達に対して何らの救いの手を伸ばそうとさえしなかった。
空襲を受けなかった人々は、二着以上の上衣も下着も持っていただろうし、はきものも二足以上は持っていたはずである。それでも、何一つしようとしなかった。
救いの手を伸ばしたのはアメリカの兵隊達でした。彼女らは、同胞から受けられなかったこの親切に対して、何一つ報いるべきものを持っていなかった。彼女らは、自分の体をもって報いるほかなかったのだ。これが、”第1号‘達の生まれてくる原因であったとしても、これらの母を責めたり、この子供達を白眼視する事は出来ないはずです。)
 
と、綴っています。
この文章を読むたびに、自分だったら何が出来たのだろうかと、何時も自問自答されられます。
 
写真は、第1号の子供達を預かるようになって(最初は2名でした)から、5年目ごろです。
2枚目は、設立から9年目頃です。
みんなの後ろに写っているのは、「ぼたん」という茶室です。
岩崎家の茶室ですので、城山に有った三井家の如庵に引けを取らない茶室でしたが、子供たちのミルクを温める、薪の原料になってしまいました。
3枚目は陽和洞には多くの混血孤児が捨てられました。
最後の写真は右側に写っていますのが、太平洋戦争で亡くなった、三男晃さんの写真です。
(聖ステパノ学園の元になった方です~彼の洗礼名がステパノです)

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私と東海道との係わりの源です

西湘を拠点にして色々なプロジェクトを立ち上げて奮闘しています。そして私も遊ばされています。

きれいな水と美しい緑を、再生し、育み、守るために活動しています

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